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とあるデザイナーです

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マガジン

  • 未来の話

    未来を想像して新しい行動にシフトしていくためのマガジンです。 日々の生活の中で、ふと立ち止まって5年後、10年後の世界はどうなっていているかを考えるきっかけになれば幸いです。

  • 自己紹介

    今までの人生の中で考えていたこと意思決定などを記載しています。お役に立てられれば幸いです!

  • 雑記

  • UX

    UXやUIの考え方について様々な視点で紹介します。多くの方に読んでいただきたいため、できるだけ専門用語を使わないよう心がけています。

最近の記事

次の世界へ向けて、デザイナーができること

デザイナーは、日々のKPIの追求のためのデザインに追われがちですが、社会全体の未来を俯瞰して、あるべき姿に近づくような体験を設計しなければならないと私は常に意識しています。 あるべき未来を妄想し、次に何が大切になるかを考察することは非常に重要です。何故なら、デザイナーはそのイメージを描き、周囲を巻き込むチカラを持っているからです。 戦争による資源の高騰とSDGs今、ウクライナとロシアの戦争で資源が高騰しています。しかも、食料や石油、天然ガスなど人々の生活になくてはならないも

    • 自分の履歴書⑮ 地面に叩き落とされて見えてくる景色

      この記事は、6年間在籍した部署から異動後の記事です。 コロナと異動が同時に訪れる異動が決まってから、20代の時の私が中国で試行錯誤していた時期を振り返ろうと思い、北京に一人で旅行していました。必死にならないといけない、プライドを捨ててガムシャラに模索していた20代だった頃を、中国の風景を見ながら振るい立たせていました。 偶然にもちょうど北京滞在中に、武漢でコロナウィルスが発生したニュースが流れました。そして帰国後、コロナ禍となりました。 プライドが高いままでのリモートワ

      • 自分の履歴書⑭ 自らの成功体験に毒される

        この記事は栄枯盛衰、数年続いた最良の社会人生活から徐々に転落していく記事です。 プロダクトマネージャーとして批判しかしなかった自画自賛のような話ですが、本当にうまく行き続けていました。ありがたいことに私はデザイナー兼プロダクトマネージャーという役割をいただいていました。しかし、やっていたことと言えば方針を指し示すこともなく、アイデアも出すこともなく、批判ばかりを言っていました。 成功体験とは毒のようなもので、徐々に私の意思決定をむしばんでいたのです。プライドは異常に高くなり

        • 自分の履歴書⑬ 30代後半、プレイヤーだけではいけない年齢になる

          この記事は、サービスの成長だけではなく、若手メンバー育成にも関わる記事です。 お客様に感謝する引き続き、機能追加やUX改善を行いながらサービスを成長させることに尽力しました。サービスを成長させることは、お客様の満足度を上げること、満足度が上がれば利用者数は増えるだろうと思っていました。毎朝、お客様から届くレビューやご意見全てに目を通すのが習慣で、的をついたご意見はすぐにサービスに反映させていました。 もちろんお客様の意見を反映させるだけでは駄目です。「何をほしいかなんて、そ

        次の世界へ向けて、デザイナーができること

        • 自分の履歴書⑮ 地面に叩き落とされて見えてくる景色

        • 自分の履歴書⑭ 自らの成功体験に毒される

        • 自分の履歴書⑬ 30代後半、プレイヤーだけではいけない年齢になる

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        記事

          自分の履歴書⑫ 30代中盤にしてはじめての成功体験

          この記事は移動交通に異動してから、予想外に仕事が成功しはじめた記事です。 愛着が湧き、友だちに教えたくなる製品か配属されてから早々にお願いされたのがデザインリニューアルでした。当時のスマホの画面デザインはリアルな表現を用いていました。それがフラットなデザインに移り変わる節目でもありました。アートで言うところの具象的な表現から抽象的な表現への移り変わりに近いかもしれません。リアルに作り込む手間は大幅に減った分、使い勝手をしっかり考えないと非常に使いづらいデザインになってしまい

          自分の履歴書⑫ 30代中盤にしてはじめての成功体験

          自分の履歴書⑪ 子会社に飛ばされる

          この記事は子会社に出向して過ごした一年の記事です。 ダメな烙印を押された社員が辿り着くところ子会社に出向となり、心機一転がんばろうと思いました。しかし、配属早々にメンバーから「親会社で何かやらかしたの? やらかした社員はみんなうちの部署来てそのまま退職していくのよね〜」と教えられました。それはもう自主退職してください、ということだったのかもしれません。 落ち込むどころか、もう煮るなり焼くなり好きにしてくれ、と開放された気持ちになりました。ここまで来たら失うものはない。もうど

          自分の履歴書⑪ 子会社に飛ばされる

          自分の履歴書⑩ 大手企業に入社、出だしから失敗

          この記事は、大手IT企業に入社して早々に孤立する記事です。 理想を絵に描いたような職場オフィスに足を踏み入れた時、皆幸せそうで自由で仕事を楽しんでいる、というのが第一印象でした。ウォータサーバーがあり、お菓子の自販機があり、誰も使っていないランニングマシーンがある。広いデスクに座り心地の良いイス、自由な服装でヘッドフォンで音楽を聴きながら仕事をしている。ミーティングは会議室に集まるものの、床に体育座りをしながら聞く人もいる。社員の誕生日には、デスクにプレゼントが埋め尽くされ

          自分の履歴書⑩ 大手企業に入社、出だしから失敗

          自分の履歴書⑨ コンサル会社で鍛えられる

          この記事は日本に帰国してコンサル会社でもがいた2年の記事です。 チームワークのありがたみを再認識久々に人に指示されながら仕事をするということが最初はうんざりしましたが、それでもチームで仕事ができることのありがたみを再認識しました。ちょっとしたことを相談したり、間違っている部分を指摘してもらえたりするのは、孤軍奮闘していた時と比べたら本当にありがたいことです。 しかしながら、中国から日本に戻って苦労したことは、日本のきめ細やかさと細部まで行き届いたルールです。良くも悪くも雑

          自分の履歴書⑨ コンサル会社で鍛えられる

          自分の履歴書⑧ 日本で再起する

          この記事は北京から日本に帰国して、再就職するまでの記事です。 誰にも言わずにひっそりと帰国お客様には今の事業を辞めることを告げて、ひっそりと帰国。いざ帰国すると何も結果を残せなかったという無力感と、後ろめたい気持ちでいっぱいになりました。 そして、日本から北京オリンピックが無事に開催されている光景をテレビ越しで観ながら、テロに巻き込まれてでも居座ってやるぐらいの覚悟で北京に留まるべきだった、、と強く後悔しました。 尊敬する上司に怒られる帰国したことは前職の上司にだけは伝え

          自分の履歴書⑧ 日本で再起する

          自分の履歴書⑦ 北京から引き上げる

          この記事は北京でのフリーランスを始めてから、約1年滞在後に日本に戻るまでの記事です。 中国でITサービスを展開する上での大きな壁中国のITは独自の検閲など、閉鎖的な状況なのは把握していました。一番大きな壁だったのは、中国国内でウェブサイトを公開するには国の認可が必要だったことです。中国のウェブサイトを見ると必ず認可番号が記載されています。この認可がないといつ締め出されてもおかしくないのです。 この課題については、中国人の友人に聞いてもコネがないと難しいとのことで八方塞がりの

          自分の履歴書⑦ 北京から引き上げる

          自分の履歴書⑥ 中国北京で独立する

          この記事は、大連の会社が事業廃止になったことを機に退職して、中国国内でどのように独立するかを考え、新しい生活をスタートするまでの記事です。 何をやるかを決める私が漠然と考えていたのは、中国にいるからこそ提供できる有益なサービスです。と、、理想を持っても、そんなサービスがすぐに思いつくはずもなく、取り急ぎは今まで仕事としてきたウェブデザインの受託で食いつなごうと決めました。 それに合わせて、前職で扱っていたレンタルサーバーも視野に入れました。サーバーはウェブサイトをゼロから

          自分の履歴書⑥ 中国北京で独立する

          自分の履歴書⑤ 中国大連の日系企業に転職

          この記事は、中国に行くことを決めてから大連の企業に就職した記事です。 なぜ中国か前回の記事でも少し触れましたが、中国に行く目的は3つです。 1つ目は、起業に興味がありました。私が働いてきたIT分野は不特定多数に何かを伝えるために最も適した手段。人口の多い中国で何かできないかと思っていました。起業に興味を持った経緯としては、前職で会社上場によりストックオプションを売却した人が独立していくのを目の当たりにしたこと、もう一つは自分の父、祖父共に起業していたからです。 2つ目はコ

          自分の履歴書⑤ 中国大連の日系企業に転職

          自分の履歴書④ 人生をひっくり返す決意をする

          この記事は、上場企業社員に登りつめてからまた転落、自分の本心と向き合い新しい方向へ一歩を踏み出す記事です。 社内引き抜きの誘いをきっかけに転落正社員になってから、難易度も高く責任の伴う案件を多く任せてもらい、やりがいを感じながら順風満帆に過ごしていました。そんなある時、社内の別の部署から専属のデザイナーになってほしい旨の引き抜きの話をもらいました。サーバー以外のサービスも携わってみたいという思いもあり、部署異動をすることを決意しました。 ところが、移動前の部署の上司と移動

          自分の履歴書④ 人生をひっくり返す決意をする

          自分の履歴書③ 20代中盤で3社目、やっと順風のきざし

          この記事は、社会人3年目にして2社退職した状態から、上場企業の社員へと登りつめた記事です。 1ヶ月間アジアへ旅行して、心理状態をリセットする2社退職した段階で焦りのような感覚がありました。多くの人は一般的な企業に就職し、着実にキャリアップをしているに違いないと。 そんな中、偶然高校時代の親友が全く同じタイミングで会社を退職していました。次の職場も決まっていなくて、長い休暇が取れることもないだろうと言うことで、パーっとタイに行こう! という話になりました。こんなに自由に生きて

          自分の履歴書③ 20代中盤で3社目、やっと順風のきざし

          自分の履歴書② 社会人として、デザイナーとして苦しみ続けた20代前半

          この記事は、社会人デビューしてデザイナーとしてもがき苦しみ抜いて、その後巻き返していく自己紹介記事です。大学時代の記事の続きです。 アルバイトで社会の厳しさに絶望する大学を卒業後は、芸術家を目指すべく小さな広告代理店でアルバイトをしながら制作活動をすることに。今ほどオシャレではなかった当時の中目黒が好き、という理由だけで決めた職場でした。 自分の作品をアピールするためにウェブサイトをゼロから作りました。ドメインとサーバーを取得しても数千円でまかなえるのには驚きでした。HTM

          自分の履歴書② 社会人として、デザイナーとして苦しみ続けた20代前半

          自分の履歴書① 「センス」について考えていた大学時代

          この記事では、大学時代に作品制作を通じて、センスの良し悪しの基準は何だろう、と考えていた経緯を自己紹介を交えて記載しています。 工芸の魅力ありがたいことに、私は一年浪人して某美術大学に入学しました。今はデザイナー職ですが、デザインではなく工芸を専攻していました。理由は、デザインほど商業的ではなく、アートほど自己満足に陥りづらい、程よい立ち位置だと思ったためです。 工芸には「用の美」という、使うことでその美しさを実感するという言葉があります。アートは個人的には大好きでしたが

          自分の履歴書① 「センス」について考えていた大学時代