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earthquakin' blues (8/11)

⑧2010/12/**

 その夏、私の祖父が死んだ。老衰であった。私は、実家の神戸に年老いた祖母と母だけを残しておくわけにはいかなくて、年度いっぱいで教職を辞して帰郷する決意を固めた。当然、トオル先生のレッスンも辞めることにした。そのことをトオル先生に告げると、そうですか仕方ないね、と何でもない表情で言った。こんなことは日常茶飯であるに違いない。多くの生徒が先生のスタジオを訪れ、そして去って行ったことだろう。私はその一人にすぎない。
 先生の腰は、この頃には随分よくなっていて、レッスンは相変わらずアルトでこなしていたけれど、ライブの回数は増やしているようだった。一時期休んでいた箱根の結婚式場の仕事も、また始めたようだった。先生のレッスンの約束をとりつけるのが難しくなったが、先生は何とかして私のレッスンができるように、レッスンを前倒ししたり翌月に持ち越したりして工夫してくれた。
 クールストラッティン音楽院では、レッスン生を集めた発表会を年に一度は行っていて、今年は年末にそれが予定されていた。私は仕事が忙しくて、それをいつも断ってばかりいたのだけれど、ちょっと手伝ってほしいとトオル先生に言われて発表会のステージにあがることになったのは、発表会の一ヶ月前のことである。
「その日、俺さ、ちょっとライブがあって発表会出られないんだけど、ドラムの生徒さんがA列車やるのに、フロントがいないから吹ける生徒さんよこしてくれって、ドラムの先生に頼まれたんだよね。タツミさん、悪いんだけど、出てくれない?」
 私はどうしようか少し迷ったけれど、発表会に出るならこれが最後のチャンスだし、またトオル先生の頼みであるなら、受けたいという思いもあった。クリスマス前の土曜日、午前中は仕事がある。午後の遅い時間のステージなら何とかなるだろう。そう言うとトオル先生は、赤城さんに当日のスケジュールを確認して、それで問題ないからよろしくお願いします、と頭を下げた。私の出演が決まった。
 その日のレッスンは、A列車のテーマとアドリブを一通り仕込んでもらって、タツミさんならまあなんとかなるでしょ、とトオル先生は一方的に太鼓判を押した。
「じゃあ、A列車はもういいや。申し訳ないんだけど、そのドラムの生徒さんとスケジュールあわせてもらって、一度合奏しといてください。その時に、アドリブの順番とかコーラスも決めておいてね。多分、テーマに返る直前のセカンドリフは、ドラムソロのフォーバースになると思うんだけど、俺もはっきりきいたわけじゃないから、それも確かめて。ああそうそれから、もちろん暗譜でやってね。……俺が今言ったこと、タツミさんなら分かったでしょ。だから、できますよね?」
 それはまあ理解できたけれど、理解するということと実践できるということは別物だ。大学時代にジャズ研のステージに上げられて大恥をかいたことを私は思い出した。不安はあった。
 平素は忙しさにかまけて、また厳しいながらも優しいトオル先生の心意気に甘えてあまり熱心に練習をしない私であったが、この日を境に一ヶ月、私はA列車の練習に精を出した。まずテーマを暗譜をし、コードを覚え、ホールトーンのスケールとアドリブのフレーズを何度もさらった。アマチュアオーケストラのフルート吹きである私にとって、暗譜というのはかなりハードルが高い。なぜなら、オーケストラでの演奏では基本的に譜面を見るものだからだ。暗譜など、高校生の吹奏楽以来であった。覚える、という実に単純なことなのだけれど、そんなことでも十年以上ブランクがあると能力は失われるらしくて、たった三十小節余りのテーマを覚えるのさえ、かなり時間がかかった。
 やっとテーマを覚えた頃、そのドラムの生徒さんという、私より一回り年上の女性と合奏をする約束をした日が来た。ふわりとしたボブがエレガントな、上品な女性ドラマーは初心者らしく、私は彼女が講師のレッスンを受けているスタジオにお邪魔する格好だった。普段トオル先生とやっている小さなスタジオではなくて、ドラムセットのある大きなスタジオに入ると、そのドラムの生徒さんと、指導をしているプロのドラマーの先生と、同じくプロだというベーシストがいて、どうもピアノレスのトリオらしいということがその時に初めて分かった。
 その場で私の仕事に、イントロダクションのフレーズの暗譜が追加された。ホールノートの印象的なイントロ。難しくはないが、覚えるのが大変だった。私の脳は悲鳴をあげたけれど、どうにか、一度の練習でそれは指に叩き込まれた。
 とにかくやってみよう、とドラムの講師が言うので、セッションの全体の流れを確かめてすぐに、合奏が始まった。フォーマットはトオル先生が予想した通りで、アドリブはサックスとベースにツーコーラスずつ、セカンドリフはドラムソロのフォーバーズで、テーマに戻る。初心者の生徒さんの頼りないカウントインで、私はイントロを吹き始めた。
 テーマは無難にやり過ごして、まずはサックスのアドリブ。私はいくつかミスをしたけれど、ドロップはしなかった。なんとかベースにソロを渡す。ベーシストはさすがプロフェッショナルらしく、危うげなくツーコーラスを終えて、私と目くばせを交わし、セカンドリフに入る。よし何とかなった、と私が胸をなで下ろす思いでいると、ドラムが最初のソロで大きなミスをした。完全にタイムが乱れている。はっとして私はベーシストを見た。ベーシストが構えているのを確かめて、マウスピースを咥える。私たちはセカンドリフのトゥッティをドラムがソロを終えるのを待って始めた。ドラムはミスを引きずっている。次のドラムソロ。さっきのミスで完全に混乱したドラマーはミスを繰り返し、ついにスティックを置いてしまった。音が消えて、音楽が死んだ。
 はいストップ! ドラムの講師がセッションの中断を宣言した。
「ダメだよぅ、しくじっても、とにかく続けないと。いつも言ってるでしょ! 今日はせっかくサックスとベースに来てもらってるんだからさ、時間、無駄にしちゃダメだって。本番、再来週なんだよ、分かってる?」
「はい……すみません。本当に、本当にすみません」
 すっかり恐縮してしまったらしいドラムの生徒さんは、立ち上がって私たちにぺこぺこと頭を下げた。しかし、私だってミスをした。演奏を止めてしまったのはまずかったが、お互い様だと私は思った。私は、気にすることないですよもう一度やりましょう、と励ますつもりで笑顔をつくった。
 ドラムの講師が生徒さんにいくつかの指示を出した後、私に言った。
「ええっと、タツミさんだっけ。南川先生の生徒さんなんだって? さすがに上手だねえ、南川先生が推薦しただけのことあるよ。プロじゃあないんだよね? 目指してるってわけでもないんだよね? 南川先生からは、そう聞いてるけど」
「はい、初心者です。あの、ええと、サックスとジャズについては」
「あっ、じゃあ別に何かやってるんだ」
 フルート吹きの素性を明かすとドラムの講師は、あーなるほどね、と納得したようだった。
「そういう人、結構いる。クラシックやってきたんだけど、ジャズもやりたいって。でもタツミさん、それでも上手い方だと思うよ。よっぽど好きなんだね。それに、忍耐強い。南川先生のレッスンは厳しいから、すぐ辞めちゃう人、結構多いんだよ。熱心な先生だから、ついていけば確実に上達するのは、まあ確かなんだけど」
 私は、いやいやそんなことはと世辞を躱して、笑った。トオル先生については、確かにその通りかもしれない。見学のときに会った生徒さんも、あの後何度か見かけたけど、近頃は見なくなった。
 その日は、もう二三度通して、私は放免になった。私の帰り際、ドラムの生徒さんは、すみませんよろしくお願いします、と何度も頭を下げて私を見送ってくれた。そんなに恐縮しなくたって、私だって初心者だと私は思った。しかし、よろしくと言われたからにはよろしくしないといけない。私は発表会の当日を迎えるまで、ほとんど毎日、なんとか楽器に触れる時間をつくって練習した。深夜のカラオケボックスでサックスを吹いている時、いつだったかトオル先生がスタジオでフレーズを何度も何度もさらいなおしていたことを思い出した。
 発表会の日、午前の仕事を終えた後すぐに簡単な食事を済ませて、発表会の会場へ向かう。クールストラッティンのレストラン兼ライブハウスである二階が会場で、私が着くころには午後の前半がすでに終わっており、ステージは休憩中だった。私は人いきれのするほど混みあった会場を見渡して、エレガントなボブの女性を探し、その姿を階上の隅の、大きなスピーカーの影になって一番照明のとどかないあたりに認めた。彼女は、ステージ用に考え抜いたであろう衣装をまとっていた。
私が近寄っていって、今日はよろしくお願いします、と頭を下げると、彼女は強張った表情でスティックを握りしめながら、はいよろしくお願いします、と無理やりに笑顔を作った。よほど緊張しているようであった。彼女の気合いと緊張がこちらに伝染してこないように、私はすぐにその場を離れて、テナーを組み立てた。
 後半のステージが始まり、私たちのバンドがコールされて、私たちはステージに立った。私の前には、テナーのベルの音をひろうようにマイクが置かれた。照明が代わって、拍手があり、ドラマーの方を肩越しに振り返ると、スティックが震えている。しかしそれでも、彼女のカウントインで演奏は始まった。
 イントロ、テーマは無難に過ぎ去る。私のアドリブ、まるまる一ヶ月指にフレーズを叩き込んだお蔭で、なんとかこなした。ベースソロ、素晴らしい。そして問題のセカンドリフ。ドラムソロは、少し揺れたが、何とかこなした。ようしこれで後はテーマだけだと、私は胸いっぱいにブレスを入れる。
 テーマに戻る二小節のつなぎ、Dmのところで指がもつれた。しまった、と思ったけれど、ベルから放たれた音は、もう取り戻せない。私は半拍ブレイクして、Gのコードを仕切り直す。テーマには何とかつながった。背中を冷汗が伝ったが、私は何食わぬ顔でテーマを吹ききって、セッションを終えた。メンバーがコールされて、私たちはステージを降りた。やれやれ、危なかった。私はすぐにテナーにスワブを通した。ケースを閉じても、まだ動悸がおさまらなかったが、やり終えたことに私は満足した。聴衆はミスに気付いただろうか。
 ドラムの講師と、エレガントなボブの生徒さんがやってきて、私に丁寧に礼を言って暮れた。
「今日は本当にありがとうございました。お蔭で、いい発表会になりました」
「タツミさんやるねえ、また来年も頼むよ。南川先生にも言っとくからさ。よろしくね」
 あのこれよかったらどうぞ、と彼女は私に包みを差し出した。封筒にクッキーが添えられている。こんなものを頂くほどの仕事はしていないのけど、せっかく用意してくれたものを受け取らないのもかえって失礼かと思って、申し訳なく思いつつも、結局私は封筒とクッキーを受け取ってしまった。私は何だかその場にいづらくて、ちょっと用事があって帰らなければならないので失礼します、と用もないのに慌てた風を装って、発表会の会場から逃げ出した。後で確かめると、封筒には新渡戸稲造がいた。私はそれを、普段楽譜を運ぶのに使っているファイルに入れ、そのまま封筒とクッキーのことは忘れてしまった。
 次のトオル先生のレッスンの日、私がクールストラッティン音楽院に行くと、トオル先生は珍しくスタジオの外でコーヒーを飲んでリラックスしていた。私が階段を上がって音楽院に入ると、トオル先生は私を見るなり笑って言った。
「タツミさん、録音聴いたよ。ミスっちゃあ、ダメじゃない!」
 私は頭を掻いてうなだれた。
 トオル先生とのレッスンは年度末までだから、先生と会うのはもう残りわずかだけれど、私にはまだまだトオル先生が必要なようだった。

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