HIRAMA

都内で大学院生をやっています。専攻は政治思想です。 細々とやっていきます。

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最近の記事

徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー④(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

13 支配と被支配という考えは、配分の考えには全く適さない平等の考えを伴っていた。ある人が政治的・配分的プロセスにおいてその人の社会的人格に適する分前や役割を与えられ、また別の人物が彼の分前や役割を与えられれば、各人(cuique)には各自のもの(suum)が与えられた、と言えるのであろう。しかし、支配と被支配という考え〔古代ギリシア的な意味における市民であるということー訳者〕は以下のことを求めたのである。すなわち、ある一つの基準以外のあらゆる基準から見て、各自に与えられた分

    • 徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー③(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

      9 ディクタトルや修辞学者、人文主義者によって用いられる共和主義的な語彙が自由における積極的な考えをはっきりさせた。すなわち考えとは、人間、特に政治的動物としての人間はそのように成り立っていたため、人間の本質は市民的生活において実践される活動的生においてのみ完成されたということ、また、リベルタスの本質はそのような生活の実践に対する制約がないことにあったということ。結果として、都市はインペリウムという意味におけるリベルタスを有していなければならず、市民は支配し支配されるために

      • 徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー②(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

        4 この最近の歴史叙述における重要な出来事は、シヴィック・ヒューマニズムあるいは古典的共和主義とさまざまに名付けられているものに与えられた重要な役割であった(2)。前者になされた多数の反対意見があるにもかかわらず、私はシヴィック・ヒューマニズムを幾分好み続けている。こうした反対意見は、ヒューマニズムという言葉の使用方法は69通りあり、そしてそれらを統合したいという強い願望によって引き起こされた混乱から生じている。その結果、ある研究者がシヴィック・ヒューマニズムという言葉を用

        • 徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー①(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

          上に挙げたポーコック論文集の第二論文を、以下で翻訳していく。 1 政治思想史は伝統的に、法学の研究に深く影響を受けてきた。しかし近年、興味深い揺れや変動が幾分生じてきている。法学の言語とは著しくかけ離れていた政治についての語り方(modes of talking)が歴史学的に目立つようになってきた。政治思想の歴史叙述が現在、法学中心のパラダイムと私が主張しているものに揺り返している兆候はあるにもかかわらず、その編み針が最初の地点に戻ることはないとわれわれは強く思っており、し

        徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー④(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

        • 徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー③(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

        • 徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー②(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

        • 徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー①(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

          言語とその含意―政治思想研究の変容⑥(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          33 言語上の混乱、あるいは、見せかけの哲学的な主張が一つある。それは観念論―唯物論の二項対立に由来しているものであり、パラダイム思考、特に政治的なパラダイム思考の歴史家(the historian of paradigmatic, and especially political, thinking)はその二項対立を完全に拒否しなくてはならない。これは、超知的なもの(extra-intellectual)や超言語的なもの(extra-linguistic)を「現実」と呼び、

          言語とその含意―政治思想研究の変容⑥(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          言語とその含意―政治思想研究の変容⑤(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          30 次に、以下のことをを仮定してみよう。過去の思想において発見された含意(the implications uncovered in the thought of the past)が、われわれ自身がそうするより前に明らかにされたことは決してなかったとわれわれが断言したい、と。つまり、著者自身が意識していない、少なくともわれわれが著者のパラダイム的状況を提示するために用いる(パラダイム的に確定した)言葉(the (paradigmatically determined) t

          言語とその含意―政治思想研究の変容⑤(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          言語とその含意―政治思想研究の変容④(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          2024年5月5日 再翻訳編集 「パラダイム(探究)に対する歴史家の態度」 26 取捨選択は必要である。なぜならば、ある発話はその進展(its career)のいかなるモーメントにおいても、一つ以上の意味を持ち一つ以上の歴史に関わってきたかもしれないからだ。われわれは語るに適しているとわれわれが感ずるその歴史を選択し、その選択を表明する義務にただ答えているのである。それは主観的でもなければ独我論的(solipsistic)でもない。なぜならば、歴史家として、われわれは何らか

          言語とその含意―政治思想研究の変容④(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          言語とその含意ー政治思想研究の変容③(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          ※ 2024年4月30日 再翻訳編集 ※ 誤訳や構文の取り間違い、また、より良い表現があればご指摘していただけると幸いです。 21 政治思想の歴史は、パラダイム使用の変化、パラダイム探求の変化、そして、パラダイムの探究のためのパラダイム使用の変化の歴史として定義されるかもしれない。しかし、政治的パラダイムの特徴を考慮する際に、われわれは以下のことを論証してきた。それは、多様な機能と多様な起源が共に作用して、政治的パラダイムを用いることは多義的であり両義的なままであるという

          言語とその含意ー政治思想研究の変容③(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          言語とその含意ー政治思想研究の変容②(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          ※2024年4月18日 再翻訳編集済 ※ 誤訳や構文の取り間違い、また、より良い表現があればご指摘していただけると幸いです。 個人的副題 「実証主義・言語分析的方法に対する批判、クーンのパラダイム論、科学的共同体と政治的共同体との差異、政治的共同体のパラダイムと政治的言論につて」 10 15年ほど前には優勢であった実証主義と言語的哲学〔分析哲学〕(5)ー現在のロマン主義的な表出のモーメントにおいてその時代を思い起こすことは困難かもしれないがーは、そもそも政治哲学なるもの

          言語とその含意ー政治思想研究の変容②(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          言語とその含意ー政治思想研究の変容①(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          ※2024年4月12日 再翻訳編集 『マキャヴェリアン・モーメント』の翻訳者のうちの一人である田中秀夫先生は、この論文について、以下のような評価をしています。 便宜上、段落番号を振りました。個人的に重要であると感じた部分を太字で強調しました。ポーコックの英語はなかなかにハードであるため、誤訳や構文の取り間違い、また、より良い表現があればご指摘していただけると幸いです。 以下、本文の訳です。 個人的な副題 「これまでの政治思想史研究における方法論に対するポーコックによる批

          言語とその含意ー政治思想研究の変容①(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

          はじめに

          訳あって、大学院博士後期課程に入るまでに1年ほど時間ができてしまったため、このnoteを始めることにした。こういったネット上の公開ブログなるものは実は初めてやるのだが、実のところ、これまで少し憧れていた。このnoteは、研究ノート風に使っていこうかと考えている。 どのようにこのnoteを進めていくのか、であるが、現在考えているのは、ポーコック(J. G. A. Pocock, 1924-) の論集を自分なりに翻訳していこうかと考えている。取り上げようと考えているのは ・V

          はじめに