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綿帽子 第十九話

エレーベーターを降りて、正面玄関手前にある入退院受付を目指す。

お袋に肩を借りながら、なんとか待合室の受付の前にある長椅子まで辿り着いた。

困ったことにお袋が手続きができないらしい。

俺の方も認知能力がおかしくなっているのか、言葉を投げかけられても理解し難い場合がある。
相手の話す内容によっては瞬時の理解が乏しい。

恐らく長期間に渡って発熱していた為の後遺症だろうと感じてはいたが、戸惑いだけが俺の全てを支配している。

両手はあまり力が入らない。
その上ガチガチに固まっていて、左手はまるで野口英世のように開き辛くなっている。

この状態で会話をして、必要事項を書き込んで手続きを済ます自信などない。
それでもやらなければ病院から出られない。

発券された番号に目をやると待ち人数が結構いる。
感染症を患ったので、待合室の中で待つのはリスクが大きい。

それならばと、待合室から外に出て廊下の壁際にある長椅子に移動した。

渡された番号を確認するには待合室付近に近づかなければならない。
目も耳も悪くなった俺は、たったこれだけのことが煩わしくて仕方ない。

番号が表示されても遠目からでは確認し難いので、よろよろと歩いて掲示板を眺めてはまたよろよろと長椅子に戻る。

それを三度ほど繰り返した。

しばらくすると、自分の番号がうっすらと表示されているように見える。

お袋に半分支えられながら受付を目指す。

「間違いない」

自分の順番がきていた。

悪戦苦闘はしたが、とりあえず支払いを終えると、二人タクシー乗り場まで歩いた。

足を一歩前へと運ぶだけで激痛が走る。

必死に耐えながら、何とかタクシーに乗り込んだ。

久しぶりの自宅だ、少しは落ち着けるだろう。

自宅に着いて荷物を降ろすと犬が出迎えにきた。
抵抗力が極端に落ちている俺に、犬がまとわりつくのは危険だ。

後から出てきた叔母に犬を連れていくように頼んだが、その意味が理解できないらしい。

「何でや、犬やからしゃあないやろ、もう面倒臭いな」

「面倒臭い」と「疲れた」を普段から口癖のように言う叔母だったが、いつもにもまして疲れる。

お袋が犬を連れていくように促した。
流石に少しは分かってくれているかと期待する。

多分何がどうなって、こういう状態になったのかは理解していないだろう。

医者がその辺をしっかり伝えたかどうかも怪しいし、退院出来たのは良かったが結局何が原発となって敗血症に至ったのかは最後まで分からなかった。

ウィルス性のものではなく細菌性のものと聞いて以来何の情報もない。
色々と培養して調べてくれたみたいだが、結局突き止めることはできなかったのだ。

ただ、抗生剤の効果で血中から害を及ぼすものは消えたとのことで退院に至った。

この日の夕食に何を食べたかは全く覚えてはいない。

二階の自室は階段の上り下りが無理なので、一階にある親父の部屋の親父のベッドで寝ることにした。

親父がいなくなった後、お袋が毎夜寝ていた場所だ。

亡くなる直前まで親父が過ごしていた部屋とはいえ、同じベッドにお袋を寝かせるのは気が引けてならなかった。

言い出したら耳を貸さないお袋なので自由にはさせていたが「何だかお袋まで一緒にいなくなってしまう」そんな気がしたからだ。

久々にお風呂に入りたいと思ったが、用心の為もう少し我慢することにした。

結局その日も寝る事はできなかったけれど、親父とお袋の匂いが入り混ざったベッドで寝ることで、少し安心したような気もした。

両親の匂いというのは決して心地良いものではない。

特に嗅覚が敏感になっている俺にしてみれば、かなりキツく感じる。
それでも、弱りきった身体を包み込んでくれるその匂いに俺は感謝をした。

感謝はしたが、感謝と嫌悪感の入り混じったような、何とも言えない微妙さに自分が押し潰されそうになった夜でもあった。

ベッドに横になりながら、敗血症についてネットで調べてみる。

ネットというのは便利な反面、悪い先入観を頭に植え付けるには最適なツールだ。

色々と調べて行くうちに、どうやら俺はただの敗血症ではなく敗血症性ショック、つまり敗血症が一段階進んでショック状態に至ってから病院に担ぎ込まれたらしいということが分かった。
とはいえ、医者ではない自分にとっては、それも漠然とした響きでしかない。

読み進めていくうちにある記事に目が留まる。

「敗血症予後5年以内の死亡率は40%通常時よりも高くなる」

これには流石に心が折れそうになった。

敗血症が原因となって死亡率が高くなるというより「敗血症の予後」原因は不明だが40%の人間が死に至る確率が高くなる。
そして、予後のせん妄を含む多岐にわたる後遺症の多さ。

もう絶句するしかない。

事実もうそれが徐々に現れているのだ。

明日への希望は忘れず、しかし常に明日はもうないのかもしれないという絶望感の中で生きてゆくのだ。

「神は乗り越えられる試練しか与えない」

良く耳にするワンフレーズだが、与えられる試練が必ずしもその人の人生をより良くするとは考え難い。

自分は他の人よりも苦労が多いと思うと口にする人がいたりする。

しかし、その人が思う苦労とは他の人から見たら苦労でもなんでもなく、ごく当たり前なことなのかもしれないし、生まれてからずっと体が弱く、俺よりももっともっと病に苦しみながら生きている人もいる。

神が与える試練というものが、心にも体にも痛みを与えるものだったりするのなら、それは神が与えたものというより自分が自分に与えたものに他ならないのかもしれない。

だけど、究極のところでそんなものは全て必要ないんだ。

痛みなんてその人が乗り越えられなければ、存在している意味すらないんだから。


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