せみまるこ

主にTwitterに棲息してるシングルマザーです。家族3人全員、発達障害のADHDや自…

せみまるこ

主にTwitterに棲息してるシングルマザーです。家族3人全員、発達障害のADHDや自閉症スペクトラム。子供たちは不登校気味。自身のうつ病やら器質性月経困難症やら難病やらもありますが、毎日笑顔で生きたい所存です。

最近の記事

野良発達の私の場合

私の一番古い記憶は、泣いている私を見ながら、母と叔母がぬいぐるみを振りながら笑っている光景だ。 「何で私がすごく悲しい気持ちで、こんなに泣いてるのに、なんでこの人たちは笑ってるの??すぐに抱っこして安心させてよ!!!」 と全身をバタバタとさせて泣いていた。 多分、2歳手前だった気がする。 私はその頃から毎日、父の怒鳴り声で目が覚めて、父の怒鳴り声と母の泣き声を聴きながら、眠りについていた。 私の父は、頭が良く、そこそこの大学に行っていた。 別の大学に行っていた3歳

    • 「野良発達な私の場合」はっぴばーすでー私。

      子供の話は一度置いといて… そうなのだ、今日は私の46回目の誕生日なのだ。 昭和52年。西暦だと、1977年。 私は、東京の板橋区成増の病院で産声を上げた。 学生同士のできちゃった婚だった母はまだ22歳だった。少し先輩の父は25歳だった。 母は、まだ結婚していない相手との子を孕んでしまったことに気がついた時、一人で名古屋の実家へ帰って私を産もうとした。 叔母達親戚には、貴方にはまだ先があるんだから、おろした方が良いと言われた。それでも、母は頑なに産

      • 野良発達な私の場合「歩き出した多動児」

        生後1年半ちょっとで、とうとう歩き出した息子。 とても微笑ましい“よちよち歩き”を堪能するのも束の間、「常にダッシュ」状態になるまでに、そんなに時間はかからなかった。 朝の五時位から、玄関のドアをバンバン叩いて、「うーうー!!!」と、外に連れていけ!と言う毎日。 私は急いで支度をして、外に連れ出そうとする。 普通に手を繋ぐと、嫌がって怒り泣きながら振りほどこうとするので、息子のか細い手首を掴み、私の親指だけを息子に握らせていた。 それでも息子は、自分の動きを制御され

        • 野良発達な私の場合 「長男の赤ちゃん期」

          まず、私に診断がついた経緯から書いていこうと思う。 ざっくりと簡単に説明すると、 30代で我が子に発達障害の診断がつき、発達障害の事を色々と知る上で、 「それなら自分もそうでは無いのか?」 と思い、どんどんと調べていくうちに、それが確信へ変わり、発達検査を申し込んだら、やっぱりそうだったのである。 私は子供の頃から、周りの大人や友達に、とにかく良く叱られたり怒られたり、イジメや虐待を受けたりする子だった。 それは、不登校に繋がり、家出や早めの社会人になることに繋が

        野良発達の私の場合

          野良発達な私の場合

          はじめに。 「野良発達」 ある日、Twitterでそんな言葉を見掛けた。 気になって調べてみると、我が子が発達障害なのに診断を付けずに放置して、他害行為などの特性故に、周りに迷惑をかけ続ける親子への皮肉として生まれた言葉の様だった。 私は現在40代半ば。 39歳でADHD・注意欠陥・多動性障害…所謂、発達障害と診断された。 私としては、今までの生きづらい人生の答え合わせが出来た気がして、気持ちがとても楽になった。 しかし私の親は、それでも私の障害を認めなかった。

          野良発達な私の場合