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綿帽子 第四十二話

『おはようカラス』

子ガラスを助けた日から二日後。

散歩に出かけようと玄関のドアを開けると、どこからかカラスの鳴き声がきこえてきた。

「あれ?」

かなり近くで鳴いている気がする。

「どこだろう?どこで鳴いているのかな?」

鳴き声に耳を傾けながら、アーチの手前まで来たところで気がついた。

「お!」

振り向けば、屋根の上に二羽のカラスが止まっている。

朝からカラスの鳴き声が聞こえるな〜とは思っていたが、まさか屋根にいたとは。

偶然といえば偶然。
されどカラスの数まで一緒。
未だかつてカラスが我が家の屋根に止まっていたことはない。

たかだかカラス、しかし目の前には今まで見たことのない光景が展開されている。

「不思議だ、あまりにも不思議」

その日以来、毎朝まるで挨拶をするが如く二羽のカラスが仲良く屋根に並んでいるのだ。

最初は本当に偶然だろうと思っていたのだが、不思議なことにそれ以上カラスの数が増える気配もない。

となると頭の良いカラスのことだ、あれからどこかで俺を見かけて後を追ってきた可能性も否めない。

カラスはつがいになると仲が良いと聞く。
本当にこの前の子ガラスはこのカラス達の子供だったのかもしれない。

屋根にカラスが止まることなんて経験がないので多少の違和感は覚えるが、これといってカラスが何か悪さをするわけでもなく、必要以上にうるさく鳴くわけでもない。

そのまま大人しく見守ることにした。

それ以来、俺は毎朝カラスに「おはよう」と言っている。

カラスといえば俺の中でも少々変化が起きていた。

以前の俺は、カラスそのものに対して持っていたイメージがあまり良いものではなく、どちらかというと苦手意識の方が強かったと思う。

見かけてもなるべくそちらを見ないようにして、そのまま前を通り過ぎていた。
これは街中で黒猫を見かけた時の感覚に良く似ている。
猫に関しては元々苦手意識が強かったので、カラスと直接結びつくものではないのだが。

それが先日の一件以来、カラスを見ても何も感じなくなったのだ。

感覚的には九官鳥を眺めている状態に近い。
どれだけ見つめていても全く嫌だという感情が湧かなくなった。

むしろ手を伸ばせば、ヒョイと飛び乗ってきそうな気さえしてくる。
手乗り文鳥ならぬ手乗りガラスだ、ちょっと重いとは思うけど。

多分、自分の中の苦手意識が解放されて、少しだけ視野が広がったのかもしれない。
これは多くの事象に共通して言えることで、人間というものは総じて先入観に左右されやすい。

体験してみたら思っていた以上にスムーズに運ぶことでも、先行するそのものに対するイメージというか、想像を越える妄想に左右され、できることが半分以下になってしまっている気がする。

しかし、その時に掛かる心のブレーキの破壊力は凄まじく、それを乗り越えることは並大抵の努力ではないのだ。

それが思いがけないことから強制的に解除されたのかもしれない。

会話を交わせる相手が少し増えた。

そういえば俺は少し前に、近所に一人だけ住んでいる友人に会いに行った。

「久しぶり、しばらく顔を出さなかったのは死にかけてたからなんだ、
悪かったな」

と伝えると「そんなことだろうと思っていた」と返事が返ってきた。

中学時代の友人で、破壊的な人生を送っている一人である。

毎日堅実を信条として生きながらも、自分をまるで呪うように生きている。

会話の最中に「幸せ」という言葉を使うだけで逆上する時もある。

そんな彼を見ていると「長い間話しに来なくて悪かったな」という言葉が自然に口をついて出た。

本当に長い間話したことがなかった。
30年近く挨拶すら交わすこともなかったと思う。
それが、数年前突然思いついたように家に行ってみる気になったのだ。

その後再び交流が始まった。

お互い何をやってどう過ごしていたか、今はどうなのかと話せる仲にはなっているが、聞けば聞くほど哀れになってくる。

きっと向こうから見れば「お前はもっと酷い人生歩んでいるじゃないか」と言われそうだが、俺から見たら彼こそ自ら人生を壊している手本みたいに思える。

「また焼肉でも食べに連れて行ってもらうか、味が分かる気がしないけど」

彼とは定期的に食事に行ったりはしていた。

なかなか気前の良い男で食事に関しては一切他人に出させようとはしない。
それでは悪いので、と交代で出すことに決めていた。

行ったところで本人は段々と酔いが進んでいって、途中からただのエロ親父に変貌するのだが、変貌しつつも実際にはエロはしないという。
この辺が人には言えない俺が彼を可哀想に思っている点だった。

ここ数年は大晦日から元旦にかけて必ず彼と一緒に過ごしていた。

俺はいつも大晦日に予定が入ることはなかったし、彼はなんだかんだ予定があると言いながらも、結局は自宅に居るのだ。

それを見越して、大晦日になると自宅に彼を連れ出しに訪れていた。

一緒にいても大して面白い話をするわけでもない。
それぐらい今までの生活ぶりがかけ離れていたし、特に共通点もない。

だけど、俺は何故か彼と一緒に居たかったのだ。
それがなんだか彼に対する罪滅ぼしのように思えたのだ。

彼の自宅に立ち寄ると、倉庫兼車庫に彼がカスタマイズしたバイクが並んでいる。
彼曰くオリジナルのバイクを製作する技術は持っているらしい。
ブランドを立ち上げるのが夢だったようだ。

その彼の唯一の趣味と言えるバイクも、最近ではすっかり錆びついて、ほぼ化石となっている。

綺麗に磨けば見栄えもするのにと、何度も代わりに磨いてやると声を掛けた。
しかし、その都度何らかの理由をつけて断られる。

「いや、お前は何もしなくていいんだ、俺が勝手にやっておいてあげるから」

と何度伝えても彼は首を縦に振ることはなかった。

そこで気が付いた。

彼は本当に自分の全てを壊したいのだ。

並べられている作品群には、彼の情熱や愛情がタップリと詰まっていたに違いない。

しかし、それがいつからか心の負担となり、自らそれを錆びつかせることで心の均衡を保っていたのかもしれない。

そうなのだ、錆びついたバイク達は彼の心であり、彼自身であったのだ。

だから俺は彼のバイクを見ていると、いつも気にはなったし、切なくもなるのだ。

彼は気の効いたことを言うようなタイプの人間ではない。
だから今回もそれ以上のことは何も言わなかった。

「焼肉連れて行ってくれよ」と伝えると

「おう」

と、だけ返事が返ってきた。
彼なりの気遣いなのだろう。

また日曜日に来るとだけ告げて、その日は自宅に戻った。

思い返せば、心の内の半分でも話すことのできる存在は彼だけだったのかもしれない。

彼は俺の中で親友という位置付けにはなっていない。

それは、もしかしたら彼の中でも同じなのかもしれない。

子供の頃、彼と一緒に一度だけ旅行をしたことがある。

彼の部屋に久しぶりに入った時、彼のアルバムの中でそれを発見した。
子供の頃の俺が、彼が、笑顔で写真の中に収まっていた。

懐かしい顔だった。

「お前これ、この時のこと覚えてたのか?」

「覚えてるよ」

「何処に行ったかもか?」

「勿論」

「この写真撮った場所もか」

「おお、これ城に行った時に撮ったやつだろ」

「そっか」

それからまた、アルバムをめくってみた。

「これは?」

「〇〇と〇〇だよ」

「え?お前の従兄妹の?」

「そうだよ」

「ふーん」

ふと本棚に目をやると懐かしいコミックが並んでいる。

「あれ、お前この漫画持ってたのか。これ、続きが途絶えてるがどうした?」

「ああ、だから〇〇にやったんだ。可愛がってたからな妹より、〇〇その漫画好きだったんだよ」

「え?ああ、そうか」

彼はその従妹とも、長い間会っていない。

恐らく20年は会っていないだろう。

そして、彼のアルバムはそこで終わっている。

俺がとっくに過去に置き去りにしてきたものが彼の中で生きていた。

俺はこんな奴を30年もの長い間放っていたのだ。

自分がどれだけ残酷な人間だったかを知った日だった。


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