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進行形JR乗りつぶし日記(少しのオマージュ)#3~北海道5日旅:1日目(1)【千歳→札幌→旭川】

 寒いというほどではないが少し涼しい。大阪はまだ灼熱の時期だが、千歳駅前に設置されているモニュメントには気温21度が示されていて、さすがに北海道だと実感する。いよいよ「北海道大周遊」の初日だが、少々雨が降っている。
 2022年9月6日(火)、今日は千歳から札幌経由で一気に稚内へ行き旭川へ戻るという行程で、この周遊プランを立てる中で最も悩んだ部分である。名寄本線や天塩線羽幌線があった頃なら自由度は高かっただろうが、今や宗谷本線が旭川からひょろっと伸びているだけで鉄道使用だと往復するしかない。稚内に直接飛行機で入って南下する案も考えたが費用面で却下、札幌から夜行バスで稚内に乗り込む案は有力だったが肝心のバスが長期運休となってしまい、素直に宗谷本線往復となった。もっとも最北の駅に辿り着いた感が満載なのは当然この行程になるのだが。

 6時41分千歳発の『特急すずらん1号』で札幌に向かう。少し前に発車した快速エアポートは札幌方面への通勤通学客でいっぱいだが、特急の自由席は適度な埋まり具合でゆったりと気分が良い。恵庭、北広島と恐らく北海道の鉄路で一番賑やかであろう区間を特急は疾走し、7時13分定刻に列車は巨大な札幌駅ホームに滑り込んだ。
 さて朝が早くコーヒーしか飲んでいないので、朝食を調達せねばならない。とはいえ次の特急発車までには17分しかない。こんな時には駅そばが打ってつけだが、大きな駅の中を右往左往してみてもそば屋が見つからない。特急は車内販売もなく、稚内まで5時間途中下車もできないので、やむなくコンビニで何の変哲もないおにぎりとパンを調達して特急の待つホームに上がってくると、向かいのホームでもくもくと湯気が立ち上るそば屋が見えた。

 いつもの事前調査不足に歯ぎしりしつつ、おにぎりを抱きしめながら稚内行き『特急宗谷』の車内に入る。261系という北海道ではあちこちで走っている形式である。何番台とかでいろいろ違いがあるらしいが、車両にはあまり詳しくないのでよく分からない。左側の窓席に落ち着き、そば屋の湯気を眺めつつおにぎりを頬張っているうちに、ディーゼル特有のガラガラ音を響かせながら列車は動き出した。
 宗谷本線を走る特急は一日3往復、そのうちこの『宗谷』だけが札幌発着で、あとの2往復『サロベツ』は旭川~稚内の運転となっている。今日はこの『宗谷』でまさに往復する訳だが、後ろに何号とか付いていないし、唯一の札幌直通便なので少し格上感が漂う。まあそれは完全に錯覚なのは当然だが、やはり5時間かけて稚内までというのは旅の醍醐味を感じる点ではある。
 旭川までの1時間半は大幹線を走る。それでも江別あたりから石狩川も寄り添ってきて、北海道らしい雄大な光景が広がる。高速道路と並走する区間がしばらく続くが、川との位置関係なのか、今日の車窓より以前にレンタカーで走った高速からの景色の方がどうも優れているようで何だかなぁと思う。

 岩見沢7時56分着。ここは戦前に建てられた貫禄十分の威風堂々たる駅舎で有名だったが、2000年の火災で消失してしまい、いまはスタイリッシュな現代駅舎になっている。いずれにせよ下車する時間もないので新駅舎を確認することもできない。乗り回しの苦悩は実はここにあって、限られた時間でなるべく乗るという行為を突き進めていくと、ただ乗ってるだけで殆ど下車できない、という状況に陥る。私は駅舎もなるべく見たいと思う方なので、ここはいつも困るところである。
 岩見沢から美唄、砂川、滝川あたりまでは、かつては炭鉱が沢山あって、何本もの国鉄の支線や私鉄の炭鉱鉄道が走っていた場所だが、時は流れて今はこの函館本線以外ものの見事に全て廃線となってしまった。かつては黒ずんだ貨車で賑わったであろう広い構内を持て余すような淋しい駅を列車は淡々と走っていく。滝川からは富良野方面への根室本線が、深川からは留萌本線が分岐していくが、もはやこれらの本線ですら青息吐息とは昭和の時代には果たして想像し得たであろうか。

 旭川には8時58分に着いた。さすがの大都市で駅も最近建て替えられたのかピカピカで、文字通り眩しく見える。予定通りであれば夜9時半にまたここに舞い戻ってくるので、僅か2分の停車だが今はカメラも置いたまま悠然と構えておく。
 列車は旭川を出てから直角に近くカーブして石北本線との分岐駅新旭川に向かうが、その途中に旧国鉄旭川工場というのがあって転車台が保存されている、と私の持っている「鉄道地図帳~北海道版」に記載がある。ところが現実はホームセンターやら商業施設に変貌していて跡形もなかった。鉄道地図帳の最新版は全国版仕様で電話帳ほど重いので、持ち歩きには依然として昔の各地方版を使っているのだが、こういうところに弊害が出てしまう。スマホがあればどこでも何でも調べられる時代でも、やはり紙媒体の一覧性は捨て難い。一方、列車はそんな私の小さな悩みなど知らず、「これからが本番ですわ」とでも言いたげにディーゼル音を一段上げて、いよいよ宗谷本線へと進んでいった。

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