アメリカの鱒釣り

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ブルータスの「村上春樹の私的読書案内。51 BOOK GUIDE」でも紹介されていたリチャード・ブローティガン著、藤本和子訳の短篇集(?、47の短い物語集)。原著1967年、訳本刊行は1975年。

【出版社Webによる紹介】
藤本和子訳『アメリカの鱒釣り』は、翻訳史上の革命的事件だった。──柴田元幸。世界で200万部のベストセラー。魔法のように美しいブローティガンの最高傑作ついに文庫化!

二つの墓地のあいだを墓場クリークが流れていた。いい鱒がたくさんいて、夏の日の葬送行列のようにゆるやかに流れていた。――涼やかで苦みのある笑いと、神話めいた深い静けさ。街に、自然に、そして歴史のただなかに、失われた〈アメリカの鱒釣り〉の姿を探す47の物語。大仰さを一切遠ざけた軽やかなことばで、まったく新しいアメリカ文学を打ちたてたブローティガンの最高傑作。

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始終、すさまじい切れ味の比喩の連続。もう、これは感覚で読むっきゃないと序盤から。藤本和子さんの訳文がとてもかっこよくて、こんなのが1975年に出てきたら、しびれたんだろうなぁ…というのは僕にでもなんとなくわかった。

たとえば好きな話だと「アル中たちのウォルデン」、これは蚤のサーカスの話や、ぬくぬくした精神病院への願望がえがかれている。

「ボトルワインによる鱒死」、これは「ますじに」って読むんだけど、原文はわからないんだけど、この体言止めはじわじわくる。すごくいい。
で、ブローティガンが、ボトルワインを飲んで死んだ鱒なんてどの本を読んでも見当たらないと、20ほどの著書と著者を列記するんだけど、訳者註によるとこれは実際にある本ばかりだそうで(笑)ぶっとんでしまった。ブローティガンもブローティガンだが、訳者も訳者であるというこの協同作業がこの本のおもしろみを高めている。

「レオナルド・ダ・ヴィンチ讃歌うたう日曜日の半日」は、「最後の晩餐」っていう擬餌鉤(ぎじばり…釣りの話なのでね)を開発して、原爆とか、マハトマ・ガンジーとか、そういく浅薄な業績を遥かに凌ぐ、二十世紀最大のセンセーションとなる話なんだけど、僕の大好きなマーク・ストランドの小説世界というか、オフ・ビートというか、意味など完全に超えていっているのが大好きだ。

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訳者あとがきによると、ブローティガンはユニオン広場にふらふらと現れ、若者からの「アメリカの鱒釣りはどういう意図で書かれたんですか?」的な質問にも話すなど、そういう庶民的なところ、弱者へのまなざしというのがあった様子。

柴田元幸さんの解説もあり、当時の柴田さんがこのブローティガンの作と藤本さんの訳で感じた解放感をみずみずしく述べられている。すごく良い。藤本さんへのリスペクト。
で、これは読んでいてずっと思ったけれど、ブローティガンの作と、この藤本さんの訳があってこそ、村上春樹さんはずいぶん影響を受けたんだなぁということも感じられたのが良かった。

こういう本に出会えるとほんとにうれしくなる。初のブローティガン、かっこよかった!

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<赤いドレスの女>については、わたしはやはり正しかった。十分後に、かれらが、砂場のジョン・ディリンジャーを撃ち倒したのだった。機関銃の音に驚いて、鳩どもはそそくさと教会へ入って行った。
 その直後、わたしの娘が大型の黒自動車で去った。目撃者がいる。娘はまだ喋れないのだが、そんなことはどうでもいい。赤いドレスのせいなのだ。
 ジョン・ディリンジャーの屍体の半分は砂場に、残りの半分は砂場の外に横たわっていた。男子用便所寄りというよりはむしろ女子用便所寄りに。動物性マーガリンがまだ白いラードみたいだった良き時代に使われていたチューブから中身が出てきたときみたいに、かれは血を流していた。
 大型の黒自動車が動きだし、屋根を蝙蝠のように光らせて、道を行った。そして、フィルバート通りとストックトン通りの角のアイスクリーム屋の前で止まった。
 警官が車からおりて店に入り、ダブルのアイスクリーム・コーンを二百個も買った。それを車に積み込むために、かれは手押車を使わなければならなかった。

(「砂場からジョン・ディリンジャーを引くとなにが残る?」より一部引用)

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