文豪って面白い?
最近周りの読書好きの方が文豪(特に明治)の小説を推してきます。
明治の文豪で読んだのだって、中島敦の『李陵』とか夏目漱石の『こころ』ぐらい。
それも国語の教科書で読んだだけです。
文豪で好きな小説は何?と聞かれたら、中島敦の『文字禍』が錨を落とされたような重みがずっと残っている。
それでもちょっと読んでみようかと重い腰をあげたあと文豪の本棚に向かい、気を抜けば別の本を読み出しそうな手でパラパラとめくってみた。
食わず嫌いのくせに、意識の片隅に変に残っているから、古本屋で半額以下という破格の値段で知っている小説があれば買っている。
歴史にも関わると言ったら関わるし。普段見ない漢字も見れるから。
繊細な文体が好きとか、心情描写が良いという文豪好きの方がいらっしゃったら、ぶん殴られそうな不純な動機だけど。
樹海をかき分けて、ほかの本の誘惑に打ち勝ち、今ある文豪の本を掘り起こした結果、7冊ありました!
(世界まで広げたらもう少しあるかも。ヘッセとか。)
中島敦の本が2冊あるのは、わざとです。
内容もほぼかぶっていますが、芥川賞候補になった『光と風と夢』は中公文庫にしかなかったので、これを読む目的で買っています。
井上靖もギリ明治時代の人だった。(明治40年~平成3年)
昭和時代かなと勝手に思っていたけれど、大往生された方なんですね。
最後まで読んだのは、『敦煌』と『汚れつちまった悲しみに』だけ。
他は『文字禍』『陰翳礼讃』など部分的に読んでいるのみです。
文豪には疎いとか言っていられないので、確認のためにも検索。
宋名臣言行録‐内翰楊文公にも「文豪」と書かれているとの記載があったから、言葉自体は古い。
中国語と日本語での「文豪」も大きな意味の違いはなさそう。
どういう基準で文豪とみなされるかは所説あるだろうけど、日本人に共通して認識されている(もしくは刷り込まれている)作家が「文豪」になるんだろうなと思っています。
文豪や文学に関する基礎知識がなさすぎるので、このあたりの本も読んでみよう。
『コモンズとしての日本近代文学』は『未来をつくる言葉』の著者であるドミニク・チェンが書かれていたので、注文しちゃいました。
届くのが楽しみです。
他にも読みたい本があるから、その日その日の気分で選ぶんだけど。
たまには文豪の小説にも触れてみたいなと思います。