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【3分で読める世界史】オスマン帝国の最盛期

イスラームの盟主となり、発展を遂げるオスマン帝国。

スレイマン一世により、その発展はさらに加速することになります。

この記事を読めば、オスマン帝国の最盛期の様子が分かります。


①オスマン帝国のヨーロッパ進出

ウィーン

1520年、第10代スルタンにスレイマン1世が即位し、オスマン帝国は全盛期を迎えます。

まずサファヴィー朝からイラクを奪取。次にいよいよ中央ヨーロッパへ進出しました。

当時ハプスブルク家に悩まされていたフランス王と手を組み、土台をつくると、1526年モハーチの戦いでハンガリー王国を撃破。そのほとんどの支配権を得ました。

さらに1529年にハプスブルク家の拠点となっていたウィーンを完全に包囲。あと一歩で陥落というところまで迫りました。(冬の大雪により撤退)

この第一次ウィーン包囲は、ヨーロッパ諸国に衝撃を与えました。


②海上交易の制圧

地中海

つづく1538年、陸だけでなく海の軍事組織も強化したオスマン帝国。

今度はスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊を、プレヴェザの海戦で撃破。

地中海の制海権を完全に手中に入れます。

さらにインド洋では、紅海、ペルシア湾へのポルトガルの侵入を防ぎ、地中海貿易を独占しました。


③スレイマン1世の治世

コーラン

スレイマン1世は対外進出だけでなく、国内の統治にも力を入れました。

イスラーム法の枠内で、行政法(カーヌーン)を整備し、中央集権体制を確立します。

また同盟を結んでいたフランスの商人に貿易特権(カピチュレーション)を与え、交易を活性化させました。

のちに、カピチュレーションは制度化され、ほかの国にも与えられていきます。


終わりに

まとめ

いかがだったでしょうか。今回はオスマン帝国の最盛期をお届けしました。

次回は、オスマン帝国の衰退についてお話させていただきまし。お楽しみに!


参考文献


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