遠い声、遠い部屋
カポーティの小説はいくつか読んできたけれど、『無頭の鷹』での不気味さを始終醸し出しつつ、主人公は13歳の少年だ。
話の展開(展開というより描写)は後半に進むにつれてどんどんドライブ(というより訳者のいうように確かにジェットコースター)していき、ひきこまれていくというよりもむしろ突き放されていく感じを受けた。
ところが僕(誠心)の中では主人公ジョエルと、同年代の女の子であるアイダベルがいつまでも定点にあるようで、少しずつたくましくなっていくジョエルを落ち着いて見守りながら読んだ。特に第七章のジョエルとアイダベルの会話からとっくみあいのあたりが印象に残った。
訳者があとがきに書いているように、特に後半の翻訳はかなり難儀したらしい。僕も読みながら、「この原文って何なのだろうか…」と考えながら読むことが多かったし、訳者の翻訳にかける熱情(むろん静かなる蒼い炎)が随所で伝わってきた。
これがカポーティの「半自伝的」作品とは、読み終えてから新潮社のサイトで知った。
【著書紹介(出版社Webより)】
新鮮な言語感覚と幻想に満ちた華麗な文体で構成された本作は、1948年に刊行されるやいなや、アメリカ中で大きな波紋を呼び起こした。父親を探してアメリカ南部の小さな町を訪れたジョエル少年の、近づきつつある大人の世界に怯え屈折する心理と、脆くもうつろいやすい感情とを描いた半自伝的なデビュー長編。
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最後に話はそれるが、訳者はその作家人生において、翻訳業のコンプリートに入っているのではないかと感じる。
フィッツジェラルドの『最後の大君』は訳されないと思っていたが訳された。来月に新刊として出るマッカラーズの『悲しいカフェのバラード』はそのうち訳されると思っていた(案の定)。カポーティの本作も、訳者としてはそういった作品の一つに位置づけられるのだと思う。(ちなみにグリシャムの『「グレート・ギャツビー」を追え』の続編は別の方が訳されている)
さすがにチャンドラーの書き出しに別の方が大半を書いて完成させた『プードル・スプリングス物語』の訳出はされないと思うけれど…。
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