雑記:川中島周辺

武田信玄の話題が続いたので。数年前に長野県長野市の八幡原史跡公園を訪れた時のこと。

この周辺は、所謂「川中島古戦場」で、八幡原は『甲陽軍鑑』にある武田信玄と上杉謙信が一騎打ちの舞台でもある。

元々は八幡神社や石碑があるだけであったが、1969年の大河ドラマ「天と地と」の放映を機に史跡公園として整備され、公園内には長野市歴史博物館も建設され、八幡神社の参道には土産物屋なども建ち並んでいる。

境内には、信玄と謙信の一騎打ちを再現した銅像もあるが、なかなか臨場感のある良い銅像である(私が訪れた時は「八幡原史跡公園」であったが、2017年より「川中島古戦場史跡公園」と改称された)。

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史跡公園にほど近い典厩寺は、第四次川中島の戦いで戦死した信玄の弟・武田信繁の菩提寺で、当初は鶴巢寺と言ったが、江戸時代初期に松代藩主であった真田信之が寺号を信繁の官名にちなんで典厩寺と改めた(信繁の官名は左馬助で唐名が「典厩」)。

境内には信繁の墓があるが、自然石の墓碑は後年に建てられたもので、傍らにある小型の五輪塔が元来の信繁の墓である。

二基ある五輪塔のうち、向かって右側が信繁の墓で、左側の五輪塔は信之が造立した真田信繁(幸村)の供養塔であると言う。

どちらも戦国時代末期から江戸時代初期の五輪塔であり、造立年代は伝承と概ね合致する。

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古戦場史跡公園から長野市中心部方面にしばらく行った下氷鉋の交差点の近く(交差点角にあるセブンイレブンの南)には、信繁同様第四次川中島合戦で戦死した武田方の武将・諸角豊後守虎定の墓がある(石塔は五輪塔と宝篋印塔の乱積み)。

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また、JR篠ノ井駅の東方には、武田方の出城・横田城の跡地があり、近くの地蔵寺には横田城主であった原大隅守の墓とされる石塔がある。

この原大隅守は、『甲陽軍鑑』において第四次川中島合戦の際に、謙信の馬に槍を入れて信玄の危機を救った人物として描かれている。

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