清尾 淳

1957年、石川県加賀市生まれ。浦和在住。趣味はフォークソング(聴く、歌う、作る)、プ…

清尾 淳

1957年、石川県加賀市生まれ。浦和在住。趣味はフォークソング(聴く、歌う、作る)、プロレス(見る)、剣道(やる)、歴史(読む)…だったけど、浦和レッズに関わって30年以上の間にほとんど離れてしまった。それだけレッズは奥が深いし、幅も広い。あと、振れ幅も大きい。

マガジン

  • 浦和がURAWAになった2007 ~清尾&小齋秀樹 往復書簡

    2005年~2014年にレッズのマッチデー・プログラム(MDP)をはじめ、サッカーライターとして活躍していた小齋秀樹くんと、MDP編集長だった清尾淳が、2007年のACLで浦和レッズが優勝したときのことを振り返るマガジンです。ACL2022/23の決勝が行われる今年の4月末までに、全12試合について駆け足でやりとりしていきます。 小齋くんは、このACL2007はアウェイも含めてすべて一緒に取材した、僕にとって言わば戦友のような存在です。体調を崩されて、ライターの仕事からしばらく遠ざかっていましたが、取材メモは全部残っているそうで、僕が忘れていること、あるいは当時も知らなかったことなどが出てくると思います、皆さんにもきっと楽しんでいけるはずです。 それでは4月末までの2か月間、お楽しみください。 最後に「小齋さん」と表記すべきですが、長年言い慣れた「小齋くん」と呼ばせていただきます。

  • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 3月編

    「あの日のわたしたち」の投稿、3月分をまとめたマガジンです。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーターのみなさんにも過去の自分を振り返って投稿していただいています、 それぞれ各月の「○月編」にまとめてあります。ぜひ、そちらもご覧ください。

  • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 4月編

    「あの日のわたしたち」4月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーターのみなさんにも過去の自分を振り返って投稿していただいています、 それぞれ各月の「○月編」にまとめてあります。ぜひ、そちらもご覧ください。

  • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 5月編

    「あの日のわたしたち」5月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーターのみなさんにも過去の自分を振り返って投稿していただいています、 それぞれ各月の「○月編」にまとめてあります。ぜひ、そちらもご覧ください。

  • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 6月編

    「あの日のわたしたち」6月編です。 数年前のその日に何があったか、清尾淳が一番印象深い試合をコラムふうに毎日投稿しました。 その日に何を考え、何をしていたか、ファン・サポーターのみなさんにも過去の自分を振り返って投稿していただいています、 それぞれ各月の「○月編」にまとめてあります。ぜひ、そちらもご覧ください。

    • 浦和がURAWAになった2007 ~清尾&小齋秀樹 往復書簡

    • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 3月編

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はじめまして、清尾 淳です。

経歴1957年、石川県加賀市生まれです。高校を卒業後、京都で1年浪人生活を送り、大学進学のため上京。1981年に東京の大学を卒業して埼玉新聞社に就職し、浦和の住人となりました。 浦和レッズとの関わり1990年から、プロサッカーを浦和に誘致する活動に関わり、1992年に浦和レッドダイヤモンズが誕生すると、浦和レッズ・オフィシャル・マッチデー・プログラム(MDP)の編集を会社の業務として担当しました。2005年に退職し、フリーでMDPの取材・撮影・編集を請け負ってきました。現在

    • 清尾淳のレッズ話#258 確かな土台に強力な武器~歴代最高の補強か /それを可能にしたもの

       そういえば、後年(2006年か2007年)、レッズのことを「外人部隊」と称して、炎上した大御所がいたっけ。  日本国籍を取得した人を日本人と認めたくないのか、それともネネ、ポンテ、ワシントンのブラジル国籍の3人に、闘莉王、アレックス、セルヒオの「元外国籍」3人がいて、さらに小野伸二のような欧州帰りもいるなんてズルい、ということだったのか。レッズ生え抜きの選手が少なく、移籍で獲得した選手ばかり、という意味だったのか。  何にしても、ちょっと軽率だったと思う。  「外人部隊」

      • さいしんコラム#1183~栄枯盛衰/レッズはどの過程か

         そういうレッズはどうなんだよ。  浦和レッズも04年~07年の"自称"「黄金期」に比べたら、その後はあまり芳しい成績を挙げていないが、まずもってヴェルディや磐田のように最初に「栄」や「盛」が来ていない。初期は、今のレギュレーションなら2年連続降格(それはあり得ないが)していた。折紙付きの「枯」「衰」だった。その10年後に黄金期が来たから順番的には「枯栄衰盛」だ。  またリーグ優勝は06年だけだが、16年にJリーグカップで優勝しているし、18年と21年には天皇杯を制してい

        • 清尾淳のレッズ話#257 ギド・ブッフバルト監督就任~早く、激しく、外連味なく /今と似ている?

           君子危うきに近寄らず―リスクを冒すと失点の危険がある。  虎穴に入らずんば虎子を得ず―リスクを冒さないと点は取れない。  ことわざにはたいてい真逆の教えもある。それぞれ真でもある。何をどう目指すかは人ぞれぞれだ。  オフト監督は「もっと速く攻めた方がいいんじゃないか」という質問に対しては「相手がナイフを構えているところへ、飛び込んでいくのはバカげている」と答えるのが常だった。3年目があれば、相手がナイフを構えていてもやられずにゴールを奪うサッカーをやったのだろうか。

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        はじめまして、清尾 淳です。

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        • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 5月編
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        • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 6月編
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        • あの日のわたしたち ~浦和レッズ30年~ 7月編
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          さいしんコラム#1182~28試合/もしコロナ禍がなかったら

           会社のスタッフが辞めて僕1人になった2015年から2019年までは、MDPの企画から取材、編集、校正まで1人でやっていた。それとフリーになった2005年と2006年も。  もちろん小齋秀樹さんらのライターに依頼したものもあるから全ページを自分が書いていたわけではないが、通常32ページのMDPをよく1人で管理していたなあ、と不思議になる。たとえば2016年は年間24号、2017年は年間25号のMDPを発行していたのだ。カップ戦と合わせてホーム3連戦のときもあったわけで、もう

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          清尾淳のレッズ話#256 レッズ黄金時代の幕開け/2年間の土台の上に築かれた時代

           2002年~2003年で土台を作り、2004年から本格的にタイトルを獲る。  これは2004年の念頭に犬飼代表や森GMが述べています。やはり3か年計画の3年目という位置づけは間違いではなく、浦和レッズは「3年目に大関になった」と言えます。  どんな大関ぶりだったのかをこれから見ていきます。  「これも、しゃべれ!」という要望や命令をお寄せください。

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          清尾淳のレッズ話#255~前代未聞! 優勝監督が直後に退任表明/「正義」と「正義」のぶつかり合い

           YouTube「清尾淳のレッズ話」を始めたとき、最初に「これ、どう語ろうか」と悩んだテーマの一つが、2002年~2003年の、犬飼基昭代表とオフト監督の確執だった。  当時は、クラブ自身が定めた「3か年計画」を、代表が変わるとすぐに反故にしてしまうのは、いかがなものか、と思っていた。  もちろん今でも、そんなに簡単な政策変更はあってはならないことで、変更するなら変更するで「3年も待てない、2年だ」と言うだけではなく、しっかりした検証や総括とあらたな計画が必要だと思っている。

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          MDP667号清尾コラム~後半40分の「We are REDS!」/「無理」とは口にしない

           駆け込み乗車は良くない。自分も危険だし、周りに迷惑をかけるかもしれない。  それももちろんあるのだが、走って行って目の前で電車のドアが閉まったらカッコ悪い、という気持ちがある。ダサい、スマートじゃない、失敗を人に見られるのが恥ずかしい…。僕はそんな性格だった。  電車に限らず、競争して負けるのが嫌だ。  負けるのが嫌だから、絶対に勝つように努力する…、のではない。  負けるのが嫌だから、競争しない。  そんなタイプだったと思う。今でもその傾向がなくもない。   変わって

          MDP667号清尾コラム~後半40分の「We are REDS!」/「無理」とは口にしない

          清尾淳のレッズ話#254~思い出深い試合をピックアップ/C大阪戦・G大阪戦・仙台戦・鹿島戦

           4試合挙げたが、一つ選べと言われれば、2nd最終節の鹿島戦になる。  優勝の可能性に希望を抱きながら、それがなくなってホームに帰ってきたことも2003年を象徴している。 「記憶に残るゴールが多い」と言われる永井雄一郎がJ1キャリアハイの8ゴールを挙げた年、その8点目だった。  そして、試合に臨むメンタルがいかにプレーを左右するか、あらためてわかった試合だった。  あれから20年。区切りの年にJリーグカップを獲りたかったが、それは言っても仕方がない。  だが、リーグ戦ラス

          清尾淳のレッズ話#254~思い出深い試合をピックアップ/C大阪戦・G大阪戦・仙台戦・鹿島戦

          さいしんコラム#1181~負けのあと/祭りの後のさびしさ、とは言っていられない

           祭りの主体者は、祭りのあとのさびしさに浸っているなんて許されない。  祭りのあとの片づけをしなくてはならないのだ。    若いうちは「祭りのあとのさびしさは」と歌っているだけでよかった。「どうせ俺はひとりに戻るだけさ」と、いつまでも遊んでくれる友達や、つき合ってくれる女の子がいない自分をごまかしているだけだった。そうやって数日すれば日常に戻った。  だが大人になって、祭りの主体者のはしくれに加わると、余韻に浸る間もなく、やるべき片付けがある。その片付けが終わったころは、も

          さいしんコラム#1181~負けのあと/祭りの後のさびしさ、とは言っていられない

          清尾淳のレッズ話#253~2nd第12節で首位~最もリーグ優勝に近づいた年/いまだ解けぬ謎

           本当に僕だけの感覚だったかもしれないが、第12節で東京ヴェルディに勝って首位になったとき、これはJリーグカップ優勝のご褒美か、と思ったぐらい、それまでリーグ戦を横に置いて、決勝のことだけ考えていた。  今度こそ、とMDP決勝特別号に全力を傾注していたせいかもしれない。  あの時期、決勝の前に「2ndステージ優勝だ」と考えていた人はどのくらいいるだろうか。  それにしても、相手が9人になった第13節の負けは痛かった。それが次の名古屋戦にも影響したのか。それとも、オフト監督

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          さいしんコラム#1180~あと2日/「しかない」のか「もある」のか

           10月11日、日産スタジアムで横浜F・マリノスと戦い、0-1で準決勝第1戦を落とした日。  選手のバスが出発するのを待っているクラブのスタッフに僕はこう言った。 「大丈夫、大丈夫。これまでホーム&アウェイの第1戦がアウェイで、1点差で負けたときは、必ず第2戦のホームで逆転してるから」 「え、本当? そういうデータがあるんなら、少し安心した」  それほど古くないスタッフは、自分がいないときの試合まで頭に入っていない。これは32年取材してきたオッサンが伝えるべきことだ。  3

          さいしんコラム#1180~あと2日/「しかない」のか「もある」のか

          清尾淳のレッズ話#252 小野伸二が凱旋~さいたまシティカップの始まり/変化するその意義

          今回は、極論すると ACLグループステージ>たとえばマンチェスター・シティとかパリ・サン=ジェルマンとの親善試合 みたいなことを言ってる。 試合のレベルの話じゃなくて「闘う」ということにおいて。 まあ、公式戦>親善試合というのは当たり前のことだけど。 でも、いろんなものを超越した、見たい選手、会いたい選手というのが存在するのも事実。その代表が、ここで語ってる、さいたまシティカップ2003。それと去年のさいたまシティカップ2022かな。 https://youtu.be

          清尾淳のレッズ話#252 小野伸二が凱旋~さいたまシティカップの始まり/変化するその意義

          さいしんコラム#1178~一法師央佳の現役引退にあたって/ありがとう

           レッズレディースユースの最後の試合は、年明け、1月初旬に行われる全日本U-18女子サッカー選手権だ。  以前は、高校の女子サッカー部も参加する大会で、常盤木学園や神村学園、藤枝順心高などが出場していたが、現在は同時期に高校女子サッカー選手権があるので、実際は「クラブユース選手権」となっている。    関東予選で敗退したことはあるが、レッズレディースユースはほぼ毎年この全国大会に出場し、僕もほとんど取材に行っている。  年は明けているが、いわゆる年度内であり、レッズファミリー

          さいしんコラム#1178~一法師央佳の現役引退にあたって/ありがとう

          清尾淳のレッズ話#251~福田正博が引退➁~「一緒に闘える日」は来るのか/煙突を用意しないと

          浦和レッズ監督・福田正博  20年前に誰もが夢見たことだと思う。  ただ、レッズの監督人事の変遷を見ると、ああいう終わり方をして欲しくないから、早く見たいとは思わなくなった人もいるだろう。  僕も、自分がMDPの編集に携わっているうちに、と思っていたが、最近では自分がレッズを見られるうちに、と弱気になっている。  お母さんに、こんなことを言う子はまだいるんだろうか。 「ねえ、サンタさんて、エントツからはいってくるんでしょ?」 「そうだよ」 「じゃあ、うちにはエントツがない

          清尾淳のレッズ話#251~福田正博が引退➁~「一緒に闘える日」は来るのか/煙突を用意しないと

          さいしんコラム#1177~逆風、逆境の中で強くなれ/これまでとは違う場所に

           神戸の残り日程と比べてみると、カップ戦など、ただリーグ戦の合間に詰め込むだけでなく、ステージが上の試合はそれなりに配慮してあるのか、それほど無茶苦茶な連戦にはなっていないことに気づいた。逆に天皇杯もルヴァンカップもACLも残っていないクラブが何と試合の少ないことか。 今季だけなのか、いつもそうなのか、今度調べてみよう。  本当に、あと2か月で5試合しかない神戸がうらやましい部分もなくはないが、ACLを獲った上で、シーズン2つ目、あるいは3つ目のタイトルに挑戦している自分た

          さいしんコラム#1177~逆風、逆境の中で強くなれ/これまでとは違う場所に