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あなたの同意なくして、誰もあなたを傷つけることはできない(7つの習慣)

今回の記事は「7つの習慣」シリーズ第三回です。

(第一回はこちら
(第二回はこちら

前回までは基礎部分のお話でしたが、今回はついに第一の習慣「主体的である」前半部分についてお話していきます。


少し難しいと思える内容もあるかと思います。


でも、あなたの今後の人生に役立つ情報であることは約束します。


では、始めていきましょう。


広く受け入れられている決定論

「人は状況や条件付けによって決定される」という決定論的考えが現代社会では広く普及しています。


中でも世間で一般的に受け入れられている決定論が三つあります。

遺伝子的決定論:「あなたが、そんなに頑固なのは父親ゆずりだ」「短気の家系だからお前も短気なんだよ」など、特定の性質が遺伝子によって受け継がれているという考え。

心理的決定論:「人前にでるとあがってしまうのは、親の育て方のせいだ」といった、育ちや子ども時代の体験があなたの性格や人格をつくっているという考え。

環境的決定論:「この失敗は上司のせいだ」「これは今の経済情勢のせいだ」など、あなたを取り巻く環境の中にいる誰かが、何かが、あなたの今の状態をつくっているという考え。

この三つの考えはどれも、「特定の刺激に対して特定の反応を示すように条件づけされている」という、刺激・反応理論に基づいています。


ここで質問です。


あなたはこれらの性質(遺伝子、心理、環境など)が、「あなたがどのような人間になるか」を決定している要因だと思いますか?


著者のコヴィー博士の答えはノーです。


これらの条件が大きな影響力を持っていることは彼も認めています。


(条件付けが私たちのものの見方に与える影響の大きさに関してはこちら


でもこの影響力に対してなすすべがないといったら、それはありえない。


なぜなら私たちには人間を人間たらしめる自覚・想像・良心・意志という四つの能力を持っているからです。

自覚:自分自身を客観的に見つめる能力
想像:現実を超えた状況を頭の中に生み出す能力
良心:心の奥底で善悪を区別し、自分の行動を導く原則を意識し、自分の考えと行動がその原則と一致しているかどうかを判断する能力
意志:他のさまざまな影響に縛られずに、自覚に基づいて行動する能力


どんなに高い知能をもつ動物でもこの四つの能力は備えていません。


これらの能力を使い、開発していくことで、すべての人間に内在する可能性を最大限に引き出せるようになります。


ではこのすべての人間に内在する可能性とはなにか。


それは「選択の自由」です。


刺激と反応の間には選択の自由がある

先ほど、現代社会で広く受け入れられている考えは刺激・反応理論(特定の刺激に対して特定の反応を示すように条件づけされているという考え)が土台になっているとお話しました。


しかし僕たち人間は自覚という能力のおかげで、自分の身に起こること(自分が受ける刺激)とそれに対する反応の間に、「反応を選択する」という自由をもっています。


何が起ころうとも、それが自分に与える影響を自分自身の中で選択することができるということです。


この「選択の自由」こそ、第一の習慣「主体的である」の核となる考えであり、主体的な人間になるために不可欠な要素です。


主体的な人と反応的な人

ここでいう主体性とは、ただ単に、自発的に率先して行動するということだけを意味するわけではありません。


「自分の人生の責任を引き受ける」という意味もあります。


あなたの言うこと、することはもちろん、人生を通してあなたに降りかかるすべての出来事はあなたの責任です。


自分の行動に責任をもち、状況や条件付けのせいにしない。


自分の行動は一時的な感情によるものなどではなくて、価値観に基づいた、あなた自身の選択の結果


あなたがレストランで従業員に声を荒げてキレたのは、「彼が自分の服に誤って水をかけてしまったから」ではなく、その出来事(刺激)に対してあなたが彼を威嚇するために「声を荒げて怒る」という選択をしたから。


あなたが自分の子どもを叱り、怒鳴りつけるのは、「言うことを聞かない子どもがあなたをイライラさせたから」ではなく、その出来事(刺激)に対してあなたが子どもを屈服させるために「叱り、怒鳴りつける」という選択をしたから。


あなたが他人をなかなか信じられない人間なのは「過去に大切な人に裏切られたから」ではなく、その出来事(刺激)に対して、あなたがまた同じような目に遭いたくないがために「他人を信じない」という選択をしたから。


あなたが傷つき、悲しんでいるのは、「医者に余命1年を宣告されたから」ではなく、その出来事(刺激)に対してあなたが「傷つき、悲しむ」という選択をしたから。


不治の病や重度の身体障害などの困難に苦しみながらも、精神的な強さを失わず、誠実で勇気のある人生を歩む人たちに接した経験はありませんか?


周りにいなくても、テレビの特集や映画で、病気や障害で苦しみながらも、むしろ周りの人の人生を明るくしていくような人の姿をみて、感動したり、励まされたりした経験はありませんか?


彼らは、自分の身に起きた出来事(病気・障害)に対して「絶望し悲観的な人生を歩む」という選択ではなく、「周りよりも困難な人生だろうと堂々と生きる」ことを選んだんです。


あなたの同意なくして、誰もあなたを傷つけることはできないんです。


僕たち人間には自覚という能力があるので、本来は主体的な存在なんです。


だから、もし、人生が条件付けや状況に支配されているとしたら、それは意思的にせよ、無意識にせよ、支配されることを自分で選択したということになります。


条件付けや状況に支配される選択をすると、人は反応的になります。


天気がいいと、自分の気分もよくなる。


天気が悪いと、気持ちがふさぎ、行動も鈍くなる。


自分をコントロールする力を自分以外の何かに与えてしまっているんです。


一方、主体的な人は、自分の中に天気をもっています。


雨が降ろうが、快晴だろうが、関係ありません。


「質の高い仕事をする」という自分の中の価値観に基づいて行動しているので、天気がどうであろうと仕事に集中できます。


率先力を発揮する

ここまでの話で、主体的な人は「自分の身に何が起きるか」ではなく、「それにどう反応するかの選択」に意識を向けているということがわかりした。


ではこの主体性はどのように身につければいいのでしょうか。


この質問に対する答えは「率先力を発揮する」です。


ここでいう「率先力」とは、「自分から行動を起こす責任を自覚する」ということです。


「自分から進んで状況を改善する行動を起こす」「望む結果を得るために必要なものは端から実行する」と言い換えることもできます。


多くの人はこの率先力の重要性をすでに理解しています。


でも、実際に発揮できていない人が多い。


例えば、多くの人が「もっといい仕事に就きたいなぁ」と思っているとします。


そこで、専門家が、「関心のある職業の適正試験を受け、その業界の動向を調べ、そして入りたい会社の問題点を探って解決策を考え、その問題を解決する能力が自分にあることを効果的なプレゼンテーションで売り込みなさい」と彼らにアドバイスを与えました。


きっと彼らはこのアドバイスに賛同するでしょう。


このようなアプローチをすれば採用や昇進の機会を手にできる可能性も上がると、そう信じて疑わないと思います。


でも、このアドバイスを実際に実行する人はごくわずかなんです。


「どこで適正テストを受ければ良いかわからないんですが...」
「業界や会社の問題点というのは、どうやって調べたらいいんですか?」
「効果的なプレゼンテーションってどうやって作ればいいんですか?」


こんな感じに、多くの人は自分からは動かずに誰かが手を差し伸べてくれるのを待っています。


違うんです。


行動を起こすのは、あなたの責任です。


主体性をもって、あなた自身が問題の解決策になるんです。


周りが動くのを待っていたら、あなたは周りから動かされるだけの人間になってしまいます。


思い出してください。


「7つの習慣」は僕たちがより幸せな人生を歩むために必要なエッセンスを教えてくれています。


その一番最初の習慣が「主体的である」。


主体的になるためには、自分の人生の責任を引き受ける必要がある。


自ら責任を引き受けて行動を起こすのか、それとも周りから動かされるのか、あなたはどちらを選択しますか?


成長や幸福、成功の鍵を握っているのはどちらでしょうか?


よく考えてみてください。


主体的な人の言葉、反応的な人の言葉

私たちが普段話している言葉に耳を傾けてみると、その人の主体性の度合いを測ることができます。


例えば、反応的な人は以下のような言葉を使います。

「僕は生まれつきそういう人間なんだよ」
(人はすでに決定づけられていて、変わりようがない。自分の力ではどうにもならない)

「本当に頭に来るひとだわ」
(人の感情は自分ではコントロールできない)

「妻がもっと我慢強かったらいいのに」
(他者の行動が自分の能力を抑えつけている)

「これをやらなければならないのか」
(状況や他者から行動を強要されている。自分の行動を選択する自由がない)


彼らの言葉の裏にあるのは、「責任の転嫁」です。


「自分には責任はない、自分の反応を選ぶことはできない」と暗に言っているんです。


反応的な言葉の厄介なところは、自分自身でその言葉通りの状況を作ってしまうことにあります。


自分はこういう人間だという思い込みを強くし、その思い込みを裏づける証拠を自分で探す、もしくはつくりあげてしまうんです。


こうしてどんどん被害者意識を募らせ、感情をコントロールするすべを失い、自分の人生を自分で切り開くことができなくなってしまう。


こういった人たちが、自分の不幸を他者や状況のせいにしているんです。


関心の輪/影響の輪

言葉遣いに注意を払う以外にも、自分がどのくらい主体的な人間なのかを「自覚」するための素晴らしい方法があります。


「自分の時間とエネルギーを何にかけているかに目を向けてみる」ことです。


誰でもさまざまな関心事をもっています。


健康や家族、職場の問題、国家財政、などなど。


これらの関心事をひとつの円でくくったものを「関心の輪」とします。(図1参照)


この関心の輪の中に入れたことを見てみると、自分がコントロールできるものとできないものとがあることに気づくと思います。


自分でコントロールでき、影響を与えられるものをひとつの円でくくったものを「影響の輪」とします。(図1参照)


この二つの輪のうち、あなたが自分の時間と労力を主にかけているのはどちらでしょうか?


反応的な人が労力をかけるのは影響の輪の外です。(図2参照)


他者の弱み、周りの環境の問題点、自分にはどうにもできない状況に関心を向けます。


こうしたことばかりに意識を集中させてしまうと、人のせいにする態度や反応的な言葉、被害者意識が強くなっていきます。


自分が影響を及ぼせる物事をおろそかにしてしまっているので、結果的に影響の輪は小さくなっていきます。


一方で、主体的な人が労力をかけるのは影響の輪の中の領域です。(図3参照)


自分が影響を及ぼせる物事に働きかけ、影響の輪を押し広げていきます。


影響の輪の外でいくら頑張っても、ネガティブなエネルギーしか生み出しません。


ポジティブな変化を起こすには影響の輪の中に意識を向ける必要があります。


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直接的にコントロールできること、そしてコントロールできないこと

僕たちが直面する問題は以下の三種類に分類できます。

・直接的にコントロールできる問題
・間接的にコントロールできる問題
・コントロールできない問題


直接的にコントロールできる問題は、自身の習慣を改めれば解決できます。


つまり、自分の影響の輪の中にある問題です。


これらの問題を解決できれば、第1、第2、第3の習慣のゴールである「私的成功」に近づくことができます。


間接的にコントロールできる問題は、影響を及ぼす方法を考えることで解決が可能です。


これらの問題は、第4、第5、第6の習慣のテーマである「公的成功」に結びつくものなので、今後の記事でまたふれます。


コントロールできない問題の場合には、その問題に対する態度を根本的に改める必要があります


自分の力ではどうにもできない問題なら、笑顔をつくって、穏やかな気持ちでそれらを受け入れて生きる術を身につければいいんです。


そうすれば、コントロールできない問題に振り回されることはなくなります。


いいですか、直接にコントロールできる問題だろうが、間接的にコントロールできる問題だろうが、コントロールできない問題だろうが、それを解決する第一歩はあなた自身が踏み出さないといけないんです。


自分の習慣を変える。


影響を及ぼす方法を変える。


コントロールできない問題なら、自分の態度を変える。


ほら、解決策はぜんぶ、自分の影響の輪の中にあるでしょう?


自分自身で影響を及ぼすことのできる「影響の輪」を広げていけばいくほど、自分が周りに与えることのできる影響も比例して大きくなっていくんです。


「持つ」と「ある」

さて、あなたの意識は「関心の輪」と「影響の輪」とのどちらに向いているでしょうか。


これを判断するために、自分の考え方が、「持つ」タイプなのか、それとも「ある」タイプなのかを考えてみましょう。

「家さえ持てれば幸せになれたのになぁ」
「もっと部下思いの上司を持てていたらなぁ」
「もっと忍耐強い夫を持てていたらなぁ」
「学歴さえ持っていたらなぁ」

「僕はもっと忍耐強くあるぞ」
「私はもっと賢くあるぞ」
「もっと愛情深くあろう」


反応的な人は「持つ」タイプの考え方、対して主体的な人は「ある」タイプです。


反応的な人は「アウトサイド・イン(外から内へ)」のパラダイムで物事を見ています。


自分が変わるためには、まず外にあるものが変わらなければならないという考え方。


主体的な人は「インサイド・イン(内から外へ)」のパラダイムで物事を見ます。


自分自身が変わる、自分の内面にあるものを変えることで、外にあるものをよくしていくという考え方です。


いいですか。


もし、あなたが問題は自分の外にあると考えるならば、その考え方こそが問題です。


でも、あなたがどんな考え方をしようが、それはあなたの自由であって、他の人には関係のないことです。


だって、「持つ」に基づいた考え方をすることを選んだのは他の誰でもないあなたなんですから。


その選択の結果、今後あなたの身に何が起ころうと、あなたの責任なんですから。


誰も関係ありません。


でも、今後なにか不幸なことが自分の身に起きた時はきっとまた、誰かのせいにするんでしょうね。


わかります、だって自分の身の上を他者や周りの状況のせいにするのは簡単だし、楽ですもん。


でも、自分の力では変えようのないものからいつも原因を見出す人生ってはたして幸せなんでしょうか。


思い出してください。


僕たちは「反応を選択する」ことができるんです。


つまり不幸になる選択ができるように、幸福な気持ちであることも選択できるんですよ。


繰り返すますが、あなたの同意なくして、誰もあなたを傷つけることはできないんです。


これを踏まえた上での、あなたの選択はなんですか?


今日はここまで。


次回は第1の習慣「主体的である」の後半部分をお話していきます。


(後半部分の記事はこちら


この記事が少しでもあなたの人生にいい刺激、影響になってくれていたら、とても嬉しいです。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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