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8月29日(2004年) 年度代表試合

あのロスタイムの長谷部の決勝ゴールは今でも記憶に新しい。降りしきる雨の中、冷静にチョコンと浮かして相手GKのセーブをかわしたゴール。隣にいた先輩と熱く抱擁した。

この試合まで磐田には散々煮え湯を飲まされてきた。磐田がJFL時代に対戦した時(初対戦だったか)も0-4の大敗。「こんなチームに4点しか獲れねぇのかよ」と磐田サポの激怒した声が飛んだというのを最近の清尾さんの記事(フェイスブック)で見て、そこまで舐められていたのかと衝撃を受けた。0-4の翌日、職場で静岡出身のアルバイトに「遠山さん、ジュビロ強いっすね」と言われて、何も言い返せなかった苦い思い出がある。1995年から浦和も優勝争いに絡んだりするようになるのだが、それでも磐田の後塵を拝し続けていた印象である。

実際、磐田は強かった。1999年のアジアクラブ選手権決勝で、イランのエステグラルと対戦した試合をCS放送で見た。場所はテヘランで、12万人収容と言われるアザディスタジアムは満員という完全アウェー。解説の金田喜稔氏が現地の画面を見るなり「うわー」という言葉しか出なかった会場での試合で、堂々の戦いぶりで優勝を勝ち取った。試合中に花火や爆竹が鳴り、物が投げ込まれる環境(陸上競技場だったのが磐田を救った)に怯むことなく勝ち切った試合に、「強い」と私は唸ってしまった。

そんな磐田を堂々と打ち破り、浦和は初のステージ優勝に邁進することとなった。この勝利は、その転機になった試合だったかもしれない。埼スタを南側ゲートから北側に向かって歩いていくと、当時の試合の写真が垂れ幕となってフェンスに掲げられているのを見ることが出来る。2004年を代表する試合だった。

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