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【読書録】『人新世の「資本論」』斎藤幸平

34歳の気鋭の経済思想家、斎藤幸平氏の、『人新生の「資本論」』(2020年9月、集英社新書)。

同氏は、国際的な賞「ドイッチャー記念賞」の最年少受賞者でもある。また、「新書大賞2021年」第1位を受賞され、そちらも、歴代最年少の受賞だったとのこと。本記事執筆時点において、すでに30万部超えのベストセラーだということである。

この本には、考えさせられた。以下、いつものとおり、備忘のために覚えておきたい箇所を抜粋してみる。

本書のタイトルにも含まれている「人新世」(ひとしんせい)とは何か? 多くの読者は、まずはそれを知りたいと思うだろう。

それについて著者は以下のとおり、「はじめに」で記載している。

 人類の経済活動が地球に与えた影響があまりに大きいため、ノーベル化学賞受賞者のパウル・クルッツェンは、地質学的に見て、地球は新たな年代に突入したといい、それを「人新世」(Anthropocene)と名づけた。人間たちの活動の痕跡が、地球の表面を覆いつくした年代という意味である。(p4)

そして、著者は、SDGsへの痛烈な批判と、気候危機の深刻さに警鐘を鳴らす。この点に著者は多くのページを割いているが、「はじめに」においても、メッセージが明確に、かつショッキングに伝えられる。

…政府や企業がSDGsの行動指針をいくつかなぞったところで、気候変動は止められないのだ。SDGsはアリバイ作りのようなものであり、目下の危機から目を背けさせる効果しかない。
 かつて、マルクスは、資本主義の辛い現実が引き起こす苦悩を和らげる「宗教」を「大衆のアヘン」だと批判した。SDGsはまさに現代版「大州のアヘン」である。(p4)
…気候危機は、二〇五〇年あたりからおもむろに始まるものではない。危機はすでに始まっているのである。
 事実、かつてならば「一〇〇年に一度」と呼ばれた類の異常気象が毎年、世界各地で起きるようになっている。急激で不可逆な変化が起きて、以前の状態に戻れなくなる地点(ポイント・オブ・ノーリターン)は、もうすぐそこに迫っている。(p19)

次に、先進国で最近議論されている「グリーン・ニューディール政策」や、気候ケインズ主義といった考え方について、あくまで現実逃避にすぎない、と一刀両断にする。

そして、いよいよ、著者の主張である「脱成長」というテーマに進んでいく。

「緑の経済成長」という現実逃避をやめるなら、多くの厳しい選択しが待っている。二酸化炭素排出量削減にどれだけ本気で取り組むのか。そのコストは誰が背負うのか。先進国はこれまで続けてきた帝国的生活様式について、どれくらいの賠償をグローバル・サウスに行うのか。持続可能な経済に移行する過程でも生じるさらなる環境破壊の問題をどうするのか。
 答えは簡単に見つからない。そんななか、本書が定期したいひとつの選択肢は、「脱成長」である。…(中略)。(p99)

そして、マルクスが晩年に到達したのは「脱成長コミュニズム」であるという新解釈を示している。

 要するに、進歩史観を捨てたマルクスは、共同体の持続可能性と定常型経済の原理を、自らの変革論に取り入れることができた。その結果、コミュニズムの理念は、「生産力至上主義」とも「エコ社会主義」とも、まったく違ったものに転化したのだ。それが、最晩年に到達した「脱成長コミュニズム」である。
 これこそ、誰も提唱したことがない、晩期マルクスの将来社会像の新解釈にほかならない。...(中略)(p197)
 無限の経済成長を断念し、万人の繁栄と持続可能性に重きを置くという自己抑制こそが、「自由の国」を拡張し、脱成長コミュニズムという未来を作り出すのである。(p276)

この立場は、トマ・ピケティの立場とも一致するという。

 要するに、気候危機に直面したピケティの結論は、資本主義では民主主義を守ることができないというものだ。だから、民主主義を守るためには、単なる再配分にとどまらない、「社会主義」が必要であり、生産の場における労働者の自治が不可欠になってくる。これは、本書の立場とまったく同じである。(p289)

続いて、マルクスの『資本論』に秘められた真の構想があるといい、それこそが現代で役立つ武器になるという。

 この構想は、大きく五点にまとめられる。「使用価値経済への転換」、「労働時間の短縮」、「画一的な分業の廃止」、「生産過程の民主化」、そして「エッセンシャル・ワークの重視」である。(p299)

そして、脱成長コミュニズムという晩年のマルクスの到達点のまとめとして、次のように述べる。著者の主張の全貌が明らかになる。

 晩年のマルクスが提唱していたのは、生産を「使用価値」重視のものに切り替え、無駄な「価値」の創出につながる生産を減らして、労働時間を短縮することであった。労働者の創造性を奪う分業も減らしていく。それと同時に進めるべきなのが、生産過程の民主化だ。労働者は、生産にまつわる意思決定を民主的に行う。意思決定に時間がかかってもかまわない。また、社会にとって有用で、環境負荷の低いエッセンシャル・ワークの社会的評価を高めていくべきである。
 その結果は、経済の減速である。たしかに、資本主義のもとでの競争社会に染まっていると、減速などという事態は受け入れにくい発想だろう。
 しかし、利潤最大化と経済成長を無限に追い求める資本主義では、地球環境は守れない。人間も自然も、どちらも資本主義は収奪の対象にしてしまう。そのうえ、人工的希少性によって、資本主義は多くの人びとを困窮させるだけである。
 それよりも、減速した経済社会をもたらす脱成長コミュニズムの方が、人間の欲求を満たしながら、環境問題に配慮する余地を拡大することができる。生産の民主化と減速によって、人間と自然の物質代謝の「亀裂」を修復していくのだ。(p319-320)
…資本主義と、それを牛耳る一%の超富裕層に立ち向かうのだから、エコバックや米ボトルを買うというような簡単な話ではない。困難な「闘い」になるのは間違いない。そんなうまくいくかどうかもわからない計画のために、九九%の人たちを動かすなんて到底無理だ、としり込みしてしまうかもしれない。
 しかし、ここに「三・五%」という数字がある。なんの数字かわかるだろうか。ハーヴァード大学の政治学者エリカ・チェノウェスらの研究によると、「三・五%」の人びとが非暴力的な方法で、本気で立ち上がると、社会が大きく変わるというのである。(p361-362)
 これまで私たちが無関心だったせいで、一%の富裕層・エリート層が好き勝手にルールを変えて、自分たちの価値観に合わせて、社会の仕組みや利害を作りあげてしまった。
 けれども、そろそろ、はっきりとしたNOを突きつけるときだ。冷笑主義を捨て、九九%の力を見せつけてやろう。そのためには、まず三・五%が、今この瞬間から動き出すのが鍵である。その動きが、大きなうねりとなれば、資本の力は制限され、民主主義は刷新され、脱炭素社会も実現されるに違いない。(p364)

3.5%の人が立ち上がれば、社会は大きく変わるという。

多くの人がおそらくそうであるように、私は、環境問題について、それなりに気を遣っていたつもりだった。

しかし、その危機がまさに現在進行中であることや、各国が対策として掲げていることが現実逃避に過ぎないというくだりを読んで、危機感を覚えた。どこか他人事ととらえていた認識を変えなければいけないと感じた。

アマゾンの書評を見ると、賛成・反対の双方の立場から、ものすごく多くの意見が寄せられている。しかも、かなり長文のコメントが多い。ここまでガチで炎上する本は、かなり珍しいのではないか。それだけこの本が世の中にもたらした問題提起のインパクトが大きかったということに他ならないだろう。

だけど、何をすればよいのかが、今ひとつピンと来ない。一般国民の大多数は、無関心層だ。3.5%の人々は、一体何をすればよいのだろうか。なかなか難しい問題だ。

とりあえず、この本を多くの人に薦めることから始めてみようか。

…というわけで、是非お手に取って読んでみてください!

ご参考になれば幸いです!


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