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平安時代を舞台にした歴史小説や本を続けて読んでみた①

あけましておめでとうございます!
今年もnoteでみなさまと関われますよう、願っております。
マイペースに更新していきますので、どうぞよろしくお願いいたします!

正月3日間まったく更新できていませんでしたが、その理由の一つがこちらで紹介した読み方を早速実践していたことです。

どういう読み方かというと、同じ時代の本を読むということ。
この「時代」は制作された年代ということを指していたと思われますが、少し読み替えて、同じテーマと捉えてみました。

読み替えすぎの感も否めないけれど、本同士がつながっているのと、同じ事柄に対して多様な視点を得られたと思います。

画像にも「Positive Reading」と入れていますが、まだ(仮)なので自分でなんとなくつかめてきたら改めて概念を言語化したいです。

ですので、今は無視してくださいませ。
飽きて徒然読書だけに戻る可能性もなきしにもあらずなので…

さて、今回テーマにしたのは「11世紀の平安時代」。
藤原道長の時代です。

藤原道長って平安時代の終わり頃に生きていたんですね。
藤原彰子が中宮として入ったのが一条天皇の後宮。

この一条天皇の約60年後に院政を始めた白河上皇が即位するわけです。

そう思うと一般的な平安時代のイメージであろう道長の時代は、実は平安時代の終わり頃だったので不思議ですね。

さて、この後紹介していきますが、いつもの記事より長いので、紹介された本だけを見る読み方も問題ございません!


「国母」として生きた藤原彰子が主人公の『月と日の后』

『天地明察』を書かれた冲方丁さんの本です。

藤原彰子の視点から描いた80年間の宮廷、そして藤原彰子が国母に目覚めるまでの過程。
一条天皇や紫式部との絆を描いたのがこの小説です。

12歳の入内から29歳に国母になるまでの期間に重きを置いて書かれています。

彰子は86歳まで生きたので、当時からすると長寿どころではないですが、その人生の前半の前半に焦点を当てられているのです。

何も知らない少女時代を過ごし、後宮で藤原氏同士の争いや政権交代を経験しながら息子を2人産み、国母となっていく……

今までの藤原彰子のイメージは、The国母!として後宮から政治にも関わっていったというものでした。

だけど、そうなるまでの変化や道のりを読んで、権力者としての国母だけでなく、慈愛としての国母も垣間見えた気分です。


摂関政治を終わらせ中世へのきっかけを作った藤原能信が主人公の『望みしは何ぞ』

おなじみ、永井路子さんの本。『月と日の后』の後に読みました。

主人公の藤原能信は藤原道長の息子です。

初めて聞きました…やはり道長の子どもと言うと彰子や頼通の印象が強いですね。

能信は彰子や頼通と異母兄弟です。
歳も離れていないので、幼少期からその格差は感じていたというところからこの小説は始まります。

能信からすると彰子は権力者としか見えていないのが面白いです。

頼通に阻まれ、生涯大納言に留まった能信。
大きな出世も望めない現状をどう生きていくか。

そのひとつの道が歴代中宮のサポートで中宮やその裏の権力者の信用を得ていくことでした。

そこで気にかけていたのが禎子内親王
一条天皇の次に天皇になった三条天皇の娘です。

三条天皇系は道長たちとは疎遠で、一条天皇系に重きが置かれていました。
実際一条天皇と彰子の息子である後一条天皇が即位したことで、道長は外戚になれましたから。

だけど、そのあと政治的思惑のなんやかんやで入内に値する娘が少なくなり、入内しても息子が生まれなかったりで、能信が禎子内親王を後冷泉天皇の後宮に入内させました。
後冷泉天皇は彰子の孫です。

この入内には、彰子も反対せず、藤原家内の和を乱さない手として好意的に受け取られたようです(『月と日の后』より)。

そして産まれたのが後三条天皇。

その後三条天皇に能信は養女とした藤原茂子を入内させ、生まれたのが白河天皇。

藤原茂子は摂関家(道長系)出身ではないので、ここで道長ー頼通の権力の糸が途切れます。

必然なのか偶然なのかは歴史のみぞ知るですが、中世の院政へと繋がっていくのです。

道長の息子が摂関政治を終わらせ、院政への道を切り開く。

因果のように思えますが、そういう切口があるんだ!と思わされた小説です。

能信はのらりくらりとしていそうで、愚痴りながらも最後にちゃっかり大仕事をしてるという人物像が、私の中でぼやーっと浮かんできました。

摂関政治の渦中で善政を敷いたとされる一条天皇の伝記『人物叢書 一条天皇』

さて続けて読んだのが『人物叢書 一条天皇』。

『月と日の后』や『望みしは何ぞ』で描かれたような、思惑が渦巻く中で生まれた病弱な一条天皇が、どう生き抜いて政治を行ったのか。

そう気になっていたので、古本屋で見つけた時には即GETでした。

これは小説ではなくてガチの歴史書なので、読み終わるのに時間がかかりました。

でも小説で大体の流れや登場人物は把握出来ていたので、比較的早く読めた方です。

歴史専門書ということもあって、ストーリー性が弱く、淡々と事実を述べている本でした。

二つの小説ではあまり描かれなかった、一条天皇の父である円融天皇と藤原氏の駆け引きや、最初のキサキ定子とのかかわりで前半が割かれています。

こうして読んでみると、道長が氏の長者になろうとことは誰も予想できていなかったぐらいの偶然の産物ということが良く分かります。
1人が傑出していてもその息子が上手く立ち回らないと、権力の座が兄弟にわたって、二度と戻ってこない。

そんな時代でしたので、道長が零れ落ちてきた権力を奪われないように滑稽なほどあらゆる手段を使うのです。
その一つが彰子の入内でした。
(頼通も外戚になろうとして入内に力を入れていましたが、結局外戚になることは叶わず。)

このような藤原氏の内側の微妙なバランスを見ながら人事(除目)に自分の意思も加えていく。
わずか7歳で天皇になった一条天皇が背負う責務の重さ。
しかも史上最年少での即位です。

しかし、一条天皇は同時代の日記などに、「英主」として書かれているのです。

本書では、その英主たるゆえんを摂関期という時代が一条天皇を作ったことにおいています。

一条の個性、特に公の場におけるそれは、常に諸方面への気配りと協調、自己抑制を第一義的な要素とした選択を行なった。一見すると優柔不断な対応に終始したかのように見えながら、何びとも血塗られることのない雅で親しみやすい王権と安定した時代を維持して、結果的には、一条皇統と摂関家を確立し、王朝文化と女房文学を盛行させたことになる。
p249


長くなってしまいましたが、関連知識が増えた状態で家にある本を眺めてみると、これもつながるのでは?と思うようになりました。

第二弾の記事も書けそう!ということで、タイトルに①を追加しました。

第二弾は対外情勢や文化関連になりそうです。

平安時代は大学時はあまり興味がなくて、深入りしていなかったのですが、今改めて見返してみると興味深く感じたりするので不思議なものです。

大学時代は特定の氏族にフォーカスして研究していたので、全体像というか最有力氏族から見た朝廷や朝廷文化の理解が浅かったんですね。

ふと思ったのですが、ここまで歴史にどっぷりつかっていてSEにどう活かされていくかというと、やはり俯瞰的視点なのかなと思います。

実際にこういう時に歴史力?が活かされた!の場面を少しずつ集めて、記事に出来たら面白そうな。

※挙げた3冊を時代順に並べるなら、『一条天皇』→『月と日の后』≒『望みしは何ぞ』です。