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【論文紹介】夫の生命保険は「結婚」や「離婚」にどう影響するのか?

新型コロナウイルスもいよいよ第3波がやってきました。読者の皆さんはお変わりないでしょうか。

経済的にも精神的にも我慢を強いられる日々の中で、交際や結婚という形で家族やパートナーを求める人が多くなるのは無理もないことです。実際、コロナ禍の中でお見合い成立件数は増加しているようで、コロナ前の約35,000件から約40,000件と大幅に数字を伸ばしているようです。

他方、新型コロナウイルスの蔓延は新しい生活様式を生み出しました。その代表例が、在宅でのリモートワークです。

かく言う大学院生の私も、研究室中心の生活から、在宅でのリモートワーク中心の生活に移行しました。同じように、会社勤めの方で在宅でリモートワークになられた方も少なくないと思います。

リモートワークで家族と過ごす時間が長くなって関係が良くなった家族もあれば、その逆もあるようです。実際、巷では離婚の相談件数の増加を受けて、コロナ離婚を防ぐ相談窓口や一時避難所が開設されているようです。

もちろん、「結婚」や「離婚」というのは相手あってのことですので、今回のコロナ禍のような社会情勢の変化だけで全ての人が行動を変える訳ではありません(注1)。

ですが、「(結婚を考えている)交際中の人がいる人」や「(離婚を検討している)配偶者がいる人」など、今は躊躇しているものの、ほんの少しの社会情勢の変化に背中を押されて行動を変える人も中にはいます。

ただし、このような「結婚」や「離婚」に関する行動変容は、社会保障制度の変化によっても生じることが最新の研究によって分かってきています。

そこで今回は、経済学の中でTop5に入るJournal of Political Economyに掲載された論文で、1980年代末のスウェーデンで、未亡人に対する遺族年金が廃止されたこと(制度変化)が「結婚」や「離婚」(結果指標)に与えた影響を分析した研究を紹介します。

【今回の論文】
Persson, P. (2020). Social insurance and the marriage market. Journal of Political Economy, 128(1), 252-300.


1. 研究結果

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福祉大国スウェーデンでは、1989年まで「寡婦年金(Survivors Insurance)」と呼ばれる未亡人に対する「終身年金制度」がありました。

この制度によって、夫を無くした未亡人は36歳を超えた時点から亡くなるその日まで、国から遺族年金を受給することができました(注2)。そのため、「寡婦年金」は未亡人が夫の死後に生活に困らないようにするための国による「老齢女性に対する遺族年金」という性質を持っていました。

しかし、1989年の制度改正を機にこの「寡婦年金」は廃止されました。今回紹介する研究は、この制度変更によって「結婚」していても「寡婦年金」がもらえなくなったことが「結婚することの(特に老後の)金銭的なメリットが減少した」という点に着目し、その効果をデータを用いて検証したところ以下の事実を発見しました。

1989年(寡婦年金廃止)以前

【結果1】
「寡婦年金」の受給資格を得るため、1989年の制度改正の直前に(駆け込みで)結婚するカップルが通常の21倍になった。ただし、そのうち約47%は制度改正が無ければ結婚しないようなカップルだったため、この時期に結婚したカップルは15年以内の離婚率が通常の20%も高かった。

【結果2】

予想される「寡婦年金」の額が高いカップルほど、制度改正前に結婚する確率が高かった
。さらに、「寡婦年金」の影響を受けるのが当分先(スウェーデンの平均結婚年齢は、男性32.94歳、女性29.98歳なのに対して、平均寡婦化年齢は74.7歳)の30代のカップルにおいても効果が見られた。
1989年(寡婦年金廃止)以後

【結果3】
同棲から結婚に至るカップルの割合が約6%減少した。(同棲を解消するカップルも微増した。)

【結果4】
制度改正以前に既に結婚していた夫婦の離婚率が10%も増加した。

【結果5】
(「寡婦年金」廃止の影響を最も強く受ける)高スキル(大卒以上)男性と低スキル(大卒未満)女性の結婚が減少し、高スキル男性と高スキル女性の結婚割合が11%も増加した。


2. どこがすごいの?

2-1. 寡婦年金の廃止が「結婚」や「離婚」に与える影響を経済学の枠組みで分析したこと

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ここまで読んでくださった方の中には「経済学で結婚や離婚を扱うこと」に違和感を持たれる方も少なくないのではないでしょうか?

人間の意思決定メカニズムを研究する経済学の枠組みでは、それぞれメリットがデメリットを上回る場合、「結婚」や「離婚」が発生します。

では、「寡婦年金の廃止」はどのようなメカニズムで「結婚」と「離婚」に対して影響を与えたのでしょうか?

これを考える上で最も重要なことが、「寡婦年金の廃止」によって結婚することによって将来もらえたはずの所得が減少するという点です。

実際、スウェーデンでは1989年以前、以下のような条件を満たした全ての未亡人が「寡婦年金」の受給資格を有していました。

(1)夫が死亡した時点で妻(未亡人)が36歳以上であること。(36歳未満の場合は、妻が36歳になった日から給付された)
(2)婚姻時、夫の年齢が60歳に満たないこと。または、夫婦の間に夫婦の子供がいること。(どちらか一方で可)
(3)婚姻期間が5年以上あること。(同棲中のカップルについては適用されない)

ただし、ほとんどの夫婦が上記の条件を満たしていたため、遺族給付金が廃止される前の1980年の段階では約86%もの世帯が遺族給付金の受給資格を有していました。

加えて、この寡婦年金は「終身年金」という特徴を持っていました。当時、高齢化社会の到来が深刻な社会問題となっていたスウェーデンにとって、このような「終身年金」が社会保障財政に与える影響は深刻でした。

そのため、1988年にスウェーデン政府はこの「終身年金」という特徴を持つ「寡婦年金」を廃止することを決定し、それ以降、新たに結婚した夫婦についてはこの「寡婦年金」を受給することができなくなりました。

ただし、以下の条件を満たす場合、遺族年金である一般調整年金(参照: 厚生労働省資料 p32)については、引き続き受給できました。

(1)65歳未満の配偶者で死亡した者と5年以上同居していること。または、18歳未満の子供がいる。(同棲中のカップルについては適用されない)

ただし、
遺族年金は受給者が65歳になると給付終了。
婚子の養育の有無に関わらず、12ヶ月で給付終了。


つまり、寡婦年金が廃止されるということは「高齢女性(特に65歳以上)に対する公的給付が大幅に減額された」、言い換えれば「結婚から得られる金銭的なメリットが減少した」ことを意味するのです。

この点を踏まえると、「寡婦年金の廃止」は「結婚」や「離婚」に対して以下のような影響を与えると考えられます。

【結婚の場合】
「結婚のメリット」が低下するため、「結婚」する人の割合は減少する

【離婚の場合】
「離婚のデメリット」が低下するため、「離婚」する人の割合は増加する

このように、「結婚」や「離婚」を行う人の意思決定メカニズムを踏まえた上で「寡婦年金の廃止」が制度変化前後の「結婚」や「離婚」に与える影響を分析したことに加えて、その長期的な影響についても明らかにした点が本研究の1つ目の大きな貢献です。


2-2. 政府が生命保険を提供する意義を見出したこと

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寡婦年金の金額は、未亡人の年齢、および夫の生前の年収によって以下のような違いがありました。

・36 歳から 64 歳までの未亡人には、生前の夫の年収の 40%に相当する遺族給付金が(毎月)支給された。
・65歳以上の未亡人の場合は、夫が生きていた場合に世帯が受け取っていたであろう年金(Social Security Income)の50%を受け取ることができた。
・ただし、65 歳以上の未亡人の場合、遺族給付は妻自身の収入に応じて減少し、妻の収入が夫の収入を上回っていればゼロとされた。

ここから、寡婦年金の受給額は「夫の収入が高く、妻の収入が低い世帯」が最も高くなることがわかります。裏を返せば、遺族年金が撤廃されることで金銭的に最も不利益を被るのがこの「夫の収入が高く、妻の収入が低い世帯」だったのです。

ここで先ほどの結果を思い出してみましょう。

【結果2】では「予想される寡婦年金の額が高いカップルほど、制度改正前に結婚する確率が高いだけでなく、その影響は30代未満の世代でも確認された」というエビデンスが得られていました。

寡婦年金は結婚することで夫の死後に遺族年金をもらえるため、将来のための「保険」とみなすことができます。経済学では、【結果2】のように予想される受給額が高い人や受給する可能性が高い人ほど保険に入ることを「逆選択(Adverse Selection)」と呼びます。

逆選択が生じている場合、民間保険では死亡リスクが高い人や支払い額が高い人の方が保険に入ることになり、経営が成り立たなくなります。

本研究の結果は、生命保険における「逆選択」の存在の可能性を示唆するものであり、政府による生命保険市場への介入の意義を示した点が第2の大きな貢献です。

2-3. 寡婦年金が結婚市場を歪める可能性を見出したこと

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さらに、【結果5】では「寡婦年金の廃止は、夫が高スキルで妻が低スキルな世帯を平均11%減少させた(その結果、夫婦ともに高スキルな世帯が増加した)」というエビデンスが報告されていました。

実はこの結果こそが、「寡婦年金の廃止がもたらす金銭的な不利益」によって、結婚から得られる金銭的なメリットが「夫の収入が高く、妻の収入が低い世帯」ほど大幅に低下したことの影響を反映したものだったのです。

このように学歴などの観点から似た個人属性を持つ相手とパートナーとなることを、経済学の分野では「同類マッチング(Assortative Matching)」と呼びます。

本研究の第3の貢献は、寡婦年金の廃止がこの「同類マッチング」を促したこと、裏を返せば、寡婦年金は「夫が高スキルで妻が低スキルな世帯」を増やし、結婚市場を歪めていた可能性を明らかにした点です。


3. 感想

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経済学の研究では、Aという状況(今回は寡婦年金があった1988年以前)とBという状況(今回は寡婦年金廃止後の1989年以降)を比較してその効果を検証しますが、基本的にどちらが望ましいかについては議論の余地が残る(open-question)ことが多いように思います。

今回紹介した研究についても、「寡婦年金の廃止」によって「結婚」は減少し「離婚」は増加したことは分かったものの、それが幸せかどうかは別の問題です。というより、それを読んだ私たちが考え、選び取っていくものです。

例えば「結婚」という形は取らなくても幸せなカップル(事実婚など)も世の中には数多くいることでしょうし、そもそも現行法では「結婚」自体を認められていないためにパートナーシップを結んでいるカップルもいます。

仮に「結婚」するカップルを増やすことが目的であれば、先ほどの事実婚やパートナーシップは望まれないカップルとなります。ですが、多様性の社会の中で様々な選択肢を増やすことが目的であれば、「結婚」は減少しても幸せな事実婚やパートナーシップが増えた方が良いと考えられます。

「離婚」についても同様です。「結婚」という契約は確かに夫婦の間に安定をもたらしてくれます。ですが、1度この契約を結んだ場合、解消する(離婚する)ために多くの労力と資金が必要となる国も少なくありません。この場合、より「離婚」が簡便になることで、自分にとって最良の生き方、最良のパートナーが見つけやすくなるかも知れません。

制度変化は確かに人の行動を変容させます。ですが、その行動変容が良いものか悪いものかを判断するのは今を生きる私たちなのです。

4. おわりに

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人間を研究対象とする社会科学や人文学の研究は、人間の行動変容の事実や背後にあるメカニズムを教えてくれます。

ですが、多くの研究はその議論の専門性の高さゆえに一般読者にとっては難解で、議論の入り口にすら立たせてくれません。

そのため、私のような駆け出しの研究者でも、研究の世界と現実社会を生きる読者の皆さまの間の橋渡しができたらと思い、筆をとっております。

まだまだ読みづらいところもあると思いますが、良かった点、もう少し詳しく書いて欲しい点などありましたら、是非コメントをお願いします!


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(注1)実際、コロナ禍の中でも7月時点では、まだ「結婚」「離婚」ともに前年度比で減少しているようです。ただし、今は意思決定を躊躇しているだけの可能性もあるので、今後も引き続き注視が必要です。

(注2)2002年の寡婦年金の平均支払額は35,000クローネ(日本円で約53万円ほど)、平均支払期間は8年でした。



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