見出し画像

自分の履歴書④ 人生をひっくり返す決意をする

この記事は、上場企業社員に登りつめてからまた転落、自分の本心と向き合い新しい方向へ一歩を踏み出す記事です。

社内引き抜きの誘いをきっかけに転落

正社員になってから、難易度も高く責任の伴う案件を多く任せてもらい、やりがいを感じながら順風満帆に過ごしていました。そんなある時、社内の別の部署から専属のデザイナーになってほしい旨の引き抜きの話をもらいました。サーバー以外のサービスも携わってみたいという思いもあり、部署異動をすることを決意しました。

ところが、移動前の部署の上司と移動先の部署の上司との間で引き抜きとは何ごとだ! という揉め事になってしまいました。私自身が元凶ではないはずなのに元の部署に居づらくなり、かといって異動も難しい状態になってしまいました。
そこで、異動先の部署でデザインを外注に出しているデザイン事務所に一時的に転職してほしい、という話になりました。デザインを引き続き外注する体裁を取りながら、デザイン事務所側で専属のデザイナーとして立ち回るという立て付けです。当然、一定の期間で元の会社に戻れる約束です。

画像1

異動することを決意した以上、引き下がることもできずデザイン事務所に転職することになりました。皆の前で退職メッセージを話し送別会までしてもらいましたが、またいつか戻って来ると思うと申し訳ない気持ちでいっぱいでした。

人生をひっくり返そうと決める

デザイン事務所は、雑居ビルの一室にありました。急な部外者の入社は歓迎されませんでした。デスクすら用意されておらずパイプ椅子と隅っこの机での作業はひたすら悲しかったです。雑居ビルには屋上があって、そこでタバコを吸いながら自分の人生は一体何なんだろう、とボンヤリ過ごす時間が増えました。実はハメられたのでは? などと疑念を感じる日もありました。たまにデザイン事務所の社員が屋上にタバコに来て、takeshiさんは何で事務所内でこんな雑な扱い受けてるんですか? と同情してくれたりしました。それでも本当の事情を話せないことが辛かったです。

画像2

実は尊敬している上司からこんなことを言われていました。「会社が上場してまとまったお金が手に入ったでしょう。このまま会社に居続けてキャリアアップするのももちろん良いと思う。けれど、20代のうちに海外に行くことも大事。30過ぎたら結婚とか家の事情とか、だんだん自由が効かなくなってくるよ。」上司は、過去に海外での就業経験がありました。今思い返しても、このアドバイスは本当に的確だったと思っています。

デザイン事務所で働くこと数ヶ月、やっとほとぼりが冷めたので戻って来てほしいという話が来ました。会社に出向き、当時の上司とも和解できた時は心から嬉しかったです。
一方で、頭の隅でずっと残っていた感情がありました。このまま今の会社で順当にキャリアアップしていくのが、自分の人生なのか? 上場企業に入社できて、恵まれた環境に感謝しなければらないはず。でもそれって見栄なんじゃないの? サーバービジネスは安定しているし、IT業界で優雅に働ける、でもそれが本当に自分の幸せなのかな? 自問自答をしていました。
恵まれた環境で、私は茹でガエルのようになっていたのかもしれません。

中国に行くことにしました。レールから外れるのはもう慣れていました。安定した退屈な人生よりも、失敗しても人生の最期にああ〜やりきった、と言って死ぬ方が価値があると。

中国がこれから来る

2006年、北京オリンピック、上海万博を目前に控える中国がこれから大国になると言われ始めていた頃でした。
実は人生で初めての海外一人旅は上海でした。同じ漢字を使う国で似て非なる不思議な国だという印象を受けていました。人の動きが日本人の1.5倍速、物事が雑でとにかく人口が多い。一番の驚きは、共産主義という立て付けなのに超資本主義だったこと。そして独創的なアイディアがそこら中に溢れていたこと。政治は封建的だけど、人々は日本よりもよっぽど自由だと感じました。日本のニュースで見聞きしていた中国とは全く違っていました。

画像3

今でこそ、古い工場跡地などをリノベーションしてアートギャラリーや商業施設にしているエリアは世界中に多数ありますが、中国でそのようなエリアがまさに縦断的に生まれようとしていました。クリエイティブで活気があって、世界をひっくり返すような勢いがありました。その未完成の先に垣間見える未来の風景を前に、私は熱狂を感じていました。

社会人20代後半その1へ続きます

この記事が参加している募集

自己紹介

宜しければサポートいただけると嬉しいです! 執筆活動費として大切に使わせていただきます。