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21世紀の手紙 (小説)

「ここはどこ???」

私の心の声がこだまする。

私は、気付くと、たくさんの人が行き交う交差点の真ん中にいた。
縦方向、横方向、斜め方向、いろんな方向から人がやってきては、せわしなく去って行く。
とんでもなく大きな交差点だった。
交差点の向こう側には、巨大なスクリーン。
そのスクリーンには、歌う人たちの姿が映し出されていて、音楽が流れていた。

何もかもに圧倒されつつ、やっとのことで、交差点の向こう側に渡る。

これは一体どういうことだろう。

私が見たこともない景色ばかりだった。

途方に暮れて、立ち尽くしていると、空から、キラキラふわふわしたものが降りてきた。

背中から生えた羽をふわふわさせながら、小さな小さな体が降りてくる。

白いレースのドレスを着て、頭の上には、キラキラした天使の輪。
右手には、先に星のついたスティックを持っている。

小さな女の子みたいな、天使さんが、ふわっと地面に足を下ろして、私に向かって微笑んで言う。

「あなたが今いる場所は、渋谷のスクランブル交差点と呼ばれる場所です」

私は思わず、目をこする。

「天使……さん? ですか?」

天使さんは、くりっとした目でこちらを見つめて言う。

「はい。私は、空から、この世界を見守っている天使です。本日は、あなたへの使命をさずかってまいりました」
「使命?」

私の使命?
何が何だか、私にはさっぱり分からない。
天使さんは、説明を続ける。

「本日の日付は、2018年2月1日です。昨日は、皆既月食と月に2回目の満月であるブルームーンと満月が大きく見えるスーパームーンの3つが重なるという珍しい日で、世界中の多くの人が空を眺めました。その空を見上げているたくさんの人たちの顔を見て、大天使さまが、おっしゃいました。『この人たちは、一体どんな暮らしをしているのだろうか? 幸せに暮らしているのだろうか? 見てきてくれないか?』大天使さまは、空を見上げてこちらを見つめる人たちの表情を見て、何かお思いになったようです。あなたには、この世界の人たちが、日々、どのように暮らしているか、詳しく報告していただきたいのです」

天使さんが、スティックをくるっと回すと、星がキラキラと舞った。
私は、天使さんが伝えたい内容は何となく理解した。
でも、どうして私が依頼されるのか、よく分からない。

「でも、どうして私が? それが私の使命なのですか?」
「あなたは、小さいので、目立たずにいろんな場所に行けます。それに、あなたは、人の想いを運ぶのが仕事ですよね? 大天使さまは、あなたの仕事ぶりを見ておられました。人の想いを大切にするあなたなら、大天使さまの想いをくみ取って、引き受けてくださるのではないかと思いました」

確かに、私は小さくて、周りは私よりもはるかに背が高い人たちばかりだし、その大天使さまとやらの想いも何となくわかるような気はする。

天使さんは、続けて言う。

「そして、あなたは先ほどまで、1908年にいました。今、この場所は2018年です。100年ほどの間の変化を知らないあなたなら、今の時代の人があたり前に思って、見過ごしてしまうようなことも、気づいて報告してもらえるのではないかと考えたのです。だから、大天使さまが、そのお力を使って、100年前に生きていたあなたを、今この場所に、お連れしました。そんなことをしていただける方は、数えるほどしかいないのですから、幸運なことですよ」

確かに、私は、先ほどまで、1908年という時代を生きていた。
それが、突然、天使さんの言う「渋谷のスクランブル交差点」とやらに放り出され、何が何だかわけがわからないまま、今に至る。

でも、私は、どうやら幸運らしい。別に地獄に連れていかれたわけでもないし、大天使さまは、私の仕事ぶりを評価してくださっていて依頼にきたというのだから、それは正直、嬉しい。これから、100年ほど先の未来を見ることだってできてしまうわけだし、悪いことではないかもしれない。
ただ人びとの日常を報告すれば良いのだから、そんなに難しいことはないだろう。
私は、決心して、天使さんに向かって、こう答えた。

「分かりました。お引き受けします」

天使さんは、くりっとした目を、いっそう、くりくりさせて、満面の笑みで言った。

「ありがとうございます。お引き受けいただいて、嬉しいです。時々、私と会って、その間に見聞きしたことを報告していただきたいと思います。何も制限はありません。自由に好きなところに行ってください。とりあえず、最初は勝手が分からないかもしれませんから、明日、また同じ頃に、この場所に戻って来てください」

そう言うと、天使さんは、背中の羽をふわふわーっとさせて、スティックをくるくるっと回して、降る星に包まれながら、空を昇っていった。

はて。

どこへ行こう。

2018年の東京。電車はあるだろうか。

あたりをぐるっと見渡してみると、「渋谷駅」という文字が見える。駅があるのだから、そこに行けば、きっと電車はあるだろう。
いや、もしかして、電車はなくなって、他の乗り物に進化していたりするのかもしれないけれど。
とりあえず、「渋谷駅」の方に向かってみよう。

駅に向かう途中で、いろんなものを見た。

まず、ものすごくたくさんの人が集まっている場所があった。
その中心には、犬の像がある。
この犬は、何なのだろうか?
ものすごく偉いことをした犬なのだろうか?
なんで、こんなにも犬の像の周りに人が集まっているのだろう?

そして、そこに集まっている人たちは、手に、手のひらサイズの小さな長方形のものを持って、それをじーっと見つめているか、あるいは、それを指で触って、指で何度も画面を押すか、している。

あの長方形のものは何だろう?
人々が見つめている方の面は、キラキラと光っている。
きっと、この100年の間に開発されたものなのだろう。
そして、ここに集まっている人、全員が持っているくらいなのだから、とても大切な必需品のようなものに違いない。

人ごみをぬって、進んでいくと、「改札」の文字が見えた。
改札を通って、ホームに行くと、ここにもたくさんの人がいて、電車を待って、並んでいる。
夕暮れ時だから、会社から帰宅する人たちだろう。
人々は、ホーム上でも、あの長方形のものを手にして、じっと眺めている。

電車に乗ると、画面のようなものがあって、その中で、人が動いていたり、文字が流れてきたりする。
これも、きっと、この100年の間に開発されたものなのだろう。

私が生きていた時代では、電車の中では、本や新聞をよく目にした。
人々の楽しみと言えば、本や新聞だった。

でも、今、私の目の前に見えているのは、電車に乗っているほとんど全ての人が、あの長方形のものを手に持って、それをじーっと眺めている姿である。あの長方形のものは、この時代の人たちにとって、よほど大事なものに違いない。

そうして、電車を降りて、あの長方形のものは一体、何なのか、考えながら、その日は、眠りについた。

次の日は、ぶらぶらと散歩をして、景色を眺め、空を飛んでいる巨大な物体を発見したりした。
空の上を、鳥のような形をした、白い物体が飛んでいる。
鳥以外のものが、空を飛んでいるのを、初めて見た私は、びっくり仰天した。
あれも100年の間に開発されたものだろうけれど、あんな大きなものが空を飛べるなんて、信じられない。

人間の技術の進歩はすごいものだ。

そうして、昨日と同じくらいの時間に、また渋谷に向かった。

キラキラっとしたものが見えたかと思うと、また、天使さんが、降る星と共に登場した。

「2018年の東京は、いかがでしたか?」

天使さんに、聞かれて、私が真っ先に答えたのは、何度も目にしたあの物体のことだった。

「歩いている人、電車に乗っている人、待ち合わせをしている人、人と話しをしている人、みんなが手に小さな長方形のものを持っています。人々は、どこにいても、何をしていても、その長方形のものを、肌身離さず持っているように見えます。よほど大事なもののようなのですが、あれは、一体何なんでしょう?」

天使さんは、丁寧に説明してくれる。

「あれは、『携帯電話』というものです。省略して、「ケータイ」と言われることが多いですね。電話はご存知だと思いますが、電話線がなくても、あの機械があれば、どこにいても、人と人が話せたり、連絡事項を、一瞬で、文字で送れたりするんです」

どこにいても、人と人が話せる?
文字が一瞬で送れる?
にわかには信じられない。

私は、疑問に思って、聞いてみる。

「ということは、手紙というものは、必要なくなったということですか?」

天使さんは、視線を上に向けて、考えながら、答えてくれる。

「そうですね。必要なくなったということはないですが、手紙を送る人は、ものすごく少なくなったと思いますね。手紙を送らなくても、伝えられますから」

私は、100年前の自分の仕事のことを思った。
私の仕事は、2018年には、なくなってしまっているのだろう。

私の仕事は、人の想いを届ける仕事だった。
それも、手紙に書かれた人の想いを。

私は、伝書鳩だ。
人から人へ手紙を運ぶ鳥だ。

私は、とても小さくて、どこへでも飛んですぐに行けるから、大天使さまは、きっと、私に依頼してきたのだろう。

100年後の世界を見て、私は自分の仕事の消失を知ってしまった。
私が生きていた時代の「手紙」は、「ケータイ」に取って代われられていた。

これは悲しんで良いことなのだろうか?
それとも、人間の技術の進歩として、喜ぶべきことだろうか?

私が手紙を運んでいた時に、感じていたことがある。

私は、運んでいる手紙の内容は知らないが、手紙を運んでいると、だいたいその内容の想像がついた。楽しい内容の手紙を運んでいる時には、楽しい気分に、悲しい内容の手紙を運んでいる時には、悲しい気持ちになったからだ。

手紙の一文字一文字を書いた人の想いが、便箋や封筒に伝わっているような気がした。

「ケータイ」という機械で、文字を送る時にも、そういう風に、人の想いは込められるものなのだろうか?

私は、使ったことがないから、分からない。

でも、きっとそうだと良いなと思う。

私の仕事はなくなっても、「ケータイ」が、「21世紀の伝書鳩」に、「21世紀の手紙」になっていてくれたら良いな、と思う。

人の想いが、どうか、21世紀でも、文字で届きますように。


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