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清尾淳のレッズ話#295 中断明け~達也復帰、小瀬1万7千人/制度と精神の継続

 どこもそうだと思うけど、Jリーグの入場者はチケットが不要な未就学児も含めてゲートを通過した人をスタッフがカウントしている。入場方式が変われば機械で正確にカウントする方法もあるだろうけど、まだマンパワーのはずだ。チケットもぎりや手荷物検査、配布物渡し係と同様、そのスタッフにも人件費がかかっている。

 2007年のACLで、中国や中東では入場者が概数でしか発表されなかったことを僕は不思議だと思わなかった。他国に対する偏見ではなく、それらの国では、正確な入場者を発表することに重要性を感じていなかったからではないか。あの年、イランで行われたセパハンとの決勝第1戦は「3万人」という発表。ゴール裏の片方が崖でスタンドなどないようなスタジアムで、そんなに入るわけがないだろうと思って調べたら、そもそもキャパが「2万人」。こうなると笑い話だ。でも、国内リーグでもおそらくそういう発表が当たり前だったのだろう。

 Jリーグは発足に当たって、入場者を目分量で数え、多めに発表していた日本リーグ時代の慣習を止めようと取り決めた。結果的にその数字が少なくても、新しい文化を創っていこうというときに、どこからも後ろ指をさされないように襟を正そうということだったはずだ。当時、それを聞いて自分がこれから関わって行くことになる、新しい世界の牽引車たちの姿勢を素晴らしいと感じたのを覚えている。

 だから某クラブの「入場者の水増し発表」が明らかになったとき、Jリーグ発足時の勇気ある合意を裏切る行為であり、きちんと手作業でカウントし実数を発表している他のクラブの努力に泥を塗り、みんなで培ってきた信頼を揺るがす、犯罪的な行為だと思った。

 Jクラブとしての資格停止に近い処分が下されて然るべきだと思ったが、そうではなかった。
 当該クラブも、Jリーグのチェアマンはじめ事務局も、各クラブから出ている実行委員も、みんな1990年からJリーグ創設に向けて尽力してきた人とは顔ぶれが違っていたからだろうか。もし川淵三郎さんがチェアマンの時代に、あれが起こっていたら、どうだっただろう。
 制度は継続していけても、精神は継続できるとは限らないのかもしれない。

 甲府の「17,000人」が、もし実数とは違う発表だったとしても(そう思ってるだろ、お前)、水増し発表を続けていたクラブとは次元が違うものだと思う。


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