![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/58127523/rectangle_large_type_2_893f60b8f31ee266e078a68fe8f48d7d.png?width=800)
【3分で読める世界史】オスマン帝国の最盛期
イスラームの盟主となり、発展を遂げるオスマン帝国。
スレイマン一世により、その発展はさらに加速することになります。
この記事を読めば、オスマン帝国の最盛期の様子が分かります。
①オスマン帝国のヨーロッパ進出
1520年、第10代スルタンにスレイマン1世が即位し、オスマン帝国は全盛期を迎えます。
まずサファヴィー朝からイラクを奪取。次にいよいよ中央ヨーロッパへ進出しました。
当時ハプスブルク家に悩まされていたフランス王と手を組み、土台をつくると、1526年モハーチの戦いでハンガリー王国を撃破。そのほとんどの支配権を得ました。
さらに1529年にハプスブルク家の拠点となっていたウィーンを完全に包囲。あと一歩で陥落というところまで迫りました。(冬の大雪により撤退)
この第一次ウィーン包囲は、ヨーロッパ諸国に衝撃を与えました。
②海上交易の制圧
つづく1538年、陸だけでなく海の軍事組織も強化したオスマン帝国。
今度はスペイン・ヴェネツィア・ローマ教皇の連合艦隊を、プレヴェザの海戦で撃破。
地中海の制海権を完全に手中に入れます。
さらにインド洋では、紅海、ペルシア湾へのポルトガルの侵入を防ぎ、地中海貿易を独占しました。
③スレイマン1世の治世
スレイマン1世は対外進出だけでなく、国内の統治にも力を入れました。
イスラーム法の枠内で、行政法(カーヌーン)を整備し、中央集権体制を確立します。
また同盟を結んでいたフランスの商人に貿易特権(カピチュレーション)を与え、交易を活性化させました。
のちに、カピチュレーションは制度化され、ほかの国にも与えられていきます。
終わりに
いかがだったでしょうか。今回はオスマン帝国の最盛期をお届けしました。
次回は、オスマン帝国の衰退についてお話させていただきまし。お楽しみに!
参考文献
最後までお読みいただき、ありがとうございます!とても嬉しいです。 もしサポートいただけたら書籍を買って、世界史記事に厚みをくわえます!