京都府内の石造物⑯:即成院宝塔(伝・那須与一の墓)
名称:即成院宝塔
伝承など:那須与一の墓
所在地:京都府京都市東山区泉涌寺山内町 即成院
即成院は皇室の菩提所として知られる泉涌寺の塔頭であり、平安時代後期に橘俊綱(藤原頼通の子)によって創建されたと言う。
同寺は弓の名手として名高い那須与一宗高ゆかりの寺で、屋島の戦いの後で病気平癒のためにこの寺を訪れた与一が、阿弥陀如来の前で没したと言う伝承がある。
境内には那須与一の墓と伝えられる宝塔があり、本堂の奥から渡り廊下(二枚目)を進んだ先の堂内に祭られている(創建者の橘俊綱の墓と言う説もある)。
宝塔は笠以上は後補で、塔身のみ当時のものであるが、平安時代末期から鎌倉時代初期の作と考えられ、宝塔の作例としては極めて古い部類に属し貴重である。
伝承はともかく、石塔の時代だけで言えば、那須与一の活躍時期とは概ね合致する。
なお、宝塔が納められている堂は2019年現在耐震工事のために一時的に撤去されており、宝塔の全景を見ることが可能である。
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