Yota Kaneko

サッカーと音楽と猫が大好きです。CMや映像のDirectorをしています。 https…

Yota Kaneko

サッカーと音楽と猫が大好きです。CMや映像のDirectorをしています。 https://yotak.jimdo.com

最近の記事

はじめてレッズをみた日

1993年Jリーグ開幕。 子どもの頃から憧れていたサッカーの街浦和にもクラブが誕生し心が躍った。 浦和レッドダイヤモンズは前年のナビスコカップで攻撃的なサッカーを展開、年末の天皇杯でもベスト4に進出して期待が高まった。 しかしいざリーグ戦が始まるとレッズは勝てなくなってしまった。毎日仕事漬けだった20代の自分はスタジアムに行けず、新聞やテレビのニュースで結果を知るたびため息をついた。 1stステージは3勝15敗で最下位。 2ndステージでも苦戦が続き、ドーハの悲劇を経て初

    • 12月8日(1993)冷たい雨の初観戦

      1993年12月8日国立ヴェルディ戦。 初めてJリーグ、そしてレッズの試合を生で見た記念すべき日。 サッカーのプロリーグが始まり浦和にクラブが誕生し、とても嬉しかったが、24時間365日仕事漬けの日々でなかなかスタジアムへは行けなかった。 テレビや新聞でレッズの試合結果を見ては落ち込んだりした。 1stステージ最下位に終ったレッズは2ndステージもなかなか勝てなかった。 9節駒場でのヴェルディ戦。ラモスとビスマルクのリフティングパスに翻弄された屈辱の試合。0-6での敗戦。ここ

      • 12月2日(2006)至福のシーズン

        2006年12月2日J1最終節ガンバ戦。 前節勝てば優勝の味スタに足を運んだが、引分けに終わり、この日2位ガンバとの直接対決にシャーレの行方は持ち越された。 勝ち点差は3、得失点差3。 3点差以上で負けると総得点差で上回られてしまう。 快晴の埼玉スタジアムに集まった観客はJリーグ最多記録となる62,241人。 試合前手を繋ぎ、『威風堂堂』を歌う。『ウォリアー』から『アレ浦和』と共に選手入場。 バックスタンドに巨大なエンブレムが浮かび上がる。その一部になった。 「We are

        • 12月1日(2018)平川忠亮最後の勇姿

          2018年12月1日 J1最終節埼スタFC東京戦。 2002年筑波大学からレッズに加入した平川忠亮現役最後のシーズン。監督が代わっても常にポジションを勝ちとってきたが、2015年以降はだいぶ出場機会が限られてきた。2018年は堀孝史監督、大槻毅監督代行、オリヴェイラ監督と指揮官が代わった難しい年だった。 同じくこの年退団となった李忠成の2得点と柴戸海のプロ初ゴールで、3-2でリードした89分柏木陽介からキャプテンマークを受け取りヒラがピッチに入ると、「We are REDS!

        はじめてレッズをみた日

          11月29日(2014)鬼門鳥栖

          勝てば優勝だった埼スタでのガンバ戦に敗れ、勝ち点2差に迫られ残り2節。 レッズはアウェイで優勝の可能性を残すサガンと対戦。 試合当日早朝に息子と家を出て、新幹線で博多まで行き、鹿児島本線に乗り換え初めての鳥栖へ。改札を出ると目の前にスタジアムが見える。傾斜のあるゴール裏は多くのレッズサポーターで埋め尽くされていた。1年前も優勝の望みを絶たれた鬼門の場所である。 試合開始から両チーム攻めあうが決めきれず0-0で前半終了。ハーフタイムにコンコースで九州在住サポーターTさんと遭遇

          11月29日(2014)鬼門鳥栖

          11月27日(1999)あの日の悔しさを忘れない

          1999年11月27日 J1 2ndステージ最終節 サンフレッチェ広島戦 ジェフ戦、ベルマーレ戦、ヴェルディ戦と使命感に駆られるようにスタジアムに参戦し、この日も駒場へ向かった。メインスタンドの最上段の隅の方から、J1残留を願い応援した。 ジェフに勝ち点差1リードしていたレッズは90分で勝てばよかった。 福田正博の名前がスタメンになく不安になったが、必ず出場してゴールを決めてくれるはずと信じていた。 0-0のまま、時間が過ぎてゆく。 ア・デモス監督は後半に入り大柴健二、続いて

          11月27日(1999)あの日の悔しさを忘れない

          11月25日(2017)再びのアジア王者

          2017年11月25日ACL決勝2nd leg アルヒラル戦。 1週間前サウジアラビアで行われた1st legは貴重なアウェイゴールを得て1-1。 土曜日の埼玉スタジアムには、開場前から多くのサポーターが集まった。浦和美園駅からの道に掲げられた横断幕のメッセージに気持ちが高まる。 10年前はまだサポーターではなかった息子と北ゴール裏へ。 試合前2007年の星から繋がる壮大なビジュアルがスタジアム全体に広がり、圧倒的なホームの雰囲気を作り出す。 アルヒラルの猛攻に耐え、最後

          11月25日(2017)再びのアジア王者

          11月23日(1999)クルヴァの真ん中で

          1999年11月23日 J1 2ndステージ第14節 ヴェルディ川崎戦。 11月17日のジェフ市原戦ですっかり心を突き動かされ、残り3試合何とかして浦和レッズを残留させなければと、スタジアムへ向かった。20日駒場でのベルマーレ平塚戦は、今季初の連勝。ベルマーレはこの試合でJ2降格が決定。出島のサポーターから「レッズは残れよ」とエールが送られた。 3日後、チケットをとってくれた今は亡きカメラマンの友人たちと、等々力へ。スタジアムへ着いた時には自由席は超満員。どうしたものかと途方

          11月23日(1999)クルヴァの真ん中で

          11月22日(2014)儚い赤き空

          2014年11月22日 J1 第32節 首位レッズは残り3試合、勝ち点5差で2位ガンバを埼玉スタジアムに迎えた。 爽やかな秋晴れの土曜日。朝から撮影の準備をして、北側のオーロラビジョンの下で試合を見つめた。 0-0のまま時間が過ぎてゆく。勝てば優勝だったが、たとえ引分けでも残り2試合で圧倒的優位に立てる状況だった。 ただ56758人が集まったホームの雰囲気の中で決めたいという思いがひしひしと伝わってきた。 カウンターから88分に先制され、怪我明けの興梠慎三を投入するも、アディ

          11月22日(2014)儚い赤き空

          11月20日(2004)紙吹雪の中の歓喜

          2004年11月20日。名古屋戦。 J1 2ndステージ首位を走るレッズにとってリーグ戦での初優勝を賭けた試合になった。 この年から転勤になった人のシーズンチケットを譲り受け、毎試合スタジアムへ通い始めた。数日前から古新聞を切ってビジュアルの準備をした。 バックスタンド1階の西側自由席で、あの紙吹雪の中にいた幸せ。 試合内容のことはよく覚えていないが、終了後やや間があって、他会場の結果を伝える朝井さんの声が耳に乗っている。その瞬間再び紙吹雪がスタジアム中を包む。 負けて優勝が

          11月20日(2004)紙吹雪の中の歓喜

          11月19日(2000)美しい放物線

          2000年11月19日。サガン鳥栖戦。 苦しく長いJ2シーズンの最後の40試合目。開幕8連勝したが、夏に失速。この年1度も勝てなかった札幌に先にJ1昇格を決められてしまった。残り1つの座を争う2位浦和と3位大分の勝ち点差は2。 よく晴れた日曜の駒場スタジアム。西側のバッグスタンド2階から祈るような気持ちで、試合を見つめた。 前半終了間際アジエルのゴールで先制するも、後半早々に西野努と西部洋平が交錯してしまい追いつかれる。63分ペナルティエリアに抜け出した鳥栖の選手を室井市衛が

          11月19日(2000)美しい放物線

          11月17日(1999)ハートに火をつけて

          1999年11月17日ジェフ市原戦。 シーズン残り4試合。レッズはJ1残留争いの真っ只中にいた。サッカー王国浦和のクラブをJ2に落としてはならないと、心が燃え駒場スタジアムへ向かった。 住宅街を抜け、夜空の向こうに灯る光。 メインスタンドから見た試合前の赤き炎。 異様な空気の中、主審が中西永輔の2度目のイエローに退場と気づかず、思わず叫んだこと。 胸が締めつけられるような展開の中、福田正博がゴールを決めた時の喜び。 オーロラビジョンに映し出されたギド・ブッフバルトからのメッセ

          11月17日(1999)ハートに火をつけて

          11月14日(2007)Asian KING

          11月14日は埼玉県民の日。子どもの頃は学校が休みで嬉しかった。2007年その日が新たな記念日になった。 この年初めてACLに出場した浦和レッズは、激戦を勝ち抜き、ついに決勝まできた。1st legは1週間前アウェイのイランで。ロブソン・ポンテのゴールで先制し、その後セパハンに追いつかれるが、1-1で2nd legへ。 準決勝の延長PKを勝ち抜いた余韻が残る埼玉スタジアム。この日はメインスタンドで観戦したので、試合前赤く染まったバックスタンドに巨大な星が浮かび上がった光景は、

          11月14日(2007)Asian KING

          11月10日(2001)埼スタ初勝利

          日韓W杯の前年、2001年10月に埼玉スタジアムが開場し、オープン記念イベントで娘と初めて訪れた。柿落としとなったマリノス戦は、チケットが買えず行けなかったが、11月7日の日本代表のイタリア戦をメインロアーで観戦することができた。夢のような景色が目の前にあった。 そしてその3日後、埼スタでのレッズの試合を初体験することになった。席はメインアッパーのいちばん上だったが、そこからの眺めが素晴らしく感動した。 試合はエメルソンが先制、柳想鐵のゴールで柏に追いつかれるが、後半再びエメ

          11月10日(2001)埼スタ初勝利

          11月4日(2002)初めてのファイナル。旗の海。

          2002年11月4日。ナビスコカップ決勝。 浦和レッズはリーグ戦、カップ戦を通し初めて優勝を賭けた一戦に望むことになった。 10月のチケット発売日には各地のチケットぴあやコンビニに多くのサポーターが列を作った。私は当時新座サティにあったぴあに早朝整理券を取りに行き、10時前その順番通りに並んだ。確か20番台位で、間に同じ発売日の「さだまさし」や「劇団四季」の人もいてドキドキしたが、チケットを購入できた時は飛び上がる程嬉しかった。ここのぴあのスタッフの手際良さは素晴らしく、翌年

          11月4日(2002)初めてのファイナル。旗の海。

          11月3日(2003)雨と涙でずぶ濡れの初タイトル

          2003年11月3日。ナビスコカップ決勝。 「連覇か。雪辱か。」の広告コピー通り2年連続鹿島との対戦。 ちょうどこの11月に千駄ヶ谷に事務所を借りたので、そこから歩いて10分国立競技場へ。前年は海外から直接決勝の舞台へ20時間程かけて向かったので、劇的な短縮だった。 友人と合流し、多くのレッズサポーターと共に明治公園の列に並んだ。昨年の悔しさを晴らすべく、朝から気持ちが昂ぶる。サポーター有志の尽力で無事入場。ゴール裏で席を探していると「力」の人たちがここ空いてるよと教えてくれ

          11月3日(2003)雨と涙でずぶ濡れの初タイトル