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対話と議論の境界

「ディベートは生産的じゃあないよ。
 自分たちの正当性を主張しながら弱点をついて、
 論理的に相手を打ち負かすゲームだ。」

 ディベート部出身の友人はそう言いました。
 議論ディスカッションの必要な場面があったとしても、議論ディベートの必要なときは日常生活には皆無かもしれません。

 もっと言えば本当に必要なのは対話ダイアローグなんだ、と彼は言いました。対話は会話とは違うし議論よりも難しいけどね、と。


 今、あらゆる場面に対話が必要とされています。

 身近な家族関係はもとより、社会生活の中の人間関係にも必要です。広域な視点では地方自治体や国会規模の集団の中に、あるべき対話が欠乏しています。

 これは対話である必要があって、議論とは本質的に異なります。

 議論は自分の主張を通したり、自分にとって有利な結論に辿り着くことを目的とする活動ですが、対話の主軸は相手と向き合うことにあります。

 対話とは、意識が相手と向かい合い、自分の思考を適切に言語化して相手に伝えると同時に、相手の言葉を聴いて理解するよう努める双方向性の試みです。
 ここでは感情を表現することはあっても感情の闘争を持ち込まないことが紳士的であって、理性的な応酬によって齎される情緒の共有を楽しみます。

 
 同調は不要。ある程度の調和は望まれますが、自分の思考を閉ざして誰かに同調するような言動は対話の場に適さないでしょう。共感があればよし。発見があればさらによし。勝利も妥協も目的としない知的活動たる対話の果たす役割は、文化的な人間社会の実現に欠かせないものと私は考えます。


 歴史的に日本人は議論も対話も得意ではありません。しかしそれは社会や教育の結果であって、人類の根源的な性質について考えると、対話する本能は全ての人に備わっていて然るべきだと、私には感ぜられるのです。

意見に対する反論は、人格の否定ではない。

ソクラテスがこんなこと言ってた


 対話の場では相手のルーツや人格を否定することは御法度です。それを忘れなければ、交わす言葉は厳しくも温かさを伴うことでしょう。


 私は対話を望みます。

 

 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、貴方と誰かの間に対話が生まれますように。




#対話 #とは #意識が相手と向かい合い自分の思考を適切に言語化して相手に伝えると同時に相手の言葉を聴いて理解するよう努める双方向性の試み
#自分の話を聴いて欲しかったら先ず相手の話を聴く
#業界あるある #対話のできない医者ばかり
#いやそもそも会話にもならない医者も多い
#患者さんの話を聴かない医者の多いこと多いこと
#君はパソコンを治療しとるのかねと言いたい
#医療も対話だと思います #必要なのは信頼関係
#エッセイ #医師 #呼吸器内科医 #漢方医
#この記事で私が一番伝えたいことは
#ヘッダー画像のセンスです
#ソクラテス #孔子 #ブッダ

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