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言語とその含意―政治思想研究の変容⑥(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

33 言語上の混乱、あるいは、見せかけの哲学的な主張が一つある。それは観念論―唯物論の二項対立に由来しているものであり、パラダイム思考、特に政治的なパラダイム思考の歴史家(the historian of paradigmatic, and especially political, thinking)はその二項対立を完全に拒否しなくてはならない。これは、超知的なもの(extra-intellectual)や超言語的なもの(extra-linguistic)を「現実」と呼び、知的なものや言語的なものを少なくとも暗に非現実と呼ぶ慣習である。そしてこの慣習は非常に根強く且つ広まっているために、これは、歴史(学)的探究それ自体を終わらせ、そして別の人物の言葉でその成果(its findings)を書き直せ(restate)という還元主義的な圧力に耐えず直面している歴史(学)的探究の唯一の分野である。「現実」と呼ばれる何かがそれ自体、人々が現実を秩序づけているパラダイムを決定づけているのだと、われわれは絶えず確信している。しかし、歴史家によってであれ社会科学者によってであれ、そのように用いられるその言葉は、「社会的・歴史的現実の中に生きていた人々がその現実を秩序づけるパラダイムや概念とは違ったそれらによって秩序づけられる社会的・歴史的現実」以上の意味を持つことはないであろう。それはあたかも、特定の社会の中で実際に用いられた概念だけが、その社会との関連において非現実であると保証されているかのようである。その含意の不合理さは、われわれに以下の三つの事柄を気付かせるはずである。〔第一に〕「現実」を秩序づけるパラダイムはパラダイムが秩序づけている現実の内に含まれる部分であるということ。〔第二に〕言語は社会構造の内に含まれる部分であり、社会構造に付帯するもの(epiphenomenal)ではないということ。〔第三に〕それが誰よりもリアルであった人物にとってどうリアルに見えたのかを研究する際に、われわれは現実の一側面を研究しているのであるということ。間違いなく、ある一つの側面だけである。確かに、彼らのパラダイムとは違ったパラダイムによって彼らの現実を秩序づけること、そのように得られた洞察を彼らによる彼らのパラダイム使用の研究に用いることは同じくらい正当なこと(legitimate)である。しかしながら、最後の分析において、われわれが思想史を研究する際には、われわれは歴史のconsciousでsubjectiveな側面を研究しているのである。反形而上学(a counter-metaphysics)を唱えているとわれわれを非難しようとする形而上学者を無視することができるように、われわれはこの時点で、われわれに対して観念論であると自動的に(automatically)非難しようとする人々のことを無視する余裕がある。そして、誰かがわれわれに対して「抽象(化)」という非難をしているのなら、われわれは以下のように答える余裕がある。それは、われわれが研究しているものとは、まさしく、抽象(化)の歴史であり、それはつまり、体系的思考の歴史(he history of systematic thinking)であると。というのも、現在の混乱が続く限り、われわれを非難している人々が何でもないものと主張しているものが全てであると主張しているのだと、何らかの形で非難されるだろう。しかし、最も単純な戦略は気に留めないことかもしれない。その混乱が終われば、言語を内側から見ることは言語を外側から見ることを補完するということ、われわれが行なってきていることとは、様々な理由から前者になされてきた軽視を是正することである、ということがわかるだろう。
There is one linguistic muddle, or pseudo-philosophical statement, stemming from the idealist-materialist dichotomy, which the historian of paradigmatic, and especially political, thinking has altogether to repudiate. This is the practice of referring to the extra-intellectual or extra-linguistic as “reality”, and to the intellectual or linguistic equipment, at least by implication, as non-reality; a practice so rooted and widespread that this is the only branch of historical inquiry which faces constant reductionist pressure to abolish itself and restate its findings in other men’s terms. Something called “reality”, we are constantly assured, itself determines the paradigms by which men order it; but the word so used, whether by historians or by social scientists (who should know better), can bear no other meaning than “social and historic reality ordered by paradigms and concepts other than those by which the men who lived in it ordered it”, as if only the concepts actually used in a given society were assured of unreality in their relation to it. The absurdity of the implication should remind us that the paradigms which order “reality” are part of the reality they order, that language is part of the social structure and not epiphenomenal to it, and that we are studying an aspect of reality when we study the ways in which it appeared real to the persons to whom it was more real than to anyone else. Certainly an aspect only; it is equally, but not more, legitimate to order their reality by paradigms other than theirs and to use the insights so gained to study their use of their paradigms; but in the last analysis, when we study the history of thought we are studying the conscious and subjective aspects of history. We can afford to ignore those who will at this point automatically accuse us of idealism, as we can afford to ignore the metaphysicians who will accuse us of setting up a counter-metaphysics; and if anyone accuses us of “abstraction”, we can afford to reply that what we are studying is, precisely, the history of abstraction, that is to say the history of systematic thinking. For as long as the present confusions last, we shall be accused, in one way or another, of claiming as everything what our accusers claim to be nothing; but the simplest strategy may be to take no notice. When the confusions end, it may be observed that looking at language from the inside is complementary to looking at it from the outside and that all we have been doing is remedying the neglect which has, for various reasons, been visited upon the former.

34 以下の論文において、パラダイム・システムがその下で作用する条件ではなく、パラダイム・システムが通常(regularly)示す特徴に関心を示している一つの法則や一般的仮説が、絶え間なく存在し機能している。それぞれの論文は時間を扱っている。すなわち、政治思想の体系(systematic bodies)から引き出され得る時間を概念的に解釈すること(conceptualizations)に関心を扱っている。暗示的な一般化(the implicit generalization)とは単に、そのような思想の体系(body)と、あらゆるパラダイム的言語は時間に関する含意の構造(a structure of implications concerning time)を含んでいるということだ。そしてそのことはさらに、時間の中に存在しているものとして政治社会それ自体を概念的に解釈する方法(mode)を一つあるいは複数体現していると示されるだろう。これらの構造は二つの仕方で発生し発展するようであるが、その二つの仕方はそれ自身で重なり合っている。第一に、それらの構造は制度的な形態(institutional forms)から始まる。その形態はどのような社会においてもその存続を定め、正当化していると考えられている。第二に、それらの構造は複数の言語によって生じる。その言語は、突発的な事象が偶然性の次元と考えられている時間を持った政治的連続体の外(これはそういった突発的な事象によって構成されている)で起きる中で、その突発的な事象(an emergent event)がどのように認識され(cognized)、解決される(acted upon)のかを述べるにあたって利用することのできる言語である。時間の政治学(a politics of time)が社会の多数派の中で果たされるであろうと予測しうるこれら二つのパラダイム機能が、多数の言語を生むのだ。そしてその言語の文化的多様性は非常に大きいため、多数の言語は経験的且つ歴史(学)的にしか研究できない。そうであるならば、歴史的に見て、偶然性(contingency)の次元としての時間という観念は、アリストテレス主義哲学において見られる時間の観念に十分に近く、ある種の歴史主義(historicism)が中世の後半とルネサンスの政治思想において見られるだろうと考えることを可能にした。そして、その偶然性の次元としての時間という観念は、偶発的な時間(contingent time)をキリスト教の終末論の枠組に統合するための試みがなされるときに生まれた。さらに、政治的構造が自律性を主張することで、どのように政治的構造が時間のなかで政治的構造自身を維持し、緊急事態(emergencies)を処理したのか示せることが重要になるにつれて、偶然性の次元としての時間という観念は重要性を増していった。政治的システムが偶発的な時間と終末論的な時間の両方において存在し、偶発的な出来事を克服し吸収する、あるいはそうすることができなかったと示すことのできる言語が生じた。これらは慣習、摂理、終末論、運、徳、そして腐敗といった概念を中心に組織された。様々な社会がその社会に起こっていることを説明しようと奮闘し、その過程の中で偶然性の観念から歴史の観念へとなんらかの形で移行する中で、こうした言語が15世紀から18世紀にかけてどのように用いられ変容されていったのか、という歴史を描くことができよう。本書における第3・4論文(*1)は、現在進行中のより大きな研究の部分であるが、フィレンツェのコンテクストからイングランドとアメリカのコンテクストへと移っていく物語のいくつかの側面を描いている。
In the essay that follow, one law or general hypothesis – concerned not with the conditions under which paradigms systems operate, so much as with the characteristics they regularly display – is constantly present and operative. Each essay is concerned with time: with the conceptualizations of time that may be elicited from systematic bodies of political thought; and the implicit generalization is simply that any such body of thought, and every paradigmatic language, contains a structure of implications concerning time, which can further be shown to embody a mode or modes of conceptualizing political society itself as existing in time. These structures appear to originate and develop in two ways, themselves interlocking. In the first place, they originate from the institutional forms which in any society are thought of as both defining and legitimizing its continuity; in the second place, they arise from the languages available for stating how an emergent event may be cognized and acted upon as it occurs in an extra-political continuum of time which, because it consists of such emergent events, is conceived of as a dimension of contingency. Those two paradigmatic functions, which a politics of time may predict will be performed in the majority of societies, give rise to a variety of languages whose cultural diversity is so great that they can only be studied empirically and historically. Historically, then, the idea of time as the dimension of contingency is sufficiently close to the idea of time to be found in Aristotelian philosophy to make it possible to conceive that a species of historicism may be uncovered in late medieval and Renaissance political thought, originating when the attempt was made to integrate contingent time into the framework of Christian eschatology and gaining in importance as political structures claimed so much autonomy as to make it crucial to be able to show how they maintained themselves in time and dealt with its emergencies. Languages arose in which the political system could be shown existing in both contingent and eschatological time, overcoming and absorbing the contingent event or failing to do so; these were organized around the concepts of custom, providence, apocalyptic, fortune, virtue and corruption. A history can be written of how these languages were employed and modified, from the fifteenth through the eighteenth centuries, as various societies strove to explain what was happening to them and in the process moved some way from the idea of contingency to that of history. The third and fourth essays in this book, parts of a larger work in progress, depict aspects of this story in its movement from a Florentine to an English and American context.

35 しかし、この種の時間構造は言語構造において暗示的であるとわかるため、その結果、これまで論じてきたすべてのことから、言語構造が歴史(学)的にだけでなく理論的にも研究され得る。すでに示したが、本書第二論文(*2)において取り掛かった中国に関する資料の取り扱いは、歴史(学)的仮説として非常に暫定的に提示されたもの以外提示することはできない。しかしながら、いくつかの規範が言葉あるいは言葉以外の方法で(verbally or non-verbally)、儀式、言語、そして強制によって伝達されたものと考えられる際に生じる時間、権威そして行動の概念に関する一般的言明のある一つのパターンを、そのテーマは提供している。そしてこれらのうちのいくつかは本書第七論文(*3)にて再び取り上げられる。なお、その第七論文は野心的だが、しかし時間の政治学を言語の政治学の下位部門とみなす未だ暫定的な試みである。「伝統主義」と呼ばれる、社会の連続性を概念的に解釈することによって社会の制度を正当化するたった一つの様態があると言語の政治学は仮定している。またそれは、政治的論争の圧力が戦略とコンテクストの両方の変化を強いる際に生じる多数の変化を通してこの様態を追求することを試みている。これらのうちの一つは批判的歴史叙述(critical historiography)の出現であるとみなされる。そしてここにおいて、それは政治的言説と言語の政治学の両方のアウトプットであるとみなされる。結論として、用いられるすべての歴史資料とパラダイム変化というまさにその概念それ自体が継承あるいは伝達された精神的・言語的構造と、それに続くその構造(あるいは伝統)を批判し説明しようとする意思(willingness)を前提としているため、第八論文(*4)は、それ以外の論文が書き終わった後に書かれ、追加された。その論文は、その方法自体が歴史学における初期近代のテーマと政治学における気づかれざる古典主義や保守主義に対する偏向を引き起こすものであるという非難を取り上げ、考察するものである。したがって、両方のコンテクストにおいて、この論点について「告発と弁護の演説(orationes accusatoria et defensoria)」の結果を見るために、私自身ロマン主義を無視しているのではないかと責める意図がある。しかしながらたとえそうであっても、政治的言説において潜在的な含意とパラダイム機能の構造を切り離そうとする絶え間ない努力がこれらすべての論文において見られるだろう。厳密にいって歴史的な五つの論文が幾分理論的な三つの論文の中に収められているということは、著者の関心の配分とこの全体の試みにおける方法論的なバランスをかなり正確に示している。
But since time-structure of this kind are found implicit in language-structures, it follows from all that has been said that they can be studied theoretically as well as historically. The treatment of Chinese material set out in the second essay, as has already been shown, cannot be advanced except very tentatively as a historical hypothesis; Its themes do, however, offer a pattern of general statements concerning the concepts of time, authority and action which arise when norms are thought of as transmitted verbally or non-verbally, by ritual, language or coercion; And some of these are taken up again in the seventh essay, which is an ambitious yet still tentative attempt at a politics of time considered as a subdepartment of a politics of language. It supposes a single mode of legitimizing the institutions of society through a conceptualization of their continuity, called “traditionalism”; And it attempts to pursue this mode through a number of mutations which occur as the pressures of political debate compel changes of both strategy and context. One of these is seen to be the emergence of critical historiography, which is here considered as an output both of political speech and of the politics of language. In conclusion, since all the historical material employed and the very concept of paradigm change itself presuppose an inherited or transmitted mental and linguistic structure and consequent – one might say a dependent – willingness to criticize and explain that structure (or tradition), an eighth essay has been added, written after all the pieces that precede it, which raises and considers the charge that the method itself induces bias, towards early-modern themes in history and towards an unacknowledged classicism and conservatism in politics. In both contexts, therefore, I intend charging myself with a neglect of romanticism, in order to see what comes of orationes accusatoria et defensoria on this count. In all these essays, however, - be this as it may – there will be seen going on a constant endeavor to disengage the structures of implication and paradigmatic function latent in political discourse. That five essays strictly historical are enclosed within three somewhat more theoretical indicates with fair accuracy the distribution of the author’s interests and the methodological balance of the whole enterprise.

*1 第三論文 "Civic Humanism and Its Role in Anglo-American Thought"、第四論文 "Machiavelli, Harrington and English Political Ideologies in the Eighteenth Century"
*2 第二論文 "Ritual, Language, Power: An Essay on the Apparent Political Meanings of Ancient Chinese Philosophy"
*3 第七論文 "Time, Institutions and Action: An Essay on Traditions and Their Understanding"
*4 第八論文 "On the Non-Revolutionary Character of Paradigms: A Self-Criticism and Afterpiece"


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