震災や戦争のことを考えながら私は読んだ『血と暴力の国』(映画『ノーカントリー』原作)
がんばって、翻訳版と英語原文版を相互参照で読みました。すっかり、映画『ノーカントリー』のほうが有名ですが、
原作小説のほうが深く、暗く、そして怖いです。
殺し屋アントン・シュガーのキャラクターが、活字で読んでいるほうがより、不条理でミステリアスに際立っています。
原作者が純文学の大家なので、多層的な読み方ができる小説ですが、
「アントン・シュガーにたまたま出会い顔を目撃した」というだけで無意味に殺されていく、ホテルのフロント係や車で通りがかったドライバーなどの犠牲者の死に方がいちいち無機質で恐ろしい。
そして何より恐ろしいのは、アントン・シュガー自身が、「俺の人生と線がたまたま交わったというだけで、それまで俺と無関係だったそいつの人生には終了してもらう。俺だって殺したくてやってるわけじゃないが、そういうルールなんだから仕方ない」と、自分の存在の不条理さを自覚しながら殺しを繰り返していること。
今の私が読むと、アントン・シュガーに無意味に殺されていく名前も出てこない通行人登場人物たちに、「ある日とつぜん震災にあってしまったというだけで、それまでの人生が強制終了となった」「ある日とつぜん戦争にまきこまれたというだけで、それまでの人生が強制終了となった」無数のニュースの人々を想起する。「なぜわたしが?」という問いには、「別に意味はないが、たまたま出会ってしまったからだ」という答えしかない恐ろしさ。
ズシンとした読後感に打ちのめされます。ただのクライムサスペンスではありません。かなり哲学的な小説。映画を見ただけではいまいちわからなかった細部も原作を読むとよりグググと心に入ってきます。
怖いです。ただただ。しかし世界の不条理の隠喩としてとらえれば、なんとも的確な小説。この世界には個人の命やら幸せやらを無慈悲にひねりつぶす、おぞましい闇が存在する。
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