まず、結婚したいのかどうか

いい歳になり、「そういえば」と自問自答するようになった。

私って結婚したいんだっけ。どうなんだっけ。

そもそも逃げ続けていなかったっけ。


いや、たしかに結婚したいほど好きだった人はいたよ。
幼なじみのあいつだったり、忘れられなかった彼だったり、
今でも尊敬している人だったり。



ただ、それって大きな概念で言っていることではあったのだろうと思う。
生活というか、この先も一緒に話せたら嬉しいだろうな楽しいだろうな、という、一方的で妄想的な概念。こりゃだめだ。
一緒に生活や料理ができたら…とか、
もし子どもがいたら一緒にどう育てていこう…とか
おそらくそこまでは考えていなかった。


これを言ったら悪なのではと、人としてどうなのだろうと、ずっと明言は避けてきたように思う。


ただ、できれば、極力、
今の生活を変えずに楽しくいられたらいいとは思っていなかったっけ。
それは、ひとりでいることが
とても好きだからでは なかったっけ。
もうだいぶ昔から。


「結婚願望ないよね?」←既に聞き方が

「分からないです。どっちでもいいです」

「結婚したいの?」

「できるとも思えないですけど」

「恋愛はしていたいの?」

「穏やかでいたいですが、恋愛は好きですよ」

「ララちゃんを見ていると、いつも恋愛しているときは人が変わったように相手に合わせて、気を使ってさ。
そのままのララちゃんがいちばんいいのに。
ララちゃんはそのままがいいのに」

「このままの自分でうまくいくわけないじゃないですか。
できないことだらけですし、なんか変だし、自分勝手ですし、恋愛対象に見られませんって(…いや、気を使って自分を出していなくてもうまくいかないことのほうが多くないか?とも思うけれど)。」

「その自虐がよくわかんないんだけど、とにかくララちゃんなら結婚はしません!でも恋愛はします!と宣言しちゃって、自分で関係をコントロールするほうが向いてるんじゃないかとも思うよ」

「ええそうですかね…?ただまだ絶対結婚しませんと決めているわけではないんですよ」

「まあ、そりゃそうか。市場にどれぐらい素敵な男性が残っているかという話ではあるけど、ララちゃんの場合は大丈夫よ」

「─どういうことですか?」

「ララちゃんの好きになる人はちょっと変わったタイプばっかりだから、元々ニッチということで。変わっている人なら、むしろまだまだ市場にいるのでは」

「確かに(ライバル…少ない…?)」

決して乏しめているわけではなく、変わっている人でも素敵な人はたくさんいるからね。
自分もある程度は変わり者だと自覚しているので納得したのです。
私もまだ漂っているんですよ。


この会話をしたのは1、2年前。
少し時間が経ち、このやり取りが前より理解できるようになってきた。


これからどんな変化があるのかは分からないけどさ
結婚がしたくて、その先のストーリーを描きたくてたまらなかったときって
私のこれまでであったのだろうか。
いや、ないのでは(反語)。

漠然とだし、まさかの展開もないし、婚約まではしたことあったが(えーっ)それもまあ成り行き。



確固たる人生プランがあったなら、絶対にこうしたい!と
掴みたい、叶えたい気持ちがあったなら
私のことだから、とっくに掴もうとしているはずなんだよな。
客観視してみても。

行きたいコンサートにはだいたい行けてきたし、
コンビニの機械に並んでチケ取りを試みたら突然北海道の公演に空きが出て、そんなときは北海道にも行ったし、
コロナ禍前は突然遠征したりは日常茶飯事。
ひとりでいろんな場所に出向いたり、映画館もラーメン屋もだいたいひとりで行くし、
フェスにもひとりで行っちゃえるし、
好きな業界で仕事ができたし、誰もが羨むような舞台裏に関係者として潜入できたりもしたし、
絶対やりたいと思っていたコピーライティングの仕事もできて、なぜか今は人に教える機会すら生まれつつあるし、
進学先だって、当時の学内から私ひとりしか志願しなかった学校だったし(知ってる友達がいない…とか、なんにも気にならなかった)、
あれ、ひとりが好きなのか、一緒に行く人がいないからひとりなのか曖昧になってきたけれど


とにかく、誰もやっていないけれど自分がやりたいこと、
自分が望むことなら、人の目関係なくやってきた。



その私が「うーん」「もう少しいいか、このままで」「一緒にいるのつらい」「向いていない」「このままでいい。なのか、このままがいい。なのか」
とか、ずっと迷って逃げ続けているなら
本当に欲しいことではないのかもしれないなと。
あくまで今は、かもしれないけれど。


まあ、自分だけが望んでいてもどうにもならない、それが相手ありきの関係とも言えるけど、
ひとりで軸を持って選択できるシーンのほうが自分に自信が持てるし、少しだけ自分のことが好きになれるのも事実。


価値観を変えるきっかけや、本当にこのままの自分を出しても問題のない相手がいてくれたら また気持ちに変化が生まれるのかな。
そこに恋愛感情が成立すれば。


自由に好きな時間を過ごして、たくさん書き物ができて、自分のお金を好きなことに使えて、ダラダラできて、動物とも長くいられて、素敵な人たちに囲まれて、興味のあることに挑戦できて、
うん、それ全部結婚してもしなくても多分できることはできるけれど、ひとりのほうが身軽ではあるんだろうな。
選択してこっちを選んでいるわけではないとまだ少しジタバタするけれど、選択しているのかもねえ。


ここから価値観が変わることはあるのだろうか。
別居婚っていいんじゃないかなあと思っているあたり、時代の変化に感謝しているあたり、どうなの。


そういえばaikoや若林は結婚しないのかな、恋愛をし続けたり悩んだりして生きていくのだろうかと勝手に思っていたのだけれど、したしなあ。
変わるのかなあ、それとも、本当はずっとしたかったのかな。


かといって、したほうが全員えらい、していないほうは全員欠落している、そういうわけでもないとは思うし。
私は欠落しているかもしれないけれど、
世の中の結婚したことがない大人がすべて欠落しているとはどうしても思えない。
素敵な方がたくさんいるもの。


ただのその人を表す事実のひとつ、なのかな。
既婚か独身かって。
前者は誰かに選ばれし者
後者は誰にも選ばれなかった者
という潜在的な分け方をしている、
それゆえの穿った見方が
どうしても多いように思うけれど
仮に私が今後、結婚したとしても
選ばれし者というわけでもないと思う。
素敵な既婚者はたくさんいるが
単に波長が合う人同士なら、極端な話
どんな性格でも、素敵なところばかりではなくても
結婚しているのではないかとかね。
変な意味ではなくてね(?)。

それこそ、私がタトゥーのように
「ひとりが好きだから結婚は向いていない」
「自由が好きだから結婚は向いていない」
「自分勝手だから結婚は向いていない」
「趣味が多いから結婚は向いていない」
「動物と離れたくないから結婚は向いていない」
と向いていない理由を刻みつけているとしても
ひとりが好きな人同士、自由が好きな人同士、
動物が好きな人同士でなら逆にマッチする可能性もあるからね。
その場合はまったく自分の性格も生活も変えずに既婚者になる可能性も 
わずかにはあるのかもしれないし。
いや、例えですよ。


これは永遠の問いなのかもしれない。


また少し時間が経ったら、
そのときの私はどう思っているか
変わったのか、変わっていないのか 
書くことにする。


とりあえず、今は穏やかで楽しくて満たされていることが多いです。
寂しい瞬間ももちろんありますよ。
でも結婚しそうになったときのほうが色々と寂しかったし虚しかったな。


恋はいつもしてますよ、なんてさらりと言えたらいいなとも思うけど
していてもしていなくても、生活できることってありがたいから。


この前も嬉しいことはあったし、
これからもあるかもしれない。
でも、できれば自分が浮かれずに普通でいられたらいいなと思っている。
そのほうがたぶんちょうどいい。
自分を大きく見せすぎないように、いい加減なれたらいい。


ふしぎな話だね。ほんとに人それぞれだ。

この記事が参加している募集

眠れない夜に

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?