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【甲陽軍鑑】典厩寺に行ってみた

永禄4年(1561)9月10日は武田信玄と上杉謙信(政虎)が信濃の川中島で戦った日。一騎打ち伝説が生まれ映画やドラマで有名な第4次川中島の戦い。信玄として痛恨の極みは優秀なNo.2だった弟・信繁の戦死では。今あの人がいてくれたらと悔やんでも仕方ないのならやるしかないのですよね。

歴史・人物伝~エピソード編⑧:武田信繁「兄・信玄とともに戦国を戦った弟」

道端での歴史や先人たちの想いとの出会い。 - 武田信繁の墓・小田井城址 -

雑記:川中島周辺

4年前

永禄4年(1561)9月10日は武田信玄と上杉謙信(政虎)が信濃の川中島で戦った日。前日深夜に武田別働隊が妻女山へ本隊は八幡原へ布陣。朝霧が晴れると武田本隊の前には察知して下山していた上杉軍が布陣していた。虚を突かれた武田軍は別働隊が到着するまで劣勢を強いられる戦いとなった。

天文10年(1541)6月14日は武田信虎が嫡男の晴信(信玄)により娘婿の今川義元のもとへ追放された日。以前は信虎の様々な悪行や晴信との不仲が理由とされた。最近は理由も見直されており、度重なる戦や飢饉など重なり国人衆の不満が爆発しないよう晴信や重臣が抑えるため動いたともいわれる。

歴史・人物伝~謙信の戦い編⑨武田軍の総崩れを狙った上杉軍の総攻撃