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本とコーヒーのにおい

大学生活がようやく身体になじんできて、ここ最近、学校へ通うのが楽しみで仕方がない。

特に研究室へと足を運ぶことは、私をうきうきした気持ちにさせる。

去年まではコロナ禍で研究室活動がさほど活発ではなかったし、卒論の作業をしている上級生に遠慮して、うまく研究室をつかえなかったからかもしれない。

春になってからというもの、私は実にのびのびと研究室を使っている。いつ行っても必ず知っている顔がいるというのがなんとなく愉快だと思う。

なかよしのひとに会えたらハッピー。
なかよしになりかけているひとに会えたらラッキー。

互いの作業の合間、休憩がてらちょこっと雑談するあの時間が私は好きだ。

どうしようもなく、泣きそうなくらいに何の変哲もない日常という感じがして。いつか静かに失われていくものとして。

今日は研究室で起きた春からの出来事のうち、印象的だったものをいくつか連ねようと思う。気分転換みたいなものなので、みなさんも目次から、気になったものに飛んで行ってちょこっと文章を追うような楽な感じで読んでください。

そういえば、前にも1度こういう形式のnoteを書いたことがある。私はこれをアンソロジーのようなものかなあと思うんだけれど、ちょっとちがうのかな?しかし、まあ、そのようなかんじです。


早速書いていきますね。

(前回のものはこちら↓)


***

花柄のトートバッグ

大学という場所のおもしろいところのひとつに、年齢が異なるひとびとが同回生として在籍しているということがある。

普段は年齢なんてあまり意識していないのだけれど、ときどき何かのはずみに「えっ、同い年じゃなかったんだ!」「えっ、あのひと年上かと思ってたけど同級生だったんだ!」というようなことが分かって、「いつもため口だったけど大丈夫だったかなあ」となったり、「ずっと敬語使って話してたなあ」となったりする。

そして私の所属しているゼミは、4回生が15人、院生が1人、先生1人という構成になっている。院生の方と先生は年上なのが自ずと分かっているのだけれど、4回生の中にどうやら1人だけ年上のひとがいるらしいのだ。

彼女は編入してきたので私と同い年ではないらしい。そして誰かと一緒にいるというよりは、ひとりで行動していることが多いように見える。

私は先生と話をしているときに、はじめて彼女が年上だということを知った。

「あのひとは、自分が年上だと思ってちょっと気にしてるところがありますから、こっちから話しかけてやらんといけませんね」と先生は言っていて、私は「そうか、気にしているのか」とぼんやり思った。

年齢なんて気にするようなことではないような気がするけど、自分が4回生の中でひとりだけ年上だったら、もしかすると気にしてしまうのかもしれないな、と。

だから話しかけてみようと思い、様子をうかがっていた。

そして見かけるたび観察していると、あることに気がついた。彼女は学校へ来るときにトートバッグを持ってくるのだけれども、それがすんごくかわいいのだ。

バッグはしっかりしたつくりの花柄のもの。

しかし花柄とは言っても、小花柄のように全体に花が散っているのではなく、同じ花のデザインが横に等間隔で並んでいるようなやつなのだ。昭和のホーロー鍋のデザインみたいなの。それがレトロですごくかわいいのだ。

私はどんな種類であっても花柄に目がないので、ゼミに行くたびにそのトートバッグを見ては「なんてすてきなバッグなんだ!」と感じていたし、どこかタイミングを見計らってそのことを本人に直接伝えたいと思っていた。

しかしいきなりのこのこと出て行って「そのトートバッグすごくかわいいですねえ!」などと褒めてこわがられてもいやだし、きちんとしたかかわりがなく、互いをちゃんとは知らないので、春から少し様子を見ていたのだった。

けれどこの前、彼女がたまたま研究室を訪れ、私の近くで卒論の作品の先行研究の論文を探していたので(彼女は小川洋子の『余白の愛』で卒論を書く。小説おすすめです)、今だと思い、少しどきどきしながら「おつかれさまです」と声をかけてみた。

彼女はこちらを見て「おつかれさまです」と返してくれた。

私はその反応が否定的でなかったことにひそかに胸をなでおろし、「前から思っていたんですけど、そのトートバッグとってもかわいいですね」と続けて言ってみた。とびきりチャーミングに。

すると彼女は「いえ、そんな!ありがとうございます」とはにかんだ。マスクをしていて顔の半分が見えなかったとはいっても、とてもすてきな笑顔だった。そして私は「声をかけてみてよかった」と思ったのだった。

また出会ったらためらわずにご挨拶してみようと思う。きっと返事をしてくれる。1年かけてすこしずつおしゃべりできるようになれたらいいな。

もちろんそういうことを思っている相手は彼女だけではないけど、彼女とも私はあれこれお話してみたいのだ。年齢などに関係なく。


あの子が言う「あの子」

大学に入学してから、なんとなくずっと認識はしていたけれど、どうもうまく話しかけられなかった女の子がいた。

彼女はハキハキしていて、授業での発表資料は絶対に手を抜かないし(配布される資料を見たらいやでも分かる)、話し方も態度も堂々としているから、しっかり者のおねえさん、という感じ。

そして彼女は発表のとき、喋りながら聞き手とまっすぐ目を合わせるひとなのだ。反対に彼女が聞き手であるときも、必ず発表者をまっすぐに見つめる。

目を躊躇なくまっすぐ見つめてくるひとに私は心惹かれるたちなので、ずっと、絶対になかよくなりたいと思っていた。しかしなかなかよいきっかけを捕まえられず、結局今年になって、教職関係の授業で初めて彼女に声をかけた。

「今までずっと話しかけたかったんだけど、タイミングがうまくつかめなくて話しかけられなかったの」と打ち明けると彼女は、

「ゼミが一緒だからこれからいくらでも話せるよ」と屈託なく笑ってくれた。

そのさっぱりした青空みたいな雰囲気と、「これからいくらでも話せるよ」という前向きな言葉に私は胸を撃ち抜かれ(私が彼女を撃ち抜きにいったはずだったのに)、最近はずいぶんなかよくなってきた。

「卒論は何になったの?」と質問したら「小川洋子になったよ」と言うので、「私は小川洋子あきらめたんだよね…小川洋子の何で書くの?」ともう一度質問すると「『密やかな結晶』ってやつ」と教えてくれた。

「あっ、名前だけ聞いたことある。読んでみるね」

小川洋子はこの1年でずいぶん読んだつもりだけど、彼女が挙げたのはまだ私が読んでいないものだった。ぜひとも読んでみようと思ってそう言ったら、彼女は「いや読まんくてもいいのよ、大変よあれ」と真っ向から反対するので、ちょっと笑ってしまった。

彼女曰く、「なんか内容が結構難しくて、決めたは決めたけど、ちゃんと卒論書けるんかねえ」ということだった。正直なひと。きっとなんとかうまいこと書いてしまうのだろうけど。

彼女とは、5月末から6月にかけての教育実習後にもおしゃべりをした。

彼女は実習で、梶井基次郎の「檸檬」を教えたのだと言っていた。本物の檸檬をお店で買ってきて生徒たちに触らせたのだという。そういう授業は、特に国語科においてはすごくいいと思った。文章を追うだけでは退屈な子もいると思うから。

(つい忘れてしまいそうになるけど、私たちは、中高生の全員が全員国語を好きなわけじゃないことを常に肝に銘じておかなくてはならないのだ)

そんな彼女は、話の最中に誰かのことを話題に挙げるとき、話題に挙がっているひとのことを必ず「あの子」と呼ぶ。

たとえば、実習期間がひとりだけ3週間のマッシュボブの彼が、私たち2週間組が学校へ戻ってきてもまだ姿を見せていない話をしていたときには、「そうか、3週間ってことは、あの子は中学の免許も取るのか」と言った。

さらにカッターシャツの彼が、教育実習組がいなかった間の発表資料を丁寧に二つ折りにし、研究室にあるそれぞれのロッカーに放り込む仕事を担ってくれたらしい話をすると、「発表資料はあの子が入れてくれたんか。ありがたいなあ」と言った。

彼女はそこにいない第三者のことを「あの子」と呼ぶのだ。

「あのひと」とか「あいつ」とか、「彼」とか「彼女」とかじゃなく、一方でそのひと個人の名前を出すわけでもない。ただの「あの子」。

私にはなんだかそれがすごく好ましく思えて、自分でも口に出して言ってみたくなる。あの子。

私は基本的には個人名を出して誰かのことを語るし、そうでなければ「彼が…」「彼女は…」と言ってしまうけれど(なんか格好いいじゃない?)、「あの子」って言い方はすごくいいな、と思う。

親しみがこもっているし、へんに距離感が遠かったり近かったりもしない。小さな子のことを語っているようでかわいらしいし。何よりも誰かのことを「あの子」と言う彼女がいちばんかわいらしいんだけどね。

けれどおそらく、他の誰でもない彼女が「あの子」と言っているからこそ、その言葉を魅力的に感じたのだと、私は胸のどこかで気づいている。

そして彼女が誰かと会話しているとき、もしかすると私のことも「あの子」と呼称しているのかな、してくれていたらうれしいなと考えたりする。

自分が「あの子」と呼ばれているのを実際に耳にすることはおそらくないけど、それでもまあいいか。むしろそれがいいかな、と今のところは思う。

チュッパチャップス

大学の同期に、ワニの筆箱を持っている男の子がいる。

彼はどうしてだか気だるげに見えるので、「性格も冷めているのかしら」と思ってしまうんだけれど、話しかけてみると思いのほかよく笑うし、結構思い切ったことを言ったりするのでおもしろい。

私の所属している研究室に4回生は全部で24人いて(「研究室」と「ゼミ」が違うということだけ理解していてください)、研究室の部屋の中にロッカーを与えられているのだけれど、あいにく全員分ないので、2人でひとつのロッカーを使用するようにと言われている。

しかし2人で使うと逆に微妙にロッカーが余ってしまうので、中には1人で使っているひともいる。私は春のはじめ、わりと早い段階で、なかよしの女の子と共同でロッカーを使うことを決めたのだけど、ワニの筆箱の彼は私が声をかけたときにはまだロッカーの場所を決めていなかった。

「〈ワニの筆箱の彼〉くん、ロッカーの場所決めた?」

研究室の掃除のときにそう尋ねると「まだ。え、もうみんな決めたの?どこが空いてる?」と訊き返されたので、私はすぐさま自分のロッカーの斜め左下を指した。そこにはまだロッカー使用者の名が示されていなかった。誰も使っていないからだ。

「ここが空いてるからここにしなよ。でもひとりで使うなんてちょっとずるいから、私にも使わせてね。その代わりおやつを入れておくから」

「なんでそんな〈青葉〉さんが全部決めるん?まあいいけど…。じゃあ、そこにする」

特有のかすれた声で彼はそう言って、しかしふっと笑ったから、私は「このひとはこのテンポで話をしても大丈夫なひとだ」と思って笑い返した。

しかし彼はゼミのあとすぐに家に帰ってしまうし、めったに研究室へ来ないので話す機会がなかなかない。

このまえゼミの前に研究室へ寄ったとき、ふと「そういえばおやつを入れていなかったなあ」と思って彼のロッカーを開けてみた。

見ると彼の私物は何も入っていなかった。その代わり、2週間分のレジュメと授業のプリントがどっさり入っていた。ワニの筆箱の彼も、私と同じ期間教育実習へ行っていたので、カッターシャツの彼がプリントを入れたのだろう。

そして私は、ワニの筆箱の彼は、カッターシャツの彼がプリント類をきっちり入れてくれていることを知らないんだな、と思った。

だからゼミの終わりにでも彼に教えてあげようと思った。そしてそのときついでに、ちょうど持っていたチュッパチャップスをロッカーの中に入れておいた(いちご味のやつ)。

その日のゼミの終わり、私は教室に残っていた彼をとっつかまえた。

「ねえ〈ワニの筆箱の彼〉くん、研究室ちょっと来たら?〈カッターシャツの彼〉くんが実習中のレジュメを全部ロッカーに入れてくれてるの知らないでしょ?あと、おやつも入れといたよ」

「え、そうなん?じゃあ、いったん家帰ってもっかい来よっかな」

彼は言った通り1度家に帰って、またすぐに研究室へやってきた。

彼が研究室へやってきたとき、私はお手洗いに行って席を外していたのだけども、部屋に帰ってくると彼はそのきれいな手に、教育実習に行っていた間の大量のプリント類とチュッパチャップスを抱え、資料室へと入っていった。私はそれを見て満足した。

私も資料室に荷物を置いていたので、続いてそこへ戻ると、彼は既にチュッパチャップスの包み紙を解き、飴を口にくわえながら本を読んでいた。チュッパチャップスの白い棒が口から出ていて、たばこを吸っているみたいでもあったし、ストローをくわえているみたいでもあった。

私は男女関係なく、ストローで飲みものを飲んでいるひとや、チュッパチャップスをなめているひとを眺めるのが妙に好きだ。口から細いものが出ているのが好きなのだ(マニアックすぎてわかってもらえないかな…)。

加えて、彼の顎からのどぼとけにかけての横顔の華奢な線があまりにも美しいので、すこし見とれてしまった。

それがほんとうに、信じられないほどきれいな曲線なのだ。のどぼとけのお手本とはこれである、というくらいにきれいな線なのだ(さすがに言わなかったけど)。

そのあとは互いの作業をしながら軽く雑談をした。

彼は村上春樹の『ノルウェイの森』で卒論を書く。彼の持っている文庫本を見せてもらった。本を開くと最初に「多くの祭りフェトのために」という言葉だけが書かれているページがあったので、つい「うわ、私、こういうのだいすきなんだよね」と声を出した。

小説の冒頭によくある、なにかの文芸作品とか、聖書の文章を一部だけ引き抜いてきたようなものが私はだいすきだ。意味がいまいち分からなくても、その小説との関連性がはっきり理解できなくても、それ自体が醸し出す何かがあるから。

「分かる。あとさ、外国の小説によくある、『〇〇に捧ぐ』みたいなやつとかもさ、めっちゃかっこよくない?」

彼は私の指したページを見てそう言い、静かににこっとしてみせたので、私は首をぶんぶん縦に振りながら「分かる。かっこいいよね」と同意した。なんかいいなと思った。こんな他愛のない話をできるだけで大学へ来た甲斐があると思った。

「チュッパチャップス、たまにロッカーに入れとくから、また研究室来なね」とにっこり笑うと、彼は「そうなん?分かった」と目を細めていた。蒸し暑くて、平和な夕方だった。

金平糖

最近、旅先のお土産屋さんで金平糖を買った。瓶に入っているやつだ。

私は瓶に入っている金平糖を見かけると、つい手に取ってしまう。金平糖がちいさな星屑みたいで見ているだけでかわいいし、食べても甘すぎず、舌の上で溶けていく感じとか、あるいは噛んだらしゃりしゃりしているのとか、そういうのがすべて魅力的に思えるからだ。

なので金平糖の瓶を研究室に持っていき、飾って眺めながら1粒ずつ大切に食べている。ときどき居合わせた誰かに「金平糖いる?」など話しかけてみると、案外みんな「いる」と言うので、そのときは数粒あげるようにしている。

先日、研究室へ行くと、1回生の授業のときにグループが同じだったきれいな女の子がやってきた。

彼女は昨年、私の実家のお寺で開催された「華曼荼羅展」にお誘いしたら、わざわざ2時間電車に揺られて私の家を訪れてくれた素敵なひとだ。今は私とは別の教授のもとで卒論を書いている。

彼女はずっと暗めの茶髪だったけど、最近見かけたら明るい髪色になっていて、それも似合っていた。彼女の髪は、お人形みたいにきれいな、まっすぐした髪なので私はひそかに憧れている(私は癖毛なのだ)。

彼女は落ち着いていて、話し方が丁寧なひとだ。唇からこぼす言葉を、音にする前に吟味して、そのあとで発しているのだ。言葉の形がととのっているから話せばすぐにわかる。

そんな彼女に「こんにちは」とご挨拶をして、「金平糖、いりますか?」と訊くと「いいの?」と目がきらきらしたので、私は彼女に金平糖をあげることにした。

私が金平糖の瓶をロッカーから取り出している間に、彼女は鞄からポケットティッシュを探し出し、それを1枚引き抜いた。そしてティッシュを広げてふんわりと机の上に乗せた。

それを確認してから私が「何粒でもどうぞ」と彼女に瓶を差し出すと、彼女は「ありがとう」と言いながら瓶を受け取り、遠慮がちに傾けた。桃色、うぐいす色、白色の金平糖が瓶からころんと転げ落ちて、彼女はもう一度私に向かって「ありがとう」と笑った。そしてそのあとで、私にチロルチョコをくれた。

さて、この一連の流れの中で私が彼女のどこに心惹かれたか、皆さんには分かっていただけるでしょうか。

それは、彼女が金平糖を手のひらに直接出すのではなく、わざわざティッシュを広げてそこに金平糖を転がしたということ。

私がそれまでに声をかけた同期たちは、みんな瓶を傾けて手のひらに金平糖を受けるか、あるいは指先で1粒つまみ、そのまま口元へ運ぶかだった。

しかし彼女はお茶菓子を懐紙に乗せるように、金平糖をティッシュの上に転がした。それはたまらなく繊細で素敵なことに思えた。

そして私は、自分が彼女のそのような細やかな仕草にすっかり魅了されていることに気づいてしまい、ちょっと照れくさく思ったのだった。

もちろん、そのことを口に出して言うと何かが壊れてしまいそうだったから言わなかったけどね。


まっくろくろすけ

私は県内の大学に進学したので、私と同じ高校出身のひとが、同じ学部学科の中に学年を超えてぽつぽつと存在していることがある。

私が大学に入学したときには、同じ研究室に小学校から一緒だった2歳年上の先輩が在籍していた。そして今私は彼女の所属していたゼミで、彼女も扱った小説で卒論を書くことになっている。

ちなみに私が何で卒論を書くのか、ゼミのほかの仲間たちが何の小説をチョイスしたのか知りたい方は、こちらの記事をぜひ…(卒論の記録・皐月分は必ず今月中に書きます)。


そしてなんと、私のひとつ年下にも、同じ高校出身の男の子がいる。
高校時代、彼との接点がほぼなかったのにもかかわらず、なぜ私が彼を覚えていたか。

それは当時私が文芸部の部長をしていたころ、同じく同級生で文芸部員だった友人の女の子が、やたら彼の話をしていたからだった。

彼女は「青葉!後輩の子を文芸部に誘ってるんだけど、いつもあしらわれて全然入部してくれないんだよ!」としょっちゅうぼやいていた。

彼女は彼と同じ中学校の出身でそれなりに仲もよく、部員が片手で収まってしまうほど少なかった文芸部を救おうと、後輩に対して勧誘を続けていたらしい。彼はたしか弓道部に所属していたので、彼女は彼に対して部活の掛け持ちを求めていたことになる。

私は「なんだ、誰だ、そのひとは?」と軽く相槌を打つ程度に話を聞き流していたのだけど、そんなある日、事件は起こった。

おそらくどの県もそうだと思うけれども、私のいる県では毎年「文芸コンクール」というものがあり、文芸部員はそこに作品を出品することを目標に創作活動を行っていた。運動部にとっての大きな大会のようなものだ。

コンクールには小説、詩、随筆、短歌、俳句、そして文芸部誌の部門がある。しかし、私の学校は文芸部員だけの作品ではコンクールへの出品数がとても少なくなってしまうので、国語の宿題として生徒たちが短歌や俳句を作らされることになるのだ。

そしたらなんと、彼女が誘っていた後輩の男の子が、短歌で賞をとってしまったのだ。しかもかなり上位の賞。私はその年、詩と随筆の部門で賞をとって全校生徒の前で表彰されたけど、私の隣には彼もいた。びっくりした。

「文化部だけど運動ができるひと」みたいな感じで、彼は「運動部だけど文学もできるひと」なのだ。すごいと思った。

結局彼が部活に入部してくることはなかったのだけど、なんと、私と同じ大学の、同じ学部学科に入学してきたのだった。私は研究室名簿に彼の名を見つけ、勝手にすこしうれしい気持ちになった。

やっぱり大学にそれを学びに来るくらいには文学少年だったんだと思うにつけても、なんというか、たまらない気持ちになった。

そんな彼と最近ようやくコンタクトを取ることに成功した。

私と彼は同じ授業を履修しており、ちょうど私の後ろの席に彼が座っていたので、プリントをまわすついでに声をかけてみたのだった。

彼の名前をきちんと確認した後で自己紹介をし、出身の高校の名前を出して文芸部の友人の話をすると、彼はそこでようやく安心したように目を細めた。そしてそれからは、はきはきとテンポよく言葉を返してくれた。

そんなこんなでそれからというもの、彼とは会うたびに軽く挨拶をしたり、課題や授業の話をしたりする関係になった。

彼は研究室の幹事でもあるので、研究室活動について分からないことがあると「すいません青葉さん、これどうやったらいいんですかね?」と質問をしてくる。

頼ってくる後輩というのはかわいいものだ。

だから私も頼られたときには、あまりえらそうにはしないで、「ああ、それはね、こうしたらいいよ。でも〇〇先生に訊いてみるのがいいかも」とできるだけ丁寧に説明してあげることにしている。

彼は高校生のころのままの、染めていないきれいな黒髪で、しかもなぜかいつも黒い服を着ているので、私は彼のことを「まっくろくろすけみたいだな」と思っている。

せっかくお互いを認知したんだから、今度研究室で会ったら、私がロッカーに隠し持っているキャンディでもプレゼントしてみるつもりだ。


観葉植物とぞうさんのジョウロ

noteではおなじみのカッターシャツの彼は、春から研究室に通い詰めていて、私が研究室へ行くと既にそこにいるか、いなくても必ず午後にやってくる。

(彼のことを最初に書いたnoteは下のものです↓その2もあります)


大学という空間にずいぶん慣れたのか、はたまた夏が迫っていて暑いからかは分からないけれど、彼は最近カッターシャツではなくてTシャツを着てくるようになった。

そのTシャツがまたいつもおしゃれで、小さな胸ポケットにはらぺこあおむしの刺繍がついているのとか、ルーブル美術館の作品のイラストが後ろに入ったのとかを着ているので、私はつい「今日もおしゃれだねえ」と声をかけてしまう。

話題作りのうまいひとだ。

そんな彼と私は、最近毎日のように顔を合わせている。

大学前半は「なんかいつもカッターシャツ着てるひとがいる!」と思って意識しすぎていたせいか、あまり上手に話せなかったけど、この2カ月くらいでずいぶん打ち解けた気がする。

彼は研究室に入って荷物を置くと、お湯を沸かして必ずコーヒーを飲む。
私は彼より遅く大学へ行った日には「もうコーヒーは飲んだの?」と尋ね、彼はその都度「飲んだよ」とか、「今日はまだなんだよね」とか言う。

彼はカフェインを摂取しすぎてしまうから、コーヒーは1日に2杯までと決めているらしい。

私は彼がマグカップを横に置いて作業しているときには「それ何杯目?」と訊いてみるようにしている。彼はいつも機嫌よく答えてくれる。「3杯目」と答えられたことは1度もないから、きちんと自分のルールを守っているみたいだ。

そんな彼が最近、研究室に観葉植物を持ち込んだ。

なんという名前の植物かよく分からないけど、小さすぎも、大きすぎもしない観葉植物を、彼は鉄製のロッカーの上に置いて、毎日水をあげて世話している。隣に置かれているジョウロも同じくらいの大きさ。赤いぞうさんのジョウロだ。

ロッカーの上にはじめて観葉植物と赤いジョウロが見えたとき、私は一体誰があれらを持ち込んだのだろうと考えを巡らせた。

というのは嘘で、目に入った瞬間に「絶対カッターシャツの彼だ」と確信した。確信したので、ロッカーの前の席、つまり観葉植物の前で作業をして彼が来るのを待った。

その後1時間ほどすると彼がやってきて、まっすぐこちら(植物のある方)へ向かってきたので、私はそこで初めて「この植物〈カッターシャツの彼〉くんが持ってきたの?」と訊いた。

「そうそう。やっぱり緑があるといいよね」

彼の言う通り、緑の葉っぱと赤いジョウロは驚くほど部屋のアクセントになっていて、置いてあるだけでなんだか新鮮な気分になる。私は研究室へ行くとまずロッカーの上の様子を見に行く。部屋の中に誰もいなければ、こっそり植物のつやつやした葉を指先で撫でて、「おはよう」とか、「げんき?」とか軽く声をかけてみるようにしている。

どうかそこで、卒業するまで私たちのことを見ていてね、と思いながら。

こういうものが私たちの青春の一部になる。


***

はあ〜ずいぶんと長くなってしまってごめんなさい…ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます。うれしいです。


しかし、自分で出来事を整理してみると、やはり外へ出かけていくということはそれだけで何かと出会う確率を高めているような気がするな。数学は得意じゃないけれど、なんとなくそう感じる。

そして外の世界で出会うものは、家に閉じこもっていて得られるものとは根本的にちがうのだな、とも思う。もちろん、どちらも大切。

私たちはコロナ禍の大学生として、数年間を(ある意味では)棒に振ってしまったけれど、だからこそ今見えてくるものもたくさんあるはずだ。

あと1年もないこの日常を記憶に閉じこめて、時間と鬼ごっこをする。追いかけて、いつか追い抜かれて、そんな中でみんなと新しくて瑞々しい関係性を築き上げていきたい。

きっとまだ、余裕で間に合う。

そのためにはちょっとくらい恥ずかしくても、へんな子だと思われても、自分から他者に迫っていくことを忘れずにいたいと思う。

さてみなさん、梅雨の晴れ間ですが、季節の変わり目なので体調を崩さないよう、無理せず過ごしてくださいね。

今夜もどうか、よい夢を。



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