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もぐら
2021年6月30日 17:09
⑪2011/4/## いつだったか、トオル先生がこんなことを言った。「ブルースっていうのは、生活のすべてなんですよ。農園での仕事に疲れ切った黒人が憂さ晴らしをしに酒場に集まって来て、誰に教わったわけでもないピアノで、どこかで聞きかじった伴奏をつけて、一節歌う。例えば……今日もアイツは俺をこき使う、まったく、水を飲む暇もありゃしない、アイツは旨そうなバーボンをラッパでやってるっていうのにさ。今
2021年6月30日 12:15
⑩2011/3/2* テレビは連日、東北地方を襲った災禍の報道を続けている。原子力発電所の建屋が吹き飛ぶ映像を見た時は、いくら遠く離れているとはいえ、私も背筋に冷たいものを感じた。関東地方に影響はないなどと言われても信じることができず、案の定、水蒸気爆発の事故の後、横浜のどこどこでは何シーベルト観測したとか、放射性物質はどちらの方向に散らばっているとかいうことが報道で言われ始めた。世間がパニッ
2021年6月30日 07:00
⑨2011/3/11 二〇一一年三月十一日の金曜日、四年一組の担任が季節外れのインフルエンザに倒れた。担任が急病などで休むと、手空きの職員がフォローにはいるのだけれど、級外というクラスをもたない職員である私は、予定のなかった午後をそのクラスで過ごすことになった。私はこのクラスの音楽を受け持っていたので、子どもたちのことはよく知っていたし、子どもたちも私のことを知ってくれていたから、お互いにやり
2021年6月29日 21:19
⑧2010/12/** その夏、私の祖父が死んだ。老衰であった。私は、実家の神戸に年老いた祖母と母だけを残しておくわけにはいかなくて、年度いっぱいで教職を辞して帰郷する決意を固めた。当然、トオル先生のレッスンも辞めることにした。そのことをトオル先生に告げると、そうですか仕方ないね、と何でもない表情で言った。こんなことは日常茶飯であるに違いない。多くの生徒が先生のスタジオを訪れ、そして去って行っ
2021年6月29日 17:45
⑦2010/8/** ステージに立つトオル先生を見に行ったことがある。 石川町にスローボートという店があって、トオル先生はそこで月に三、四回、土曜日にライブをしている。スローボートはライブハウスというよりはバーと言ったほうが正解かもしれない。だから、普通の客はジャズのライブに来るというよりは、生演奏の聴けるバーに飲みにきている感覚だろう。もちろん私は、飲みに行くというよりはライブに行く感覚だ
2021年6月29日 12:00
⑥2009/12/** トオル先生は無類の酒好きで、正月、酒どころとしても有名な故郷に帰省した私が地元の銘酒を手土産で先生に持って行くと、大変喜んでくれた。「日本酒なんですが、先生のお口にあうといいんですけど」「ありがとう、酒は何でもうまいんです。うん、酒はいい、本当にいいよ……悪かったね」 赤城さんによると私が夜のレッスンを終えて帰った後、その場にいた講師や事務員で一升を空けてしまった
2021年6月29日 07:10
⑤2009/7/** レッスンは月に三回、トオル先生が教室に来ている日から私が選ぶことになっていた。トオル先生が教室にいるのは主に火曜か木曜だったけれど、ライブやツアーの都合によっては月曜や水曜のこともあった。金土日はというと、そもそも私の都合に合わなかったのだが、先生の方でもその曜日は結婚式場の仕事が多かったし、土曜の夜は毎週、石川町のスローボートという店でライブをやっていたから、特別な事情
2021年6月28日 20:21
④2009/5/** 私は、プロフェッショナルを尊敬している。 音楽のアマチュアの世界、特に若い世代の間で、プロとは何かアマとは何かということについての議論は多々あり、時には紛糾し、場合によっては友情の断絶を引き起こしたり、その結果彼らの音楽生活に重大な破綻をきたす原因になったりする。でも、プロであるということは、とても単純なことだ。自分の身につけた技術を顧客の役に立て、自分の収入に換えるこ
2021年6月28日 15:56
③2009/4/** 大学の時、ジャズ研の友だちに誘われて彼らの主催するジャズクラブのステージに上げられ、枯葉なら演奏できそうだと、内心は自信満々ながら、一応控えめに見栄をきったものの、アドリブの途中で見事にドロップして大恥をかいたことがある。ジャズのステージマナーもフォーマットも知らなかったとはいえ、この体験が、いつかはジャズを覚えて、若かった自分を見返してやりたいという復讐心の原動力になっ
2021年6月28日 07:28
②2009/3/** 私がトオル先生に出会うことになったきっかけを話そう。横浜の関内にあるジャズバーでのことだ。面白い形の酒瓶が置いてある店だった。 「その瓶の形は面白いですね。何のお酒?」そう気まぐれに尋ねたら、私の一番近くにいた若いバーテンダーがグラスを拭く手をとめて、私の視線の先をたどった。陶器らしい白色をした、楽器の形を模した何かの酒の瓶。バーテンダーは、「これですか?」と困った顔
2021年6月27日 22:58
① 1995/1/17 一九九五年一月十七日、フルートとクラシック音楽に熱中する高校生だった私は、激烈に振動する断層にたたき起こされた。 阪神地方を襲った大地震は、神戸市に住んでいた私の六畳間をマグニチュード7.3で揺さぶり、私の枕の右側にあった棚の一番上にしつらえてあったビクターのミニコンポを落下させた。カセットのダブルデッキとディスクプレーヤーが一体になったアンプ部分は私の右耳のそばに、