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言語とその含意ー政治思想研究の変容③(Languages and their implications: the transformation of the study of political thought)

※ 2024年4月30日 再翻訳編集

※ 誤訳や構文の取り間違い、また、より良い表現があればご指摘していただけると幸いです。

21 政治思想の歴史は、パラダイム使用の変化、パラダイム探求の変化、そして、パラダイムの探究のためのパラダイム使用の変化の歴史として定義されるかもしれない。しかし、政治的パラダイムの特徴を考慮する際に、われわれは以下のことを論証してきた。それは、多様な機能と多様な起源が共に作用して、政治的パラダイムを用いることは多義的であり両義的なままであるということを確実にするのだ。政治的言明はそういうものであるから、それらは一つ以上の意味を伝え、一つ以上の秩序を有しているという性質がある。換言すれば、政治的言明は多くの起源をもつ用語で構成され、そしてあり得る含意を多くもつものである。われわれは今や、このことの歴史家にとっての意義を考えなければならない。まず、とりわけ政治的な方法において、また、とりわけ政治的な理由で、ある歴史的文書は常に、それがはっきりと伝える以上の、つまり、その文書の製作者が伝えることを意図していた以上の情報をもたらすようになっている可能性があるという、一般法則という歴史家の目的に適う真理(the truth for his purposes of the general rule)をそのことは保証している思われる。それはある特許状(a charter)が、中世社会について、それを書いた人物(th scribe)が伝達しようと意図していた、あるいは伝達していると思っていた以上のことを明らかにするようなものである。政治的言明の著者(the author)は両義的あることを意図しているのかもしれない。というのも、彼はその性質が本質的に両義的な言語を用いているのであるからだ。ところが、その言語と言語の両義性の幅(range)は社会が彼に与えたものであり、著者がその多義性(multivalency)をコントロールすることはできないような使用と意味のコンテクストにおいて言語と言語の両義性の幅は存在しているのであるから、その言明は著者が意図していたであろう両義性の幅から外れた意味を他者に伝えるかもしれない(それは特に、言語変化のプロセスがある程度進んだ後にそうなる)。確かに、著者が生きた時代の言語のリソースによって著者が伝えようとはできなかったメッセージを伝える意図はなかったにちがいない。おそらく、同時代の聞き手や読み手が理解できなかったことを意味していたはずはないであろう。しかし、こうした制約内において、著者が言ったこと以上のことを意味したり、あるいは著者が意図したこと以上を言ったりすることがたまたま著者に(そしてそれはわれわれ全員にも起こりうることだが)生じる余地はあるのだ。言語はその政治的機能の間で作用して紛争理論化(conflict theorists)が関心を寄せる人質交換のようなもの(something like the exchange of hostages)を確実にする、とも述べられよう。言語は常に、われわれが意図した以上のことを暗黙のうちに伝える。そして、聞き手がその含意に気づき、われわれの意思伝達と行為(communications and acts)の意味を制御し、あるいは修正するためにそうした含意を用いるやいなや、われわれは言語を用いるという単なる行為によって、言語における含意に身を投じることになる(commit ourselves)。一切を話すということ(To speak at all)は、われわれに対する力を他者に与えることである。全くもって話さない、明瞭には話さない、あるいは(可能であるならば)一方的に規定することができない基準枠内で話すのを拒むことで、自分自身の力を主張する者もいる。死ぬ間際に草稿を燃やす著者は自身のことを解釈する力を後世の人々に認めていないのである。『不思議の国のアリス』に出てくるハンプティ・ダンプティは、ホッブズ的な自然状態に相当する言語学上の存在であったのである(9)。*5

22 しかしもし、ある政治的発言の著者が、その発言が意味を持ち得るレベル、あるいは(二次的言明が言説のコンテクストに一度入り込み)それが議論され得る抽象レベルを全くコントロールすることができないとすれば、以下のようになろう。第一に、(ハンプティ・ダンプティとは異なり)彼は彼自身の発言の「意味」を充分には統制(command)しないということ。第二に、それは複数の歴史を持つだろうということ、そしてその歴史は、その発言が意味を持つレベルと同じくらい数多くのレベルに基づいて進行する。第三に、この歴史は複数のモーメント・出来事・プロセスから成り立っているが、それらは著者自身の意図を明瞭に表現しているもの(articulation)ー構成と発言(formation and utterance)ーを構成しているモーメント・出来事・プロセスよりも広く分配されたそれらから成り立っているということ、このことはいまや言明の歴史の限られた領域(a limited area of the history of the statement)を表象している(represent)。一度歴史がこのような言語上の難しさ(linguistic depth)をもって見られると、彼の発言の「意図」や「発話内効力(illocutionary force)」といった問題(10)よりも、その著者がもたらしているパラダイムの方がより重要になる。というのも、彼が何事かを言うにあたってどういった手段を用いたのかということを理解して初めて、われわれは彼の発言の意図が何であったのか、彼は何を発言することに成功したのか、彼がどのようなことを発言したと受け取られたのか、そして、既存のパラダイム構造を修正あるいは転換するにあたり彼の発言がどのような効果を有していたのか、といったことを理解することができるからである。著者ーそれは思考し表現する個人であるーはわれわれが語らなくてはならないどんな物語においても行為者=演者であり続けるが、われわれが辿っている過程の単位とは政治的発言のパラダイムである。これらが機能することで、著者のコミュケーションが伝達され、そして(決して同じものではありえないが)受け取られるレベルをパラダイムが規定する。また、パラダイムが変われば、こうした意味のレベルのパターンもまた変わるのである。もしある著者がいわゆる「創造的」、「先駆的(seminal)」あるいは「革命的」であれば、彼の発言が及ぼすなんらかの力によってパラダイム構造を変えようとしている明確な影響を(そしておそらく意図もまた)、彼に帰することができるであろう。

23 そうであれば、歴史家の最初の問題は、著者がそれとともに、また、その内部で操作する(operate)「言語」あるいは「語彙」を同定し、そして、彼が何を述べどのようにそのことを述べたのかということを規定するために「言語」あるいは「語彙」がパラダイム上どのように機能したのかを示すことである。この作業は、以下のように仮定すればより容易に想像されよう。それは(以後の論文の多くが扱う「初期近代」や「後期ルネサンス」においても一般的にそうであったが)、政治の問題ーあるいは神学や法学や人文主義などの問題ーを議論するために用いられる多くの識別可能なイディオム〔慣用句、語法、あるいは表現形式ー訳者〕をその著者の社会は有しており、また、それらは文化的起源も言語的機能も共にさまざまであった、という仮定である。そうすると、これらのイディオムのうち著者はどれを用い、あるいは批判したのかを同定すること(後に議論するバークの思想は、主として、イングランドの政治論争において、どのような言語が用いられたのか、また、適切には何であったのかについての探究である)、また、そのイディオムが果たした、あるいは規定した政治的機能と知的(intellectual)機能がどのようなものであったのか、そのイディオムが含んでいた前提と含意はどのようなものであったのか、そして、そのイディオム自身が示唆した道筋(the lines)に沿ってそれらを用いることの結果が通常(normally)どのようなものであったのかを示すことがより容易になる。そしてこの後で、われわれは著者が実際に行ったような(言語、あるいは語彙のー訳者)使用の結果を考察することができるのである。この段階にて、思いえがかれた言語(the languages adumbrated)が真に存在していたことをどのようにして知るのかと、あるいは、それらを調べている時にどのようにしてそれらを認識するのかということを問われれば、実証的に(empirically)答えることができるはずである。それは、論争になっている(in wuestion)言語はただそこに存在しているということであり、その言語はそれぞれ認識可能なパターンと様式を形成しているということ、そして、われわれがその言語を話しているということを理解し、その言語を話すことでわれわれはどの方向に向かうのかを予測することができるようになるまで、その言語を話し、その言語のパターンと様式において思考するようになることで、われわれはその言語を理解するようになるのだ、ということ。こうした観点から、われわれはそれらの徹底的な研究へ進み、そして、それらの文化的社会的起源と、その言語が含み、伝えるのに資する前提、含意、曖昧さの言語的・政治的なモードを発見するのである。

24 以下のうちどちらが最も魅力的な経験であるのか、述べるのは難しい。すなわち、政治的言説と政治的議論が実際に行われた言語を発見する興奮か、あるいは、それらの存在ー容易に見ることができ、全く難解ではないーがどれほど軽視されあるいは無視されてきたのかを理解する驚きか。われわれは以下のことを知ることによって豊かになってきている(enriched)。16世紀のフランス思想や17世紀のイングランド思想が、主として、法と制度に関する過去の歴史の敵対するヴィジョン(rival visions of the legal and institutional past)ーそれらのうちの幾ばくかは高度に洗練されたものであったーの観点で導かれたということ。マキアヴェッリの政治的語彙はフィレンツェの実践praticheにおける論争の言語と際立って連続的であること(12)。ピューリタンの思考は、概ねカルヴァンによって反対された終末論的概念と黙示録的概念の周辺で体系化された(orgnized)ということ、そしてその黙示録的様式(mode)は反乱を起こした側と同じくらい支配する側の構造によっても用いられていたということ(13)。ホッブズの『リヴァイアサン』は1649年から51年のエンゲイジメント論争に対する寄与として位置づけることができるということ(14)。18世紀の政治的議論におけるロックの重要性は徹底した再評価が求められるということ(15)。18世紀半ば保守的なスタイルはバーク的(Burkean)というよりもむしろ反歴史(主義)的(anti-historical)であるということ(16)。アメリカの革命論者と建国者はマキアヴェッリ的腐敗という恐怖に取り憑かれていたということ(17)。他方では、われわれは以下のことを認めなければならなくなってきている。『リヴァイアサン』第3・4部は、第1・2部と同じ長さがあるにもかかわらず、その内容が哲学ではなく、聖書に関する注釈(exegesis)で終末論的であるという理由から、研究者らによってひどく等閑視されてきて、その結果、第3・4部は重要ではなく、また、ホッブズも第3・4部を本気で(seriously)意図したはずがないであろうと考えられたということ。また、ロック『統治二論』の第1部(the first and longer)もまた同じ等閑視を被ったが、それもまた哲学的に構築された聖典(philosophy-constructed canon)にそぐわないためであったということ(18)。そして、ジョサイア・タッカーの著作の編者であるR. L. シュイラー(R. L. Schuyler)が、歴史的議論ではあるが政治理論でもなければ経済理論でもないために誰にとっても興味をそそらないであろうという理由から一冊分を丸々除外したということ(19)。同じようなことはもっとたくさんある。哲学の理論を直に(immediately)考察するのではなくむしろ、哲学の言語を、また、著作が何世紀にも渡って議論の対象となってきた思想家の言語でさえも、実証的に(empirically)考察する構えのある研究者らによってなされる魅力的な発見(striking discoveries)がいまだ存在するという証拠として、本著における諸論文は提示されている。

25 ある言語を知るということは、言語でなされ得る物事を知ることである。したがって、ある思想家を研究するということは、その思想家が言語でなそうと試みた事を理解することである。そしてこうした目標のうちの一つ目は、その言語の習得という理論的には(実践的でないとするならば)複雑ではない手続きを通して達成され得る。しかしこのことは必ずしも実証的な方法のみによって可能というわけではない。もしある社会が多様な言語様式を用いて会話をしているとすれば、それら全てがはっきりと明確で認識可能である必要はないため、そうした多様な言語様式は熟知(familiarization)という過程を通して同定され、学習され得る。ただしわれわれは、そうした言語様式が実際にその社会に存在しており、われわれが主張するように機能していると論証しなければならないだろう。さらにわれわれは、政治的言論においてみられるパラダイム機能は多数あり、同時に存在し、そして、非常に不完全に区別されるために本質的に多様な解釈(multivalent)が可能である、ということを認めてきている。
したがって、そのような言論が有している含意と暗示の負荷(the loads)は非常に重たいということ、また、言論が相当精巧に(with considerable sophistication)用いられたり分析されたりするレベルにおいてさえ、言論が果たし得る政治的機能と言語的機能と、白熱する議論や批判的分析によって言論が追求され得るところの言説の領域(universes)は無限に数多くある(indefinitely numerous)ということになろう。ある意味で政治「思想」の「歴史」を構成するのはこれなのである。
人は政治的な発言をするが、われわれはそれをパラダイム変化の歴史における一つの事象あるいは一つのモーメントとして扱うよう決心したわけである。しかし、その発言は複数の政治的行為として、複数の(more than one)論理的な地位(status)を有しているものとして、複数の抽象レベル、複数の論及(reference)のコンテクスト、複数の言説の領域に属しているものとして、理解することができる。著者はこれらすべてのコンテクストにおいて自身の言明が解釈されることを意図していなかったかもしれない。しかし、読者の意識が著者の言明を位置付けることのできる何らかの、あるいは、あらゆるコンテクストで読者が解釈することを、著者は妨げることはできないのだ。そして時が経ち、人々の概念的世界(conceptual universe)が変化を被るにつれて、著者の言明は彼が意図しなかった、あるいは思い描かなかったコンテクストできっと解釈されるようになるだろう。したがって、いつでも、特定の発話の「意味」(複数あることは避けられない)は、複数の文脈であるパラダイム構造(a paradigmatic texture, a multiplicity of contexts)においてその発話を位置付けることによって発見されるべきである。そして、発話の言語の力(verbal force)それ自体はそのパラダイム構造を完全に決定づけることはできないのだ。もしわれわれがわれわれ自身の意見を述べることによってその歴史のある側面を辿りたいと思うならば、われわれ自身が言語を用いることによって、歴史のこの1ページ(this piece of history)が生じた文脈や領域を切り離さなければならない。言論はそれ自身で(パラダイム構造のなかの)位置が決まるわけではない(Speech is not self-locating)。例えば、マキアヴェッリの思想はマキアヴェッリの思想の歴史をわれわれに教えてくれるわけではないだろう。『君主論』が1513年に書かれていようとも、あるいは(例えば)1613年に反論(counter-utterance)によって応答されていようとも、われわれはわれわれの解釈を行うにあたって最も解明に役立つ(illuminating)意味のレベルを同時代の構造(texture)の中に位置付けなくてはならないこのためにわれわれは、これまでは暗示的であったものを明示的にすることと、明示的にすべき含意の部分やレベルを選択することによって進んでいく必要がある


(9) 「私がある言葉を使うとき」ハンプティ・ダンプティは蔑むようなトーンで言った「それは私が意味させようとすることを意味している。それ以上でも以下でもない。」アリスは言った。「問題なのは、言葉に別の意味を持たせることがあなたにできるかどうかよ。」ハンプティ・ダンプティは言った。「問題なのは、誰が主人であるかだ。それだけだ。」対話が進むにつれ、ハンプティ・ダンプティが優位を保てなくなり、ごまかすこと(obfuscation)に訴えざるをえなくなっていることに読者は気づくであろう。「犯すべからず!私が言っていることはそのことだ!」アリスが立ち去ると、ハンプティ・ダンプティは塀から落ちた。後になって、赤の女王は言った。「一度ある事について述べたなら、そのことは変わらない(that fixes it)。結果を受け入れなくてはならない。」
(10) 私はこれらの術語の使用を、注(1)にて前掲した、『歴史と理論(History and Theory)』第8巻第1号における論文[Meaning and Understanding in the History of Ideasー訳者]から引用した。もし意図と発話それ自体がさまざまなモーメントにおいて生じている、あるいは存在しているものと考えられ得るならば、「意図」と「発話内行為(illocution)」は決して全く同一ではあり得ない、と私には思われる。というのも、ある人物の意図が発話内の力を及ぼすようなある言明の発話の最中に修正される(modified)可能性が排除されるということは決してあり得ないからである。
(11) W. F. Church, Constitutional Thought in Sixteenth -Century France (Cambridge, Mass.; Harvard University Press, 1941), Myron P. Gilmore, Argument from Roman Law in Political Thought, 1200 to 1600 (Cambridge, Mass.; Harvard University Press, 1941); Julian H. Franklin, Jean Bodin and the Sixteenth-century Revolution in the Methodology of Law and History (New York: Columbia University Press, 1963); V. De Caprariis, Propaganda e Pensiero Politico in Francis Durante le Guerre do Religione, 1559-1572 (Naples: E. S. I., 1959); Herbert Butterfield, The Englishman and his History (Cambridge University Press, 1944); Pocock, The Ancient Constitution and the Federal Law.
(12) Felix Gilbert, Machiavelli and Guicciardini: Politics and History in Sixteenth-century Florence (Princeton University Press, 1965).
(13) W. Haller, Foxe’s Book of Martrys and the Elect Nation (London: Jonathan Cape, 1963); William M. Lamont, Marginal Prynne (London; Routledge and Kegan Paul, 1963) and Godly Rule: Politics and Religion, 1603-1660 (London: Macmillan, 1969).
(14) Quentin Skinner, “History and Ideology in the English Revolution”, The Historical Journal, VIII, 2 (1965) and “The Ideological Context of Hobbes’s Political Thought”, ibid., IX, 3 (1966). John M. Wallace, Destiny his Choice: The Loyalism of Andrew Marvell (Cambridge University Press, 1968).
(15) Dunn, op. cit., and “The Politics of Locke in England and Américain the Eighteenth Century”, in John W. Yolton, Ed., John Locke: Problems and Perspectives (Cambridge University Press, 1969).
(16) See below, pp. 142-44, 256-6, 267-8.
(17) Bernard Bailyn , The Ideological Origins of the American Revolution (Cambridge, Mass.: Belknap Press, 1967); Gordon S. Wood, The Creation of the America Republic (Chapel Hill: University of North Carolina Press, 1969).
(18) Laslett, op. cit.
(19) R. L. Schuyler, ed., Josiah Tucker: A Selection from His Economic and Political Writings (New York: Columbia University Press, 1931), preface.

訳注
*5 訳者には教養がないため、このハンプティ・ダンプティに関する記述で理解に資するものを引用する。
「ハンプティー・ダンプティーとは、言語を一方的に支配し、他者に対して絶対的な主人たろうとする独裁的な権力者のことである。しかし、すでに述べたように、著者がその意図を絶対的に領有できるわけではない。著者性=権威authorityは他人の解釈に晒され、つねにすでに不完全である。ところが、ハンプティー・ダンプティーは、著者性=権威の不完全さを嫌悪し、他者による侵入を許さず、言語を純粋な仕方で支配し、それによって著者性=権威を犯すべからざる絶対的な主人にしたてようとする。ポーコックが政治思想史の再構築で何としても抵抗しようとしたのは、神聖にして不可侵の権威を立てる独裁の政治であった。」中島隆博「言語と政治ーポーコックと中国政治思想史ー」『思想』第1007号、2008年3月号、2008年、69-70頁。


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