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カッターシャツの彼

大学に、いつもスーツ姿で授業を受けにきている男の子がいる。彼はいつもカッターシャツを着てキュッとネクタイを締め、肩掛けバッグに革靴という格好をしている。最近は肌寒くなってきたのでベストを着たり、その上からスーツのジャケットに袖を通したりしている。

私は彼がジーンズを履いているのは見たことないし、パーカーも同様だ。そして他にそのような服装の男の子はいないので、彼はとても目につく。

彼の着ているカッターシャツは、ときどき見かけるだけでもかなり種類があって、シンプルで清潔感のある無地のものも、ドット柄やチェック柄のものもある。色も白や黒、薄い青や桃色なども着ていて、なかなかおしゃれだ。それに、いつもカッターシャツを着ているということは、きちんと衣服にアイロンをかけているということでもある。その姿を想像して、なんとなく彼に好印象を抱いた。

彼は今年の夏も、基本的にカッターシャツを着ていた。しかも半袖のカッターシャツではなく、長袖のそれを着て、袖をくるくるっと軽く幾度かまくっているのだ。私は男の人が腕まくりをしているその腕にとても惹かれるのだけど、大学生になると腕まくりをしている男の子はおろか、カッターシャツを着ている男の子なんてめったに遭遇しないので、彼を見るたび高校や中学のころを懐かしく思ってしまう。

いつもそのような格好で学校へ来ている彼なので、私はその理由が気になって仕方がなかった。授業中、大体前の方の席に座っている彼を眺めながら、私は彼がなぜいつもフォーマルな服装でいるのか、その理由をあれこれ想像した。

そしてあるとき、斜め後ろからぼうっと彼を眺めているうちに、ふと私は彼の首にあざがあることに気付いた。そのあざは普段カッターシャツの襟の下に隠れているけれど、彼が身じろぎするとちらりと顔を覗かせるのだ。

それを見て私ははっとした。そしてすぐに納得した。きっと、首もとのあざをカッターシャツの襟で隠しているのだろう。だからいつもきちっと首まで覆える服を着ているのだと。その考えは妥当のように思えたし、他に理由も思い浮かばなかった。

そんな理由でなんとなく納得していた今年の前期、カッターシャツの彼と仲のよい別の男の子と仲良くなった。その彼と私とはあるとき、教室へ行くためのエレベーターにたまたま2人きりで乗り合わせたのだけど、その密室での数十秒間の沈黙に耐えられず、私が声をかけたのだ。

そこから互いに顔を見かけると声をかけたりかけなかったりする、ほどよい関係性になった。彼とはお互いに自己紹介をし合って名前も知っているけど、私は心の中で密かに彼との関係性を「エレベーター友達」と名付けた。

その後日、またまた教室へ行くタイミングが一緒になったエレベーター友達とおしゃべりしているうちに、たまたまカッターシャツの彼の話になった。

私が「あの人はいつもカッターシャツを着ているよね」と言うと、彼は「そうそう、でも最近ようやくTシャツとかスニーカーとか、ちょっとラフな感じの服装でも来るようになってきたよ」と言ったので、私は確かに、と相槌を打った。カッターシャツの彼も夏になると流石に暑いらしく、ときどきTシャツを着て学校へ来ているのを見ていたからだ。彼が普段きっちりした格好をしているせいで、Tシャツはあまり似合わないな、と思っていた。それにむき出しになった首のあざを見て、一度自分の出した結論に疑問を抱きつつもあった。

そのあとすぐ、エレベーターの彼は「なんでカッターシャツ着てるか教えてあげようか?」と言った。私はその言葉に驚き、また彼らがそのような話を普段しているということにも驚いて、「えっ!知ってるの?」と少し食い気味に聞き返した。するとエレベーターの彼は「うん」と頷き、こう言った。

「なんか、カッターシャツじゃないと学校に来てる感じがしないんだって」

その言葉を聞いて、「そうだったのか…」と思った。自分で推理していた理由とかけ離れているどころか、はるかに素敵な理由だったからだ。勝手にあざを気にしているなどと決めつけてしまった自分を恥ずかしく思い、心の中で密かに、カッターシャツの彼に「ごめんなさい」と謝った。

けれど私自身の実際の口からは「そうなんだ…」と感嘆の声が漏れた。その理由はなんだかちょっと分かる気がするなと思ったし、エレベーターの彼もそのあと「でもなんかまあ、言われたら分からんでもないよね」と大人っぽく笑ったので、私は素直にうんうんと頷いた。

きっと彼には制服を身に纏っていたころの名残が今もしっかり残っているのだろうと思う。大学生になると制服はなくなり、自分の好きな服装で登校することができるようになった。それをよしとする人もいれば、彼のように「なんかちょっとしっくり来ないなあ」と思う人もいるのだろう。

けれど「学校に来ている気がしないから」という、この上なく繊細な理由をもって、いつもあんなに紳士な格好で大学へ通うなんていうのは素敵なことだと思う。そういうのってとても大切なことのような気がする。うまく言えないけれど、理由があってその格好をしているということ、日々をそうやって少しでも丁寧に暮らしていくことはとても豊かなことだと思うからだ。

あまり話したことがない彼だけど、もし話せたら、きっとその細やかな感性をもっと垣間見ることができるのだろう。そして一緒に言語や文学について学んでいる男の子だから、きっとさりげなくても丁寧でセンスのある言葉でその感性を表現するのだろうな、と思う。きっと、洗濯され、ぴしっとアイロンをかけられた清潔なカッターシャツのような言葉で。

だからもしこれから先、私が「ここだ」と感じる完璧なタイミングが訪れたなら、まるで何も知らないかのように「あなたはどうしていつもカッターシャツを着ているの?」と彼に尋ねてみようと思う。

そうして彼の紡ぐ言葉で、もう一度その理由を聞いてみたい。そんなことを思った。




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