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あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 8月編

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浦和レッズ30年の歴史を、自分の人生に重ね合わせて振り返ろうというプロジェクトの8月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しまし… もっと読む
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8月31日(2016年) リーグ戦の反省を生かし4日後のカップ戦で勝利

 Jリーグでは同一カード3連戦はあり得ない。  しかし、リーグ戦以外の大会がシーズン途中で入ってきて、同一カード3連戦になることはある。  もったいぶることはない。つい先日もそうだったではないか。8月6日(土)のJリーグ第24節アウェイ名古屋グランパス戦を挟んで、3日(水)と10日(水)にルヴァンカップ準々決勝の名古屋戦が入ってきて対名古屋3連戦になった。  あのときはルヴァンカップ準々決勝第1戦が1-1、リーグ戦が0-3、ルヴァンカップ第2戦が3-0の勝利だった。リーグ戦

8月31日(2016年)勝つために手段を選ぶ

苦手なノエビアスタジアムの神戸戦。 いつもと違うことをすれば勝てるんじゃないかと、関門後にスタジアムに到着したり、交通手段を変えたり宿泊場所を変えたり、そんなことで結果が変わることはないのに。 東京からではなく品川から新幹線で新神戸ではなく新大阪へ、そこからJRで三ノ宮駅を越え神戸駅に。ホテルも三ノ宮ではなく神戸駅付近にして和田岬線を使ってスタジアムに。ここまでしたから勝ったと信じている。前半に得点を奪い、後半も攻勢だっただけに、更に追加点を奪って次の埼スタは消化試合にしたか

8月31日(2016年):トシ

この日は、テレビ参戦でした。三連戦は、あんまり好きじゃないな。チーム状態にかなり差があっても三連勝は難しく、どうしても相手に勝ち点をプレゼントしてしまうイメージがあります。この神戸三連戦もそうだし、今年の名古屋なんて、三連勝しかないだろうと思ってたのに、上手くいかなかった。まあ、この神戸三連戦みたいに負け勝ち勝ちの2勝1敗なら、気分は悪くないけど。 この日の先制ゴールは、高木俊幸選手。2015年に清水から大きな期待と共にやってきました。2016年には、13番を背負いました。キ

8月31日(2016年) 同一カード3連戦

同一カード3連戦は、できれば避けたい。相手チームが嫌というのではなく、近い日程で3試合となると、どうしても食傷気味になる。 10年ほど前だったか、スコットランドのオールドファーム・ダービー(セルティック対レンジャーズ)が、連戦ではないが年間4試合も戦うことになって、「これはどうも」とサッカーの情報番組で話していたのを見た。ダービーという特別な試合なので尚更なのかもしれないが、日程が離れていてもこれであるから、1週間に同じチームとの3連戦が食傷気味になるのも道理である。 つ

8月30日(2014年) 大宮を3タテした締めの大勝

 もう5シーズン行われていないが、浦和レッズと大宮アルディージャのさいたまダービーは、勝敗が拮抗していたことで知られている。  2005年に大宮がJ1昇格してから前回降格した2017年まで、リーグ戦でレッズの9勝7分け8敗(途中1シーズン、大宮はJ2)。05年以降と言えば、レッズが優勝争いをしていた時期も少なくなく、ほぼ互角のこの数字は、チームの順位が反映されているものではなく、「ダービーは別物」と言われるゆえんだ。  2014年8月30日(土)、浦和レッズは埼玉スタジアム

8月30日(2014年)体調最悪。でも相手を圧倒して完勝。

 最悪の状態は自分です。前夜の会合から三軒はしごして新橋のスナックで電車が無くなるまで騒いだ結果。試合の日は昼過ぎまで沈没してました。  元気がない大宮なのか、レッズが大宮に「ダービー力(ちから)」を出させなかったのか。チーム全員が躍動して、すべての場面で大宮を圧倒。ゲームを支配し続けての完勝だったので気持ちスッキリ。  試合後に、歓声の中ピッチを周るレッズの選手たちとは対照的な大宮サイド。選手あいさつにも静まり返っていました。怒る気力も無くしてしまったように萎れたアルデ

8月30日(2014年) ダービーあれこれ

大宮に年度3タテ。実に爽快な気分だった。直接対決の対戦成績で、ほぼ互角に食い下がられているのがシャクだっただけに、そのモヤモヤを忘れさせてくれる痛快な1日だった。 私には夢がある。58歳にして日本から出た経験の無い私は、一度は海外に行ってみたい。それもプレミアなどのダービーマッチを見に。マンU対リバプール、古くから因縁のあるトッテナム対アーセナル、スペインでも熱狂的なセビージャ対ベティスのアンダルシア・ダービー、危険なためアウェーサポは入れないというマルセイユ対PSG・・・

8月30日(2014年):大宮大丈夫?

この日は、北ゴール裏のいつもの辺りで参戦して、ダービーの大勝とシーズンダブル(トリプルでしたね)を決めてご機嫌でした。 ダービーは、勝利以外許されないと思っていますが、大宮はウチ以上にダービーへの拘りが強く、なかなか勝てないので、ダブルでとっても気分が良かったです。 この日のメモには、「大宮大丈夫?」と書かれてました。大勝で気分はいいんですが、ダービーはあった方がいい派のワタクシは、大宮が降格するとダービーやれないのでつまんないと思っていました。 でも、どうしてもダービーやり

8月30日(2014)夏の思い出

2014年8月30日J1第22節大宮戦。 J1通算20回目のさいたまダービー。 この日は朝からレッズ映画の撮影。グラウンドキーパー輪嶋さんの取材の後、スタジアムDJ朝井さんと岩沢さんに放送室でお話を伺った。 試合は梅崎司の先制ゴールに始まり、興梠慎三、森脇良太、宇賀神友弥が得点を重ね、西川周作のナイスセーブもあり4-0で完勝。 ハーフタイムには花火が上がり、ヒーローインタビューをする朝井さんの声も弾んでいた。 快晴の土曜夜に開催された試合は、埼スタに集まった4万人のサポ

8月29日(2004年) 王者交代を象徴する試合だった

 この試合は記憶に留めている人が多いだろう。  2004年8月29日(日)、浦和レッズは埼玉スタジアムにジュビロ磐田を迎えて、J1リーグ2ndステージ第3節を行い、3-2で勝利した。  全体にレッズが主導権を握り、2-1で迎えた79分、磐田の福西崇史が2回目の警告で退場処分に。これで勝負あったと思われたが、81分に追い付かれるもったいない展開だった。  しかし、アディショナルタイム4分を3分半過ぎたころ、長谷部誠がハーフウェイライン付近からドリブルを開始。エリア内で相手D

8月29日(2004年):誠〜っ!

この日は、北ゴール裏の上段で参戦しました。生憎の雨の中、レッズが先制するもジュビロに追いつかれ、突き放したのに、しかも福西の退場で相手10人になったのに後半終了間際に追いつかれてしまいました。 当時、ジュビロは強くてなかなか勝てませんでした。清尾さんが書かれている通り、強敵のジュビロ相手に良い試合はできるんですが、勝利するのは難しかった。 この日も、終了間際に追いつかれて、今日も勝てないのかと諦めかかったATに、長谷部が信じられない勢いでドリブルを始めます。ジュビロの選手も、

8月29日(2004)20歳の長谷部誠

藤枝東高からレッズに入ったばかりの頃の長谷部誠はとても華奢な印象だった。プロ入り2年目から飛躍的に出場機会が増え、3年目のシーズンはレギュラーの座を勝ち取っていた。 2004年8月29日J1 2ndステージ3節磐田戦。 雨の降りしきる日曜夜の埼玉スタジアム。 2-2で迎えたアディショナルタイム。センターサークル付近で鈴木啓太からのパスを受けた長谷部はドリブルを開始。巧みに磐田守備陣をかわし、見る見るうちにゴール前へ。最後は左アウトサイドでネットを揺らした。 この日はメインアッ

8月29日(2004年)喜びのあまり

2004年の第2ステージはレッズが確実に強くなっている事を感じさせてくれる試合が多く、この試合もその一つでした。 アディショナルタイムにまだ20歳の長谷部がぷわっと浮かして取ったゴールは、その後の彼の活躍を十分予期させるものでした。 ジュビロはそれまでの数年間、Nボックスという戦術がうまくはまり、Jリーグ最強と怖れらていましたが、そのジュビロを気持ちよく破ったものですから、天にも昇るような気持でした。 その日はそぼ降る雨が降っていて、合羽を着て自転車に乗っての帰路でした。

8月29日(2004年) 年度代表試合

あのロスタイムの長谷部の決勝ゴールは今でも記憶に新しい。降りしきる雨の中、冷静にチョコンと浮かして相手GKのセーブをかわしたゴール。隣にいた先輩と熱く抱擁した。 この試合まで磐田には散々煮え湯を飲まされてきた。磐田がJFL時代に対戦した時(初対戦だったか)も0-4の大敗。「こんなチームに4点しか獲れねぇのかよ」と磐田サポの激怒した声が飛んだというのを最近の清尾さんの記事(フェイスブック)で見て、そこまで舐められていたのかと衝撃を受けた。0-4の翌日、職場で静岡出身のアルバイ