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一冊の短編集みたいな人生


2023.3.19

大山のとうふ祭りへ。直径4メートルの釜でつくる大山菜という薬草入りの湯豆腐の仙人鍋をふるまっていたので、列に並んでいただく。こま参道で玉こんにゃくを食べ、とうふ料理発祥の店でお昼ごはん。とうふ三品のセットを注文。よもぎの入ったごま豆腐、山かけとうふ、蒸しどうふ、どれも少量でおいしかった。とうふはいい。お腹がぱんぱんにならずに満たされる。

今回はロープウェーまでのぼらず、そのへんをのんびり散歩。前回は雨降りだったから気づかなかったのだが、旅館という旅館の看板に「先導師○○○(人物名)」とある。これは宿坊の主人のことで、大山阿夫利神社まで参拝者を導く役割をしていた人のことらしい。そしてとうふが有名になったのは、その先導師たちが祈祷のお礼に受け取った大豆を丹沢山系のきれいな水でとうふにしたことがきっかけとのこと。

七沢の森林公園に移動し、ひなたぼっことボール蹴り。サッカーたのしい。投げる打つなど手の競技はからきしセンスがないが、蹴ることは好きだ。カフェで仕事のためのアイディア出し後、タイのおかあさんたちが作るアットホームなタイ料理屋さんで夕飯。平塚ららぽーとで用事を済ませて帰宅。

とうふ料理
山かけとうふ


2023.3.20

年に一度の健康診断を春日にて。いつも混んでいるが今日は空いていた。近くの小石川を歩く。伝通院の桜が満開。東京の江戸だった部分がとくに好きだ。狭い路地を狭い空を見上げながらぽつりぽつり歩いていると、かつてここに流れていた時間をふと感じる。私もどこからかやってきていつのまにかどこかへと消えていく風の身にすぎないと思う。米粉パンのビオッサへ寄り、飯田橋へ。秋葉原から浅草橋へ歩き、Yさんとタロットミュージアムで待ち合わせ。経営されているSさんと三人でお話。違う世界にいる方との会話は刺激的。ふたりが福岡がいいよ今、と言うので、ここ最近なんだか福岡にいきたいなーとぼんやり考えていた私はにやにや。

夕方、Yさんと系列のタロットカフェへ。米粉マフィンがすらり。甘くないものが食べたいなあと思ったら目に入ったマッシュルームマフィン、とても美味しくてお土産含めて三つ買う。夜に映える背の高い白い花の木を見上げながら、Yさんと日本橋まで散歩。今というときは今しかないんだなあとあたりまえのことをうすぼんやり思いながら、少しでもよりよい未来のための選択を毎日していけるように努力しようと考えながら、私よりふたまわりも年上のYさんの横を歩く。再会できてよかった。コレド室町の好きなお店を一周見て、赤坂見附へ。仕事終わりのパートナーと帰路につく。


2023.3.21 春分の日

朝から曇天。洗濯、掃除、仕事。たまに通る散歩道につくしが生えていた。さいきん春キャベツがおいしい。昼に牡蠣ときのこと昨日届いたばかりの長ネギと、醤油と黒酢であんかけ。仕事ミーティング。夕方は西鎌倉のオーガニックマートよこいまで散歩。途中通りがかったお墓はどこもきれいな花が供えてあって、ああお彼岸だと思い出した。いつも見守ってくれてありがとう、心のなかにいてくれてありがとう、おじいちゃんとおばあちゃんにまた会える日までここで思いきり生きるね、と空のむこうに話しかける。よこいさんは今年お店を閉めてしまうそうで。それまでできるだけ通いたいな。三浦半島の無農薬いちごがあったので買う。今季はこれがさいごだそう。ずんずん歩いていい汗かいた。

山梨から届いたふきのとうを下処理。だいぶひらいてホロホロになっているので天ぷらはあきらめ、ふきみそに。調理しているそばからとてもいい匂い。天然のアロマ!たきたてごはんにのせて海苔でくるんとひと巻き。菊芋を練り梅と黒胡麻で和えたものも作った。シャキシャキ美味しい。味覚がどんどん繊細になってきていて、食材そのものの味が電気信号みたいにびりびり脳や体にしみる。今年初めて食べるいちご、甘くて甘くて、意識飛びそうなくらい甘かった!ごちそうさまでした。


2023.3.22

庭の花蘇芳が満開!春風に揺れて気持ちよさそう。下を見れば花韮があちこちに。お風呂でシャワーを浴びながら目を閉じ耳を塞ぐと、どこか懐かしい音を聴いた気がした。それは、野とか荒涼とした場所に吹いている風。なにかが始まる時の世界の準備の音。


2023.3.24

昨日から土砂降りの雨つづき。あと三日も降るそうだ。短期のアルバイトで横浜通い。桜木町の好きな本屋で買った宮地尚子さんの「傷を愛せるか」読了。今はだいぶ前に買ったままにしてた「アンネの日記」を読んでいる。はじめてちゃんと読むのだが、アンネがもともと書いていた日記と、一年後にそれを読み返したときにいつか出版することを念頭にして削ったり加えたりして編集したバージョンの、ふたつがあるということを今さらに知った。それは嬉しい発見だった、だって今私が自分の本を作るためにやっていることとまったくおなじなのだから!日記を書き直すということも(感情のままに書いたことをもう少し冷静な自分が書き直すこと)、それを一年後にやっているということも、ぜんぶおなじで、うれしい偶然。大船のタイ料理で夕飯を食べて買い出し。自生の大きなふきのとうが売っていたので、またふきみそを作ろうと思ってひとパック買った。


2023.3.26

アルバイト中、上司に言われた。今日さ、ここにくるまでの電車が人身事故にあったんだよ。その話ききたい?私は、大変でしたね、でも今その話は聞きたくないです、と答えた。そしたら上司が、なにその態度、こっちが大変な思いしているのにさ、おかしいよ、と毒を吐くような言い方をしたのだが、私は自分がおかしいことをしているとは思わなかった。四日間も雨降りがつづき、首や肩にどっと疲れがきたが、足腰は昔に比べて丈夫だと思う。鎌倉へきてから毎日朝夕歩いているからかもしれない。夜はふるさと納税のうなぎを食べた。ふわふわで美味しくて元気が出た。


2023.3.27

たっぷり寝た。左首が痛い。たまに痛くなる場所。この一週間ほどまた喉がつまった感じがしている。耳鼻科にいったほうがいいかも。痔の次は喉か。いつもどこかがおかしい気がする。けれどそれは私の体が発する、今なにかが乱れています、気をつけてねのサインでもある。が、よく健康そのものみたいな年配の方が「もう何十年と病院にいってないですね〜」と堂々と言っているのがふと浮かんだ。ずっと、そうあるべきだと思い込んでいた。病院と無縁であるべきだと。私はとてもじゃないけどそんなふうにはいってないから、だから自分はだめな人間なんだとレッテルを貼ってしまうところがある。この前も鎌倉にきてから行った病院の診察券を数えたら十三はあった。それまでのだって相当ある。けれども、そんな自分を自分とちがうだれかと比べてだめと決めるなんて、とてもくだらないと思う。私はこの体を持って生まれた。病院と無縁の人もいるし、病院とうまく付き合いながら、弱い体をあの手この手で大事にしながら、意識的に生きていく人だっている。私はたまたま後者なだけだ。

数日ぶりに森を散歩。大桜が咲いているかなと思い見にいくが、すでにあとかたもなく散っていた。仕事のミーティングひとつ。ごはんを用意して、けれどあまりお腹が空かなくてちょっとだけつまむ。まだ疲れが残っていて、めずらしく眠くてたまらず昼寝。夕方、三度目のカイロプラクティックへ。自律神経が弱いんですね、そうとうストレスを感じやすいのでは?とのこと。自分じゃ自覚ないんですがと言うと、ほんらいストレスは無自覚なもののことをいいますからね、と。そっかそうだよな。伊藤亜紗さんの「記憶する体」を買う。本屋には必ず欲しい本がある。今必要な本が。

ちょうど十年前だよ、と友人から目黒川の花見に行ったときの写真が送られてきた。友人たちは変わっていないように見えるのに、自分は自分だと思えず、今の自分にこの人から繋がってきてる気がしない、別人みたい、と返すと、たしかにめぐの人生は短編集がぎゅっと一冊につまってる感あるよね、と友人。同じ友人が、高校生の頃、数学だけ異常にできなくて赤点対象者の補習に呼ばれていじける私に「めぐは、答えのあるものが苦手なんだもんね」と言った。さらりと言ったが言い得て妙で、心臓がどきんとなった。そしてうれしかった。平穏より混沌を、楽より困難を選んでしまう私は自分で自分を理解できずにずっと苦しんできたが、そんな自分のままでいてもいいと思えるような、そんなやさしさにあふれた一言だったからだ。自分の知らない自分が映る鏡を必要なときにそっと差し出してくれ、自分では欠点に思うようなことをそこがいいところだよと教えてくれる友人がいることは、意地っ張りで傷つくのが得意でひとりよがりですぐ損な考え方をしてしまう私の、数少ない宝物のひとつだと思う。

目黒川、2013






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