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「せっかく、女の子を産んだのに」という母の一言が忘れられない。

「結婚式はしない」
そう宣言するわたしに、母は眉間に皺を寄せた。

浅瀬程度かもしれないけれど、驚く気持ちも、悲しい気持ちも少しはわかる。母の世代では結婚式を挙げるのは当たり前の出来事だったのだから、結婚式を挙げないだなんて、衝撃の一言だったに違いない。

その悲しみにやさしく寄り添える立派な娘であれば良かったのだけれど、「せっかく、女の子を産んだのに」と言葉がつづいて、いたたまれない気持ちになった。

一人っ子のわたしは、俗に言う「両親からの愛を一心に受ける一人娘」というヤツだ。一人っ子=両親から一心に愛を受ける、という見方・考え方には疑問を呈したいけれど、今は置いておこう。一人娘という事実は変わらない。

一人娘を育てた母にとっては、わたしにすべての期待をかける他ない。わたしが結婚式を挙げなければ、子どもの結婚式に参加することはできないし、わたしが子どもを産まなければ、孫を可愛がることはできない。

だから「結婚式を挙げてほしい」と願ってしまう気持ちは、理解できる。だけれど、それを「せっかく女の子を産んだのだから、ウェディングドレスを着て、みんなからの祝福を受けてほしい」というのは、些か違和感がある。

わたしたちは色とりどりの命を抱いて生まれてきたわけで、「女の子」や「男の子」として、今ここに立っているわけではない。

性別は、一つの情報だ。わたしたち人間は性別という枠を取っ払って、もっと深いところでつながれるはずだ。「女の子」だなんて雑多な枠組みに、わたしたち人間は収まらない。収まるはずがない。

ウェディングドレスだって「一度着てみたい」という願望はあるけれど、わたしは恐らく試着して写真を撮ったら満足してしまうだろう。むしろ俳優の山本美月さんと瀬戸康史さんのように二人で白いタキシードを着こなす姿に憧れている。
(お二人が結婚報告とともに掲載した写真です。どうぞ検索してみてください。ファッション、構図ともに素敵すぎて、お二人の美しさに悶えます。)

「結婚式を挙げてみんなから祝福される」のは、もちろん嬉しくありがたいことではあるけれど、結婚式を挙げなくても祝福してほしいーーと思ってしまう。

結婚式を挙げない事実に「かなしい〜〜」と口を尖らせられても、どうして人の結婚事情に対して自分勝手に物事を言うのだろうかと、モヤモヤとした気持ちが生じてしまうだけだ。

誤解されないよう一つ補足すると、わたしは女性の枠組みに入れて物事を大まかに判断されたくはないけれど、女性という性別を得て産まれたこと自体は嬉しく思っている。それなりに楽しい人生も送れている。
産んでくれて、ありがとう、お母さん。

ただ、

「女の子であること」と「結婚すること」
「女の子であること」と「ドレスを着ること」
「結婚すること」と「結婚式を挙げること」

は、どれもイコールでは結ばれない。
もちろん結婚式を挙げたって、ドレスを着たっていい。けれど、それが常識であるかのように人に反論したり、強要したりするのはやめて欲しい。

「そういう考え方もあるのか」と受け止めて、その答えに至った理由を聞いてくるのは一向に構わない。聞いたうえで「説得したい」と思ったのなら、そうすればいい。だけれど固定観念をもって、頭ごなしに言葉を投げつけるのはやめて欲しいのだ。

くわえて、この思いを「多様性の時代」なんて軽い言葉でまとめあげないでほしい。
多様性はずっとずっと、ここにあった。
見えていなかっただけで、人間のなかにずっとあったものだ。ようやくそれがフォーカスされるようになってきただけ。見えるようになってきただけ。

「常識」とか「当たり前」とか「ふつう」って、何なのだろう。わたしたち一人ひとりが、生きてきた道でしかないのにね。
誰もが生きやすい世界になったら、良いね。

by セカイハルカ
画像 : hum.さん(アンニュイ感、すき!)
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