言葉が好きだ、そうだ手紙を書こう
題名にある通り、わたしは言葉が好きです。
小さい頃から読書ばっかりしていたからか、ボキャブラリーだけは富んでいる方なんじゃないかと勝手に思っているし、そう言われることも多々あります。(なぜか漢字はほぼ読めませんが)
読書をして色んな言葉を頭に入れてきたからか、言葉や表現に対する思いや熱量、こだわりは誰一人強いし、気持ち悪いほどです。
昔から自分の言葉や表現を素直に受け入れてくれて、それに対する評論だったりをしてくれる人、熱い熱量で語り合ってくれる人を見つけてはその人と言葉の話ばっかりしてしまいます。
小学生のころからどうしても「やばい」というオールマイティな単語が嫌いで、使わないようにしていました。
「やばい」は「美しい」という意味にも「凄い」という意味にも、そして「最悪」「気持ち悪い」というようなマイナスな形容にもなる非常に便利な言葉です。
その反面、それ故に語弊が生じることもあります。
それ以上に当時の私が危惧していたのは、「やばい」を使うことで日本人が古来から使ってきた美しい形容詞を使わなくなって、自身の語彙力も日本の言語文化も失われてしまうということ。
どんだけませたイキリ自称言語学者小学生だよ!!とは思いますが、当時の私が言っていたことは中々核心をついているのではないでしょうか。笑
あと、これは色々な方が仰っているのをSNSで見かけるのでよくある例ですが、
音楽は「聞く」ではなく「聴く」だったり
映画は「見る」ではなく「観る」だったり、
私自身が音楽鑑賞映画鑑賞が大好きなので、そういうこだわりもあります。
英語だとhearとlisten、lookとwatchとseeなど単語自体で用例が絞られてくるのですが、
日本語は音に漢字で意味を加える言語ですから、
中々ややこしいものです。
そこに美しさがあって日本語に惚れ惚れしてしまいますが。笑
10万年前から人類は言語を扱うようになり、そして文字が誕生し、太古の歴史を記録してきました。
今となってはスマートフォンを使って、SNSのメッセージで言葉を並べて相手とやりとりをする、そんな事が日常になっています。
SNSを使ってのやり取りは便利だけど、人生相談等々深刻な話をしているのに、どうもしっくり心に頭に話が入らない、、、
私のこと褒めてくれているのに、本当にこの人が発している言葉なのか分からなくなる、、、
私なりに考えて頭の中で捻り出した言葉なのに、実際に画面に出してみると、どうも自分の言葉なのな信じがたくなる、、、
つまり私はSNSは人の心の核まで伝える能力があるコンテンツとは言えないと思うのです。
だからわたしは手紙を書く。
小さい頃からちょっとしたことがあっては、誰かに手紙を送っていました。
ほんとうにほんとうに素朴で華がない話でも、私の字で書いた言葉だから私のものになるし、私の頭の中そのままを映し出してくれます。
今は業務連絡だったり、くだらない話はSNSのメッセージで伝え合いますが、
卒業してもう会えない時
1年間お世話になった人に自分の思いを伝えたい時
特になにもないけれど、伝えたい思いが、考えていることが溢れてしまってどうしようもない時
そんな時わたしは必ず手紙を書きます。
なぜだか、手紙だけには素直になれるようです。
鉛筆と便箋と、頭の中が繋がって、書いている途中はずっとその人のことだけを考えられる。
手紙に書いた言葉は疑いようもなくわたしの言葉だし、そこに書かれているのは私の本音であって、あなたに伝えたいこと。
そんなわたしは今日もあの子に手紙を書きます。
言葉を大切にすること。それは変なこだわりを持つことではなく、相手を大切にすることだと思います。
一言一句きちんと選んだ言葉で話せば、書けば、少しでも相手を喜ばすことができるし、尊重できる。
あなた次第で相手に与える印象を変えることが出来るのです。
ほんとに言葉は素晴らしいんだゾーーーー!!!!
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