ヘルマン・ヘッセの読書術が刺さりすぎる【徒然読書70】
メリークリスマス!!
徒然読書も気がつけば70冊になっていました。
その70冊目は最近集めているヘルマン・ヘッセを紹介します。
1946年にノーベル文学賞を受賞したヘルマン・ヘッセ。
有名作は『車輪の下』『デミアン』でしょうか。
はじめて読んだヘルマン・ヘッセの本は『シッダールタ』です。
大学の図書館で見つけました。
記憶上、岩波文庫で初めて最初から最後まで読んだ本かもしれません。
それがきっかけで頭の片隅にヘルマン・ヘッセが刻まれました。
そんな出会い方をしたのですが、再熱したきっかけが今回紹介する本です。
この読書法に大変共感したのです。
私の今後の読書にも取り入れていきたいと思うほど。
ヘッセが読書について書いたエッセイ風文章をまとめた本なので、章ごとに独立しています。
今日はこの章、明日はこの章と読むと読みやすいかもしれません。
さて、どんな内容が書かれているのでしょうか?
問題提起をして、ヘッセに応えてもらう書き方で紹介したいと思います。
「良い」読書とは何か?
どんなふうに読書をすればいいのでしょうか。
読書法に関する本はたくさんあるけれど、速読とかこの本を読むべき!というテーマの本が多い気がしています。
「良い」には人によって考えが違うと思いますが、ヘッセはこう言います。
そして3つのタイプの読者がいると書いています。
この3タイプは明確に分類できるのではなく、同じ人でも日によって行き来する。
ヘッセは③に到達できたら、本当の「良い」読者だといいます。
だけど、ずっと③の領域に入れるわけではなく、①②に戻ったりする。
③の境地は達しているのかまだ達していないのかは分からないけれど、③のような読書ができるには、本の成立背景や著者の苦悩などの行間を読み、その読み取った事柄を別の場面に応用していく努力が必要なのだと思います。
本当に求められる教養とは?
ヘッセは乱読を否定しています。
終始新しい本を追いかけるのではなく、かなり長い時間をかけて1人の著者の作品やある時代の作品を読むことを薦めています。
これが1番ガツンと殴られたような衝撃を受けた言葉です。
ただベストセラーとかを追いかけるんじゃなくて、ある人の本を徹底的に読む。
複数の国や時代をまたぐだけでなくて、一国や一地域の歴史を読む。
今風に言えば、マルチタスクではなくてシングルタスクを進めているような感じでしょうか。
読んだ本の冊数に目を向けるのではなくて、その本からどれだけ読み取れたか、深められたか。その著者やテーマについての理解を深められたか。
その経験があるかないかが教養につながるのです。
教養の目的について、ヘッセはこう書いています。
このような教養に導いてくれる道のうちで、もっとも重要な道は世界文学作品を地道に読むことだという。
その世界文学とはどういう本なのかをまとめたリストが、『ヘッセの読書術』に入っています。
訳者が日本だとどの文庫に入っているのかを追加してくださっているので、探しやすいです(ありがたや・・・)
そのリストには知らない著者や作品がたくさんあって、わくわくしました。
膨大な題名を眺めながら、古本屋にいったときに探そうと決めました。
その1つが鶴舞の古本屋で買った、『エックハルト説教集』なのです。
こうしてヘッセが気になってきた私は、ヘッセに関する本を集め始めました。
まだ始めたばかりなので、手元にあるのは『車輪の下』『ヘッセの言葉』『ヘッセ詩集』です。
同じ著者の本や世界文学をまずは読め、と書かれていましたので実行してみます。
今まで意識もしていなかったんですよね・・・同じ著者で読んでるといったら永井路子さんの本ぐらい。
古典もあまり読んでいません。岩波文庫も10冊あるかないか。
ここでひとつ思い出しました。
私の祖母も若い頃は本を読んでいた方で、好きな本を聞くといつもタイトルではなくて著者名を言うのです。
「この人の本ばかり読んでいたわね。今は生きていらっしゃらないかもしれないけれど」
私はオススメの本を聞かれるとタイトルで答えていました。
確かに読んだ量は私の方が多いです。もっている本も断然多いです。
だけど人生においての教養というか、見方が祖母の方が充実しています。
それは生きている時間の長さだけではなくて、本の読み方にも現れているかもしれません。
私は歴史関係も読むので、同じ著者だけでなく、同じ時代・同じ人物について書かれた本も意識して読んでみようと思いました。
本同士をつなげていく。
そのつながりは本だけでなく考え方にも活かしていける。
そんな読書をしたいです。