ロボットと哲学①語源と目的性
SF(サイエンスフィクション、スペースファンタジ-)は、映画・小説の中でも人気ジャンルであろう。SFは私たちに近未来の空想を与え、好奇心を刺激してくれる。しかし、SFが持つ力はそれだけにとどまらない。現実を現在の構造から外したり、ある部分を誇張したりすることで、我々の常識や価値観に疑いを向けさせたり、哲学的な命題を投げかけて来るのである。例えば、映画『猿の惑星』のような人類の文明が滅びた設定はお馴染みである。同シリーズでは白人社会を揶揄する様な作品等も見られる。その他にも、環境問題や(核)戦争という現代文明の脆さや矛盾に目を向けた作品も数多く存在する。
『2001年宇宙の旅』にも触れておこう(原作はアーサー・C・クラーク)。半世紀以上前に制作されたものとは思えないような緻密な映像はさることながら、根源的かつ深遠な哲学にも着目したい。人類の進化、(そして今回のテーマと相関する)機械と人間、そして宇宙、様々なテーマが壮大なスケールで有機的に融合した歴史的名映画である。作中で重要な役割を持つ「モノリス」も実に哲学的な示唆にあるれている。ぜひともご鑑賞いただきたい。
「ロボット」という語の初出
さて、前置きが長くなってしまったが今回はそんなSFの中でも「ロボット」に着目し、哲学的な論考を展開していく。
「ロボット」という語は、チェコの作家カレル・チャペックが書いた戯曲『ロボット(ロッサムのユニバーサルロボット)』において、「robota:労働」というチェコ語から、人間の労働を代替する機会の名称としてチャペックが造った造語である。チャペックの『ロボット』は、ある時感情を抱いたロボットが「自分たちより劣っている人間に支配されるのは我慢ならない」として、人間に反旗を翻すという話である。現代的な考えとは少し異なるが、戯曲の中(及び時代背景においては)「労働」が人間の存在価値の中で大きな割合を占めている。労働が人間の価値を決めるのであれば、人間よりも優れたロボットはより優れた存在となり、人間は存在価値を見失いかねない。そしてロボットが創造主である人間を超越することができるのか、様々な考察が生まれる作品である。
目的性
ここで「目的をもって作られたロボットは人間より優れているのか」という問題に着目しよう。アリストテレスの目的論的自然観に従えば、答えは是である。可能性を持っている存在は、運動変化によって実現し、現実性に至る。その状態を活かして現実活動を行う、というのが目的論的自然観であるが、特定の現実活動を「目的」として存在を与えられた(設計図と材料)ロボットは、運動変化(組み立てられること)によってロボットとして存在し、目的に則って現実活動(仕事)をするのである。アリストテレスは、人間を「徳」を持ちうる存在であり、「より良い行動」を心掛けることによって「徳を持つ人間」となり、良い生き方を実践することができる倫理的な存在であるとした。無論人間は徳や倫理を常に意識できる存在ではなく、ましてやその様な価値観は時代や状況によって大きく異なる曖昧なものである(それを浮き彫りにするのもSFの醍醐味の一つであると思う)。一方でロボットは、形相(エイドス,語源はプラトンのイデアと同じ)と呼ばれる物事の本質が、存在の実態と完全に一致している。もう少し詳しく見てみよう。
形相
アリストテレスは、物事の実体(コップ)と、個別の材料や素材である(コップでいう所のガラス)質料の関係を、形相(本質、コップの形)という概念を用いて考えている。コップとは、ガラスという質料が、コップという形相に収まることでコップとして存在していると考えるのである。よって、コップという存在の本質は、ガラスにあるのではなく、コップとい形相にあることとなる。ここでアリストテレスの四原因説に着目することで、ロボットの存在に対する一つの解釈を得ることができる。
四原因説
四原因説は、文字通り物事の原因を4つに分けて考える。コップは、ガラスという質料があり(①質料因)、コップという形状(②形相因)にガラスを加工したから(③始動因、作用因)であるが、その前提として「水を持ち運びたい、手をぬらさずに飲みたい」などの目的(④目的因)が存在するはずである。
以上をまとめると、ロボットは特定の目的をもって造られた存在であり、目的因と形相因が合致しており、人間よりも合目的的な現実活動を行うことができるより高次の存在であると言うことができる。無論この結論にはいくつかの問題がある。物事の存在価値や意義を目的性という尺度だけで測定することは些か強引である(この理屈で行けば、奴隷制も容易に擁護されることになる)。機会が持ちえない倫理や道徳という美しくそして危うい問題が捨象されている。また、「目的無く作られたロボット」や「人格わ持ったロボット」について、アリストテレスの力だけで思索するのは困難である。そこで次回はイマニュエル・カントの手を借りることとしよう。
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