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水と恐怖と郷愁の話

 恐怖症という言葉があります。

 私は8歳になるまで風呂とプールが恐怖の対象でした。水は好きなのです。水道や小川には興味を持って遊びましたし、水それ自体には親和性さえ感じていたように思います。

 園のプールの時間は一人泣きながら逃げ回り、プールサイドの隅っこに震えながら座っていたことを鮮明に憶えています。いつまでも水に近寄らない私を保育士が抱きかかえて、私は恐怖で身体を小さくしながら数分だけ、プールの中に居りました。

 小学生になって初めの夏。やはり私は耐え難い恐怖によってプールの時間を忌避しました。泳げないどころか水に入ろうともしない私を見て、担任教師は首を傾げていたかもしれません。

 「泳げないと困る」とヒステリックに訴える母親によって、小学2年生の頃にスイミングスクールが始まりました。何が困るのか、とカナヅチな彼女に質問してもロクな回答は得られませんでした。

 父の仕事が軌道に乗る前のことですから、支出を増やす余裕など無かったはずですが、今思えば母方の実家を頼ったのでしょう。それなりの規模の宝石商の娘であった母は、いわゆる「お嬢様」でした。

 水に浮かぶことも出来ませんでしたから、スイミングスクールでは一番初歩的なグループに所属し、私以外は皆、未就学児でした。それが私の小さな自尊心をどれほど傷つけたことでしょう。私は頑なに泳ぐことを拒否し、無意味な時間が流れました。


 転機は8歳の冬。

 父と二人で温泉に行ったときのことです。私はプールどころか家の風呂も出来れば避けたいと思っていましたが、なんだか楽しそうにしている父につられて楽しい気分になりました。

 名も知らぬ小さな温泉で、露天風呂には他の客は居りません。父は悪戯な笑顔を浮かべると、泳いじゃおっかなぁと言うやいなやザブーンと風呂に浮かびました。それがなんだか可笑しくて、私はゲラゲラ笑いました。ふと、緊張が解けた音がして、私の中で何かが弾けました。

 父に見守られながら、私は湯に浮かびました。ぷかぷかと浮かびながら、こんなことをしたら怒られるんじゃあないかと一抹の不安が脳裏を過ります。慌てて立ち上がると、しかし父は笑っていました。

 私の恐怖症は、そこで終わりました。

 プールは別に好きではなかったけれど、嫌いでもなくなりました。スイミングスクールでは飛び級しながらクロール、背泳ぎ、平泳ぎ、バタフライと順番に習得し、100mを楽に泳げるようになって通うのを辞めました。


 理由のない恐怖症もあります。すべての恐怖症が解明できるわけではありませんし、克服できるとも限りません。私の場合は、しかし幼少期の体験が大きく影響していたことを、後年に気付きました。

 私にとって風呂場は夫婦喧嘩の起こりやすい場所でした。自分のことで父と母が激しく口論して、物が壊れたり血が流れたりします。父と入っているときもあれば、母と入っているときもありましたが、冷たい水が顔にかかったり、苦しかったり、そういう原風景が恐怖の根本にあったのです。


 そのことに気付いたのは、息子が園のプールを恐怖して拒否するようになった時でした。そういうことか、と私は理解して、息子をプールに入れさせようとする妻をどうにか宥めすかしながら、息子との時間を捻出しました。

 半年ほどかかりましたが、仕事を休んで息子と二人で温泉に行ったことを契機に、息子のプール嫌いも消えました。もう大丈夫。私は息子に声を掛けて、それは過去の私にも届きました。



 温泉って、いいよね。



 拙文に最後までお付き合い頂き誠にありがとうございました。願わくは、笑いが恐怖を晴らしますように。



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