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本当の学問とは?を教えてくれた本【徒然読書⑪】

「学問」ってなんだろうと思ったときに、1つの答えを出してくれる本です。

皆さんはマックス・ウェーバー(1864~1920)を聞いたことがありますか?

『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』を書いた人です。

今の仕事は神に与えられた「天職」であるからこそ、勤勉にやっていこうと意識が高まった。
それが、西洋のプロテスタントの国において資本主義が発達した背景だ、という主張です。

ウェーバーは比較宗教社会学を専門にしており、幅広い宗教と社会の関係に関する著作を残しています。

今回はウェーバーの著作の中から、『仕事としての学問 仕事としての政治』を取り上げます。

大学生のときに教授にこれは読め!と言われた古典のひとつです。

こんな方におすすめ!

✔マックス・ウェーバーに興味がある方
✔学問とはなにか?を知りたい方
✔政治学にも触れたい方
✔大学で必読書になりやすい本を読んでみたい方


『仕事としての政治』も面白いけれど、『仕事としての学問』を中心に描きたいと思います。


情熱をもってなすことができないものに、人間としての人間にとっての価値あるものはなにもない。
「個性をもった人」とは、純粋になにごとかにコミットする人である。

人間の価値や個性について触れています。

よく「やりたいことがない」と悩む人がいるけれど、でも誰でも何かには熱中しているわけです。

マンガでもいいし、ゲームでもいい。

情熱、こころの奥から突きうごかされてこそ人間といえるのでしょう。

そして、「個性」は情熱をもって、なにかに貢献すること、結果を出すことといえます。

ウェーバーは、コミットするものを「ザッヘ」と言っていますが、これは深くなるので、ここでは触れないでおきます。


学問上の「達成」はどれも新たな「問いを出す」ことであり、「凌駕」されること、古くなることを欲する。

では、人間の特質を踏まえたうえで、学問はなんなのかというと、「新たな問いを出すこと」です。

これは、今でもよく言われていますね。
何かを新発見してこそ、学問であると。

だけれど、「古くなることを欲する」にも注目したいのです。

ただ新しいだけでなく、古くなってこそ「達成」といえる。

つまり、消えずに社会に浸透している証拠です。

当たり前の知識として、受け入れられることこそ、学問の本当の「達成」といえるのかなと思いました。


学問をする人が自分の価値判断を持ってくる場合にはいつも、事実の完全な理解は終わりを迎える。
学問は自己省察と事実連関の認識に奉仕して専門的に営まれる「仕事」である。

そうした学問は、主観的ではいけません。

事実に即して、事実を組み合わせることが、学問なのです。

主観的ではいけないといっても、先入観を持って向き合ってはいけないという意味で、自己の内省は重要だといっているのでしょう。

自己と世界を行き来して、新たな発見をし、社会に浸透させる。

これが「学問」なのかもしれませんね。


読書メモから書いたものなので、なにぶん忘却している部分が多く、解釈も我流になっています。

また読み返したときに、何を感じるのか楽しみです。

毎日更新していますので、またのぞきにきてください!


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