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徳、権利、マナーズー政治思想の歴史家にとっての一つのモデルー①(Virtues, rights, and manners: A model for historians of political thought, (1981))

上に挙げたポーコック論文集の第二論文を、以下で翻訳していく。

1 政治思想史は伝統的に、法学の研究に深く影響を受けてきた。しかし近年、興味深い揺れや変動が幾分生じてきている。法学の言語とは著しくかけ離れていた政治についての語り方(modes of talking)が歴史学的に目立つようになってきた。政治思想の歴史叙述が現在、法学中心のパラダイムと私が主張しているものに揺り返している兆候はあるにもかかわらず、その編み針が最初の地点に戻ることはないとわれわれは強く思っており、したがって、政治思想の歴史叙述のパラダイムの修正が期待される。本論文のタイトルは、生じたかもしれない変容を限定するためのものである。

2 このプロジェクトに関するなんらかの古典的な著作、トーマス・カーライルでもジョージ・セイバインでも、シェルドン・ウォーリンでもいい、を調べてみよ。そうすれば、ストア派から歴史主義者までとにかく、政治思想史は神、自然、法といった概念の辺りで相当程度構成されているということがわかるだろう。個人は、存在にとって不可欠でありノモスの本質(nature)を持つ理知的で道徳的な原理によって制御されたあるコスモスに住まうと見なされている。そして人間が構築した法学の体系は、哲学的に理解されるか、あるいは聖なる存在によって啓示されたこれらのシステムに溶け込んでいる。神それ自身はlex loquensと見なされ、神秘的な恩寵の創造者としての神の役目でさえも大してこのイメージを損なうことはない。哲学と信仰は法に気付き認識する方法(modes)となり、その結果、法学(jurisprudence)は知的経験の最も崇高な形式以外の全てにアクセスできるようになる。こうしたこと全ては最も稚拙に表現されていると言ってもよいほどに聞き覚えのあるものだ。甚だ長続きするような知識を大量に非常に効果的に構成するのがパラダイムである。しかし、パラダイムが適当でなく歪めてしまうかもしれないような重要な歴史的現実(relevant historical reality)が存在している。そのパラダイムのせいでわれわれが単純に無視してしまう中国のような文明国があるという事実は言うまでもない(1)。マキアヴェッリのように、自然法パラダイムとは関係しない思想家が現れ、従って、自然法パラダイムを否定あるいは転換していたと考えられねばならない。政治思想の支配的なスタイルにおける変化がパラダイムに内部にもたらされ、外部からのパラダイムの破壊、あるいは、内部でのパラダイム消耗の証拠としてその変化は扱われる。そして、そもそもそうした変化はそのパラダイムに属するものではなかったのだという可能性には、ほとんど注意が払われない。規範的な仮定が出てきて、歴史家は自然主義が歴史主義へと変容したことを喜ぶか嘆くかのどちらかに駆り立てられる。そのプロセスの中心には、リベラリズムという名の苦しめられながらも奇妙に勝利を収めた存在が現れているが、それは自然主義者には十分に自然的でないと非難され、また歴史主義者には十分に歴史的でないと非難され、また、その存在〔リベラリズム〕を擁護した人の中には自然や歴史には断固として影響を受けない独自の理由で正当化する人もいる。しかし、その存在に中心的な関心を寄せた結果として、リベラリズムが実際に占めていた地位よりもかなり重要な歴史における地位をこの三者によって与えられているのだ。

3 藁人形となる集団をわれわれの目の前にまで後退させてしまったが、しかし、政治思想史がその中で行われてきている組織化された前提に対して大した暴力を振るったとは思っていない。しかしながら近頃、政治思想がその歴史の流れの中で言い表されてきた語彙やイディオムを発見しまとめるという、現在広まっている手法を追求して、そのような歴史の提示が立ち現れてきている。そこでは自然法パラダイムがそのステージの一部分だけを占拠している。そしてわれわれは、哲学と法学の結合した言語に還元することのできないイディオムで話すようになっている。私はこの新たに構築された歴史の諸部分を順を追って話すことを提案しよう。そしてそのあとで、西欧的精神の政治的な考え方を形成する中での法の役割についていくつか質問をしよう。


(1) Kung-chuan Hsiao, A History of Chinese Political Thought. Volume 1: From the Beginnings to the Sixth Century A. D. , translated F. W. Mote, Princeton University Press, 1979、を参照。

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