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期待しなければ怒りを減らせるが、期待のない人生は味気ない話

 以前の職場に「鬼」と称される、それはもう恐怖の権化のような上司がいました。知識も技術も一流で、患者さんから好かれる先生でしたが、若手医師に対しては烈火の如く叱り飛ばし、萎縮した若手をさらに責めて潰しにかかるような人でした。溢れる怒りと不器用なコミュニケーションの裏には、しかし患者さんの人生を左右する重大な仕事の指導者の立場であることの「責任感」と、若手医師に対する「期待」が、たしかに存在していたことを憶えています。

 その先生が、最近ではすっかり静かになったという噂を聞きました。いったいどうしたことかと思って話を聴くと、パワーハラスメントとして問題になって「指導」が入ったらしく、怒らなくなった上に叱らなくもなって、若手に対する指導も積極的でなくなってしまったとのことでした。

 パワーハラスメントを肯定するつもりは毛頭ありません。思い返すと吐き気がするような「教育」は、時代錯誤だと思います。しかし、そうか、その先生は若手に「期待」しなくなったんだな、と思いました。

 期待すると、それを上回らなかったときに「もどかしさ」が生じます。そしてそれは失望や怒りといった感情に繋がっていくのです。

 例えばレストランに入ったらすぐに店員がオーダーを取りに来ることを「期待」します。だからなかなか取りに来ないとイライラします。不安を覚える人もいるでしょう。

 例えば子どもがテストで平均点くらいはとってほしいと「期待」します。すると点数が悪かったときに苛立ちを感じます。

 例えば自分の書いた文章がたくさんの人に読まれて、たくさんスキしてもらえて、フォロワーが増えることを「期待」します。そして、音沙汰のない画面をみて、この場合は落胆でしょうか。哀しみや、人によっては怒りを覚えるかもしれませんね。

 しかし「期待」さえしなければ、もどかしさを感じることもありません。

 どうせ、赤点だろう。
 どうせ、誰も読んでくれないだろう。
 どうせ、若手は何もできないだろう。

 これなら心穏やかにいられそうです。
 良かった良かった。怒るのは自分も相手も嫌な気持ちになりますからね。周囲と摩擦を起こさず楽に静かに生きていくには、フラットな感情でのトラブル回避が最善です。潤滑油です。

 …本当にそれでいいのでしょうか。

 感情は原動力です。何かをしようというエネルギーになります。強過ぎる感情は危険ですが、適度な感情は、それがたとえ怒りや哀しみであっても、人間にとって必要なものです。
 ただ、強過ぎる期待は叶わなかったときの落差が大きくなりますから、ここはひとつ、小さな期待を持ちながら生活することをオススメします。

 小さな期待は人生のアクセントになります。叶えば嬉しい、上回ったらすごく嬉しい、叶わなくてもまぁいいか。思い返せば幼い頃は、たくさんの小さな期待を抱きながら生きていたような気がします。

 小さな「期待」と生きていく。

 夢があって、楽しいかもしれません。 


 ところで、妙に怒りっぽい人は身体の不調の可能性もありますから、別なアプローチが必要かもしれません。
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 拙文にお付き合い頂いたことに至上の感謝を。いつか貴方の期待にも応えられるように、精進してまいります。

 


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