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言語とその含意ー政治思想研究の変容②(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

※2024年4月18日 再翻訳編集済

※ 誤訳や構文の取り間違い、また、より良い表現があればご指摘していただけると幸いです。

個人的副題
「実証主義・言語分析的方法に対する批判、クーンのパラダイム論、科学的共同体と政治的共同体との差異、政治的共同体のパラダイムと政治的言論につて」

10 15年ほど前には優勢であった実証主義と言語的哲学〔分析哲学〕(5)ー現在のロマン主義的な表出のモーメントにおいてその時代を思い起こすことは困難かもしれないがーは、そもそも政治哲学なるものが成立しうるのかどうか、という問いを投げかけた。その問いは、政治的なものを含みうる主題について他の人々が述べたもの(statement)を単に探究し(explore)、解明する(clarify)ことが哲学者の役割なのかどうか、というものであった。もし解明が規範的な活動とみなされるのであれば、探求は分析的な活動か、歴史的な活動か、どちらかであるかもしれない。一次的言明(first-order statement)と二次的言明との間の差異、つまり言明と言明についての言明の差異は、ある世界のイメージ(the image of a world)を引き起こした。そのある世界のイメージにおいては、政治的言明や政治についての言明を含む言明をするために、言語ーあるいは諸言語や諸言語構造、また、それによって「プレイ」されるような「ルール」を有している言語「ゲーム」ーを用いる人もいれば、他方で、すでになされた言明やそれらの言明をつくる語彙、構造、あるいは規則を探求するために言語を用いる人もいる。ある世界のイメージは「言語」を歴史の産物として、そしてそれ自身の歴史を有しているものとみなすステップだけー歴史家が本能的に取るべきものーを求めたのであった。そのためには、第一に、言語の探求は歴史的な結果を生むかも知れず、歴史的な言明であるかもしれない使用言語についての二次的言明を生むかもしれないということ、第二に、この活動は歴史的な媒介(agent)であると考えられ、それは言語に関する意識(linguistic consciousness)において諸変化を生み、そして言語の使用それ自体の歴史においても諸変化を生むのに資するということ、これらのことが理解される地点に到達する必要があった。1956年頃、多くの人にとって言語分析による政治哲学の転覆と思われたものは、政治思想史を体系化の歴史(a history of systematization)(古い時代の「哲学」)から言語の使用と洗練の歴史(one of linguistic use and sophistication)(新しい時代の「哲学」)へと転換することで、政治思想史の解放に寄与したのである。

11 ところが、ある言明の論理的構造を分析することはーわれわれはすでに知っており、また、こうした批評の周期的なテーマであり続けているのだがー歴史的現象としてのその言明の具体的な性質を引き出すことではない。このことは、批評家や文学表現の学生が、生きた言語がその表現能力の達人によって使われたときに含む、豊かな連想、含意、響き(resonance)、多くの意味のレベルを明らかにするために用いる技法によってもできないーとても近いところまで接近はするのだが。「ニュー・クリティシズム」の一部の学派が自分たちの学問は完全に非歴史的なものであり、且つ、そうでなければならないと主張している厳密さは、たとえこの教義を受け入れないとしても、批評家は実際の過去の復元(the recovery of an actual past)に専念する歴史家として自己規定されていないことを示すものである。ましてや、言語を構成している精神的諸構造が、通常の意味での歴史と容易に結びつかないほど深い人格レベルみあるということを認めるならば、このこと〔上で述べたこと〕は純粋な言語学者によってなされている種類の分析の目標ではないだろう。われわれが行っている再構築(reconstruction)のこの段階では、政治的言語の歴史(history of political language)の方法論的自律はこれから確立する必要があるのだ。

12 おそらく、政治的言語の歴史の方法論的自立の確立へのたった一つの最も価値ある貢献は科学史家によって間接的になされてきた。トマス・クーンの『科学革命の構造』〔原著初版1962年、翻訳1971年〕のおかげで、読者は、科学の歴史が本質的に言説や言語の歴史であると考えることに慣れたのである。彼が「通常科学」と呼ぶ時代において、概念や理論をコントロールするパラダイム(paradigms)は、概念や理論を予期している知的な機能(the intellectual functions)をとても十分に果たしているために、パラダイムは諸問題に対する幾つかの解答だけでなく、解答が要求されているものとして概念化されるべき問題の種類も権威的に示すのである。そしてそうだからこそ、パラダイムは、知的な営み(intellectual endeavor)における方向性、パターン、配分、組織化を方向づけることで、「科学共同体」を構成している個人と集団の間における権威の付与と定義をより一層示すのである。科学革命はパラダイムが十分に機能しなくなるときに起こる。それは単に問題が解決されないままであるだけでなく、パラダイムが指し示している問題が、いまや誤って捉えられているが故に解決不可能である時に起こるのである。つまり、解決されるべき問題の再定義、新たなパラダイムの構造、新たな言語、そして科学共同体内における権威の新たな配分を必要とする出来事が起こった時にそうなるのである。共同体が非常に柔軟に組織されたためにパラダイムの再構築、あるいは「科学革命」が絶えず続きかつ連続した(constant and continuous)場合には、「離陸」(take-off)あるいは「永久革命」(permanent revolution)が想定されたかもしれない。しかし、成功したパラダイム変化は定義と解決を待ち望んでいる全く新たな一群の問題を発見する(あるいは構成する)ものであると仮定すると、ある「通常科学」の時代を生み出す可能性がある。そしてその「通常科学」においては、その成功したパラダイムは保守的な力に、あるいはアンチテーゼと、その後のモーメントでの革命とジンテーゼを必要とするようなヘーゲル的なテーゼとなるだろう。

13 クーンの方法論について刺激的なことは、この論文の諸問題に関心のある人の観点からすると、クーンの方法論が、思想史の分野を言語的及び政治的なプロセスとして扱っているということだ。高度に形式化された思考の営為を、言語的手段によって権威を伝達・配分する営為として扱うことは、クーンの論じ方を(間違ってはいるが必然的に)規範的あるいは推奨的なものとして捉えているならば、現時点では多くの読者にとって歓迎されないかもしれない。しかし、歴史家にとってのクーンの方法論の価値は、パラダイムが果たす知的(発見的) 機能(the intellectual (heuristic) function)と、パラダイムが社会システムにおける人間の行為者の間に配分する知的・政治的権威の両側面から「パラダイム」を定義することによって、われわれが二つの基準を獲得するということである。その二つの基準によって、われわれが関心を抱いている言語一般と特定のパラダイム(6)を社会的コンテクストと歴史的具体性において定義することができるのである。人は言語システムを伝達することによって思考する。これらの言語システムは、概念的世界と、概念的世界に関連する権威構造、すなわち社会的世界の両方を構成するのに役立っている。概念的世界と社会的世界はそれぞれ他方に対するコンテクストとして捉えられるだろう。そうだからこそ全体像(the picture)が具体的になるのである。個人の思考はいまや、社会的な出来事として、つまり、パラダイムシステム内での意思疎通の行為と応答の行為として、また、歴史的な出来事として、つまり、そのシステムの変容と、システムと行為が共に構成するのに役立ち、またそれによってシステムと行為が共に構成されるところの相互作用する世界の変容の過程における一つのモーメントとして、認識されるだろう。われわれはわれわれに以前は欠けていたものを手にしたのである。それは歴史家が必要とするコンテクストの複雑さである。

14 クーンが自身の領域に、また、思想史のどんな領域にも適用することができる分析視角(anatomy)を与えたという主張には政治思想史家にとっては誇張し難い魅力がある。このスキームは、政治思想史に方法論的自律を与えるという手段を政治思想史家に提示だけでない。また、形式化された言語はどんなものであれ、権威構造を構成するのに資するという意味において形式化された言語は政治的現象であるという示唆は、政治思想史の研究をしている政治思想史家は同時に政治社会の歴史の研究をしているという彼の感覚に合致するのである。これまで幾分漠然と「政治思想」と呼ばれてきたものが、政治言語の探求と洗練として再定義され、言語システムと政治システムの間の関連性を引き出すことが可能であるように思われ始める。しかし、次に、科学的言語が科学的共同体のパラダイムから成り立っているのと同じように、政治的言語も政治的共同体のパラダイムから成り立っていると言おうとすれば、認識しなければならない厄介な問題が生じる。政治的共同体は科学的共同体と似ているものではなく、したがってその言語も異なるのである。その理由は、科学的共同体は、ある種の知的な探究という、たった一つの目的のために組織されていると歪曲せずに考えることができるということだ。たしかに、どの程度そうなのかということは疑問に思われるかもしれない。われわれは知的な探究(intellectual inquiry)を、それが権威構造の構成と再構成で成り立っている限り、それ自身政治的な側面を示しているものとして定義した。そして、科学者の動機と振る舞いには純粋に知的なもの以外の考えが入り込むということ、また、科学的パラダイムが修正されたりあるいは廃棄されたりする決定は合意のプロセスであり、そこでは正確な決定のモーメントは引き離して合理的に説明すること(isolated and intellectualized)が出来ず、さらに集団の振る舞いの政治が著しく入り込むのだ、ということを認めることによって、われわれは二螺旋(the Double Helix)にひざまづいてもよいのではないか(7)。それにもかかわらず、違いが一つある。科学的共同体は、ある特定の種類の知的探求のパラダイムによって、また、その探究それ自体が一つのパラダイムとしての働きをしているという考えによって正式に構成されている。ある人物が科学的共同体の一員であるのはただ、彼が探究のその形式に従事している共同体としての人格(persona)を有し、そしてそのパラダイムの権威を認めているからにすぎない。その共同体が科学革命の過程の再構成を経験するとしても、それが真実でなくなることはないのである。その結果、科学的共同体の言語と思想がただ一つの知的探求のモードとしてのパラダイムによって、そしてそれは時々再定義されるものであるのだが、統制される度合いは高くなると予想されよう。同じことは、専門度合いは異なれど、他の知的専門家の共同体にも当てはまると言えるだろう。例えば、歴史家の共同体のパラダイムは腹立たしいほどに捉えどころのないものだとわかるだろう。しかしながら、政治思想史は思想史や言語史、あるいは政治学者(political scientists)の共同体のパラダイムの歴史でもない。政治学者の共同体はごく最近になって、その言語やその歴史がサブシステムとしての価値(dignity)を獲得するところまで発展したのである。政治思想家(poltical thinker)は、あるコンテクストでは、政治的共同体それ自体のメンバーであると考えられ、したがって、その公的な言語の専門化され変容したもの(a specialized variation)を話していると考えられる。政治学者のサブコミュニティが専門的あるいは方法論的自律(professional or methodological autonomy)という地点にまで発展したところでは、その言語が政治的共同体全体の言語と連続しているのか、断絶しているのか、ということをわれわれは問うことができよう。その二つの言語〔政治的共同体全体の言語と政治思想家の言語〕が連続すればするほど、あるいは、専門特化したサブコミュニティが自律的でないとみなされればされるほど、ますます「政治思想家」はニ次言明をし、より高度な抽象のレベルで政治それ自体の言語のある領域を探究し、修正し、利用しなければならなくなるのだ。ソクラテスが彼の同胞市民から裁かれたように、政治思想家は、それらの価値と権威の公的に承認されたパラダイムで何をなしたのかという観点で、同胞市民とコミュニケートするであろう。

15 政治の言語(The language of politics)は当然ながら、知的探究のたった一つのディシプリン化されたモードの言語ではない。それはレトリックであり、活動や政治文化(the culture of politics)の一部として考えを明確に述べたり伝達したりする(articulating and communicating)あらゆる方法であらゆる目的のために話す言語である。政治的言論(speech)には、論理学者、文法学者、修辞学者、その他言語、発語(utterance)、意味の研究者が区別する、事実上あらゆる種類の言明、命題、決まり文句(incantations)が含まれていることを容易に示すことができる。政治的言論にはディシプリン化された探究のモードさえ見られるが、しかし、それらは非常に異なる種類の発語と共存している。同じ発語が同時に多様な言語的機能を果たすということはレトリックの本質であり、とりわけ、政治的レトリックの本質ーそれは異なる活動や多様な目標と価値を追求している人物を納得させるものーである。ある人にとっては事実の言明であるものが、他の人にはある価値を象徴的な意味において引き起こすものだ。換言すれば、ある聞き手の集団に一つのまとまった事実に関する主張とそれらに関する価値判断を引き起こすものが、同時に、別の聞き手には別のものを引き起こし、そして行為の別の解決策を勧めるのである。なぜならば、政治的言論においては事実に関する言明と価値評価的な言明はほどき難く結びついているからである。そしてまた、政治的言論は異なる価値を追求している異なる集団を和解させ調和させることを意図しているため、本質的に両義的であり、またその中身ももったいぶっていることが多い(its inherent ambiguity and its cryptic content are invariably high)。

16 結果として、もしわれわれが政治的言論をパラダイムによって統制されたものとして定義しようとすればーそしてパラダイムは非常に権威的な言語的体系(linguistic formulations)という形態で極めて明白に存在しているー、われわれはパラダイムとその機能の理論的な定義を見直さなくてはならなくなるであろう。クーン的パラダイムは特定の問題の切り離しと特定の方法での解決を規定し、そしてそうすることで科学的共同体内の特定の権威の定義を規定する。言論は政治的なオペラント(operant)であるから、政治的共同体内で後者の種類の機能を目に見える形で果たしている。しかし、言論は問題解決の活動に限られているわけではないため、異なったルートでこれらの機能に到達する。言論は価値を呼び起こし、情報を要約し、不都合なものを抑圧する。それは多くの言明を作り出し、しばしば多くの種類の言明を同時に伝え、一方で、それと同時に他のものから注意を逸らすことを可能にするような公式を用いてそうするのである。したがって、パラダイムを口にする(utter)ことがそれ自体で権威を援用することであるという状態にまで制度化されたパラダイムでさえ、パラダイムは、同時に幾つかのコンテクストで作用し、同時に幾つかの機能を果たし、そして、これらのコンテクストと機能を互いに意図的に区別しない方法によってそうしていると考えられるに違いない。
パラダイムを、知的(あるいは言語的)機能を果たす行為において権威構造を規定しているものと定義すれば、多様な解釈が可能なパラダイムは、同時にさまざまな文脈でさまざまな機能を果たし、さまざまな権威の定義と分配を同時に指定し規定しなければならないことになる。
また、政治社会にはさまざまに指示・規定された非常に多くの権威構造があり、政治的言論を含む政治的活動の目的は、政治的にも言語的にも同じではありえない手段によってこれらのうちのいくつかに同時に訴えることであると思い起こせば、それは驚くべきことではないだろう。

17 その結果、政治的言論をポスト・クーン主義的に研究している者にとって、彼がその変遷(careers)を辿っているパラダイムは同時に多くのコンテクストと多くのレベルで存在しているものであると考えられるに違いない。彼は一度に多くの人にとって多くのことを言うために用いられるレトリックの諸構造(それはまた政治的な構造でもある)を分析するだろう。しかし彼は、それらのレトリックの諸構造を用いたことに対してなされる応答と、それに続いてもう一度それらの諸構造が用いられるといった観点でレトリックの構造の歴史を辿るとき、諸構造のうちのそれぞれはその使用が認識され応答を引き起こしたレベルと同じくらい多くの歴史を有していたかもしれないという理論的蓋然性(the theoretical probability)を認識しなければならないし、また、それらのレベルの意味の多様性(semantic diversity)を考慮すれば、それらに歴史が相互に大きく異なっていたかもしれないという理論的蓋然性もまた同様に認識しなければならない。たとえそうでなかったとしても、レベルは依然として意味論的に区別可能のままである。したがって、レトリックが複雑な言論は意味において複雑な歴史を有しているのである。そしてこれら全ては言語の本質(texture)の面であり、したがってまた、人間の社会と生の政治的な本質であり、そしてそれらの歴史を研究者は究極的に解明しようとしているのである。パラダイム革命は政治的な革命ーこれは政治的言論におけるクーンの「科学的革命」の一つに相当するものであるーの発生を伴うということにはならない。権力構造はそのイディオムをうまく変容させることで生き残るかもしれないのだ。しかし、これらはそのなかに関係性を見出すことができる現象である。

18 この段階において、われわれは言語の政治学(a politics of language)の可能性を考えている。言語の政治学とは、言語が果たしうる政治的機能の種類、なされうる政治的発語の種類の相違、そして、これらの発語が政治的会話と弁証法の圧力の下で相互作用しながら互いに変容するかもしれない方法を想像する(envisaging)ために用いられる一連の装置である。そのような政治学における歴史的でもあり理論的でもある試みは一部、本書の七つ目の論文*4にて見られるかもしれない。そこでは、社会の過去に関する政治的言明はパラダイム的批評を通じた象徴的な正統化(symbolic legitimation via paradigmatic criticism)から歴史(学)的解釈(historical reconstruction)へと移行する中で想像されている。そして以下のことがわかるであろう。これまでの発語の伝統的な型(the earlier conventions of utterance)は取って代わられるが、これまでの型に重ねられたその後の様式とともに存続する一方で、議論の過程それ自体は混乱した形で仄めかされた言明のさまざまな型(types)における違いを明確化するために確かに作用している。というのも、人はさまざまな側面を刺激し引き起こすコミュニケーションのそういった側面に対し応答するからである。混乱と明確化は同時に存在しているのである。このように二次的言明のプロトタイプは、人々が仄めかされたメッセージの正確な意味について賛否両論を交わすなかで、専門的知識人の介入の必要なしに、極めて自然に現れる。しかし、専門的知識人(the specialized intellectual)が登場するのも同じ進展においてである。専門的知識人の役割は、その仄めかされた言明が解釈される意味のレベルに関する二次的言明を作り出すことであるか、あるいは、これらのレベルのいずれかにおいてその言明かその類のものを解釈し洗練させるという特殊な技能を実践することであり、そこでは明確で自律的な知の営み(a distinct and autonomous intellectual activity)が行われているのである。とりわけ、政治哲学と政治思想史の関係を見直そうとしているわれわれにとっては、以下のことを思い出すのは非常に重要である。それは、古典的な意味であれ現代的な意味であれ、哲学は専門化された知の営みのうちの一つにすぎず、その営みは政治が言い表される(the articulation of politics)言語の探究と議論によって生み出されうるのだ、ということである。歴史学は別のものである。他のものもまた、程度の差こそあれど、単に付随的のものから生じたと識別されるかもしれない(歴史学が全く単に付随的なものから生じたと主張されるように)。

19 知識人(the intellectual)が言論それ自体の解明(clarification)を専門に扱うのかどうか、あるいは、解明が生じさせる抽象的な作業(crafts)のいずれかを扱うのかどうかにかかわらず、知識人のますます難解になりつつある言葉遣い(increasingly rarefied diction)は政治的機能を果たし続ける。それというのも、知識人の言説のパラダイムは、より高度な抽象レベルに高められた普通の政治的言語の単なるパラダイムではないにせよ、それでも、言論のこういった展開やああした展開、そして権威のこういった定義と規定、ああいった定義と規定を(たとえほんの強調することによってでも)推奨するからである。知識人は政治的言語と政治的共同体の幾重にもなった構造から現れるわけではない。しかし、この点において、「政治思想」が営まれていく「言語」の多様性、つまり、そのパラダイムが言語的に機能し、そして政治的な影響を及ぼすコンテクストの多様性をもう一度意識するようさせられるのだ。政治的言論は未分化なままの暗示という難解な構造(dense texture)で成り立っており、そうした暗示は多様な専門化した言語的(また政治的)活動へと分節化される(differentiated)が、しかし、それらが相互に影響を与え合いそして高め合うことを何も防ぐことはできないということを論証することによって、理論的な言語の政治学(a thertical politics of language)はこれまでわれわれを導いてきた。政治社会のコミュニケーションのネットワークが決して閉じられないということ、ある抽象レベルに相応しい言語が常に別のレベルで聞かれ応答されうるということ、パラダイムがある機能を果たすよう専門特化したコンテクストから、それとは違ったように機能を果たすよう期待される別のコンテクストへと移行するということ、これらは政治社会の多元的な特徴の一部である。哲学者が異なった秩序の言明を相互に異なったままに保つことに関心があるとすれば、歴史家はそれらが異なったままであったのかどうか、また、そのどちらかの結果として何が起こったのか、ということに関心を持つのである。

20 構造をさらにより難解なものとするために、言語の政治学は、政治的パラダイムの機能と、そうした機能における変化の理論的なプロセスさえ、予測することには成功するかもしれないけれども、政治的言論の特定の内容と指示対象を予測することは期待できない。そうしたことは経験的な研究に委ねれられるべきである。政治的言論(political speech)とは、政治理論の主題として概念化され、広範な政治社会で理論的に一定であると考えられる政治的活動、制度、価値の構造だけを指すのではない。政治的言論はまた、そうした制度や価値とともに、秩序付け、うまくまとめることが政治のすることであるようなあらゆる活動、また、われわれがその言語と思想を研究対象とする特定の社会において、語彙と価値が政治的言語へと入り込みそしてその政治的言語の一部となっているような政治と関連があるとみなされるようなあらゆる活動にも言及するのである。統治者(governors)は統治される者(the governed)の言語を学び話さなければならない。個人は、専門的サブエリートを経て支配的エリート階級へと加わるが、サブエリートの特徴的な語彙をそこへ持ち込む。こうした理由やその他の理由から、政治的言論には政治が特別な関心を寄せてきた社会的活動の多かれ少なかれ制度化された言葉の遣い方(idiom)が染み込む。そして、それらがどれなのかを決定するのは政治的文化の歴史でありーたとえば、イングランド人(Englishmen)は主としてコモン・ローと不動産の言語で議論をしたというバークの認識(8)はイングランド政治思想史の認識であるー、そしてそれらがどれであるのかを予測する政治はないように思われる。ある社会の言語には神学の用語が、次の社会には法学の用語が、さらに次の社会には経済学の用語が、そして別の社会には別の用語が染み込んでいる。そこで、われわれはどのようにしてこのことが起こったのかを辿ることができ、また、その出来事のプロセスも見ることができるのである。だが、どちらの場合においても、われわれは歴史を研究しているのであって、プロセスの仮説的なモデル(models of hypothetical processes)を構築しているわけではないのである。さらに以下のことも認識されなければならない。下位の(sub)政治的活動の言語が政治的言論へ移行する際、下位の政治的活動の言語は政治的言論にそれら自体のパラダイムを持ち込む。それは、下位の政治的活動の言語がそれらの共同体の内部で権威ある働きをするという意味である政治的機能を発揮するだけでなく、下位の政治的活動の言語が発生したその下位の政治的共同体の価値の前提となっているもの(value-assumptions)や思考の型(thought-forms)を存続させるような権威の定義や配分を政治的共同体全体にもたらしているということである。複雑で多元的な社会は複雑で多元的な言語を話す。いや、むしろ、権威の定義や配分についてそれぞれが偏り(biases)を有しているような複数の専門化された諸言語が、収束し、一つの高度に複雑な言語を形成するように見えるのである。
そしてそこでは、多くのパラダイム的構造が同時に存在し、それらの間で議論が行われ、個々の用語(terms)と概念がある構造から別の構造へと移行し、その用語と概念の意味合い(implications)を一部変更し、他の一部は保持し、そして、社会的道具として考えられる言語の内部で変化の過程が始まっていると想像され得る。こうしたこと全てに加えて、多様な専門的知識人(specialized intellectuals)が存在し、その知識人が使用されていると発見する言語あるいは諸言語(the language or languages)を説明するなかで彼らが多くの異なる種類の二次言明を行うことで、われわれが政治思想史と呼んでいるものの内に発見されるであろう豊かな構造のイメージ(image of the richness of texture)をわれわれはいくらか持つようになるだろう。


(5) 私は、ピーター・ラズレット編Philosophy, Politics and Societyの最初のシリーズが1956年に出されたことを念頭に置いている。その編者は以下のように主張している。「いずれにせよ、今のところ、政治哲学は死んでいる。」その後については、たとえば、同じタイトルで発行されたラスレットと W. G. ランシマン編集の第二シリーズ(Oxford: Basil Blackwell, 1962)を参照されたい。
(6) このように、「パラダイム」を厳密な言葉で定義することで、私は既に、クーンによる彼自身の用語の使用からいくらか乖離し始めているのである。彼は、最近(Comparative Studies in Society and History第XI巻第4号、412頁)、「パラダイムは理論と完全に同一視されるべきものではない。最も基本的なことは、パラダイムには、科学的成果の具体例、つまり、科学者が注意深く研究し、自らの研究をモデル化する実際の問題解決例を受け入れられていることである」。ということを強調した。以下において私は、首尾一貫してパラダイムをexemplaというよりはむしろverbaとして扱う。しかし、政治学(political scienceとは異なるものとしての)は問題解決の活動ではなく、はるかにより複雑なコミュニケーションの構造に関わるという理由でこのことは正当化されうるということを私は思っている。そして、私が提示しようとする言葉のパラダイム(verbal paradigm)ー多くの反応がありうる歴史的な出来事や現象ーは、クーンの具体的な例証(exemplum)の特徴を多く残している。彼の理論から取られ、彼自身の目的ではない目的に使われた彼の概念〔パラダイム概念ー訳者による〕を検討するのはクーン教授の定めであろう。しかしこのことは彼の理論の本質的価値を証明するものである。
(7) J. M. Ziman, Public Knowledge: An Essay Concerning the Social Dimension of Science (Cambridge University Press, 1968); James D. Watson, The Double Helix (New York: Atheneum, 1968).
(8) 以下を参照。〔本書第6論文「バークと古来の国制ー観念史における一つの問題(Burke and the Ancient Constitution: A Problem in the History of Ideas)」ー訳者による〕pp. 206-12

訳注
*4 論文「時、制度そして行為ー伝統とその理解についての試論(Time, Institutions and Action: An Essay on Traditions and Their Understanding)」

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