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9月13日(2017年)スイッチが入るとき

ポゼッションサッカーで今Jリーグを席巻する川崎と、それが瓦解して再建中の浦和。 等々力が2-1で折り返していたら勝ち上がる可能性があったのに、というのが正直な思いとしてあったのは間違いなくあったが、自分にとってACLは特別なもので、アジアの舞台でJでは経験できない強いクラブと対戦して、完全なアウェイで「俺たちの浦和」と共に戦うのは至極の幸せだった。 川崎相手にひっくり返すことは至難の業。SRの車中では興奮するでもなく、いつものように淡々としていた。美園駅からはシャトルバス。埼

    • 9月12日(2004年)紙風船

      中津江村の村長さんが挨拶をしていた前年のこと。 劣悪なピッチと独特の蒸し暑さ。そんな条件下でもJ1の先輩クラブの意地は十分見せることができた。 ホーバークラフトに乗りたい気持ちを抑えて、この年も空港からレンタカー、当時、日出から先は一般道。アクセスの悪さはJクラブワーストかも知れない。スタジアムからほど遠い駐車場からは今はなくなってしまったシャトルバス。山形もそうだったが、地方クラブのおもてなしは素直に嬉しくて、会場の外で太鼓を叩いてもなんの問題にもならなかっただろう。 大

      • 8月31日(2016年)勝つために手段を選ぶ

        苦手なノエビアスタジアムの神戸戦。 いつもと違うことをすれば勝てるんじゃないかと、関門後にスタジアムに到着したり、交通手段を変えたり宿泊場所を変えたり、そんなことで結果が変わることはないのに。 東京からではなく品川から新幹線で新神戸ではなく新大阪へ、そこからJRで三ノ宮駅を越え神戸駅に。ホテルも三ノ宮ではなく神戸駅付近にして和田岬線を使ってスタジアムに。ここまでしたから勝ったと信じている。前半に得点を奪い、後半も攻勢だっただけに、更に追加点を奪って次の埼スタは消化試合にしたか

        • 9月11日(1993年)準会員にも勝てず敵わず

          磐田にも勝てないの? Jリーグクラブが準会員クラブに完敗。 試合結果を知り、もうどこにも勝てないんじゃないかと愕然とした。 当時はまだ、画面越しで観るだけだった浦和レッズ。この弱さは本当なんだと、浮上の切掛はあるんだろうか? 自分にとっては「好きにならずにいられない」前夜の出来事だった。

          9月1日(2018年)救世主、ピッチを去る。

          豪雨の影響でキックオフは30分遅れ。ボーイズマッチの時は降っていなかったのに、スタンドにいることを躊躇うほどの大雨。コンコースで仲間たちと角打ちのように1つのテーブルの周りに集まり時を過ごしていた。 ファブリシオまで失うことになるとは…。 試合開始早々にピッチから姿を消してしまった。貴重な交代枠を戦術以外の理由で使ってしまうことは勿論、もしも長期欠場に繋がるような負傷にならないよう、願わずにはいられなかった。 鹿島時代の成績ではJリーグに合う選手とは思えず、ポルトガルリーグ

          9月1日(2018年)救世主、ピッチを去る。

          9月10日(2016年)瀬戸際の試合で得た勝利

          負ければ2ndステージ4位転落の危険があった試合。 大事な試合に3万人割れは浦和らしさという「大事な何か」をどこかに置いてきてしまったツケなのだろうか。 開幕から6か月、夏が過ぎたあたりから新幹線や飛行機を使った遠征も数えるほどになり、シーズンの終わりが少しずつ迫ってきていることを実感する。寂しさと同時に狙えるタイトルの可能性を探し、それに邁進する痺れるような感覚も刺激になる。 アウェイでの印象が強すぎて苦手意識のある鳥栖が相手。 埼玉スタジアムでは「不思議な力」が働かないか

          9月10日(2016年)瀬戸際の試合で得た勝利

          9月9日(1992年)主審·高田静夫さん、得点は自殺点。

          懐かしい名前が並ぶ。リザーブには信藤さんの名前も。主審は名審判、高田静夫さん。オウンゴールは自殺点。その呼称に違和感のなかった時代のこと。 試合のことも勝ったことも記憶にない。 スポーツは観戦するより体験するものだった頃。 この頃はまだ「平熱」だった。

          9月9日(1992年)主審·高田静夫さん、得点は自殺点。

          9月2日(2015年)諦めた、諦めてない。

          午後休を取って東京駅から上越新幹線で新潟へ。大宮駅あたりで既にいい気分。東海道新幹線と違い、上越新幹線や東北新幹線に乗ると「旅気分」になるのはどうしてだろう。 新潟駅南口に降りてバス乗り場前のローソンでビールを買い、シャトルバスでスタジアムへ。ここへの往復もルーチンワークのようになった。 阿部勇樹を組み込んだ3バックは安定していて、ヒラも相手7番を抑えていた。ただ、上手く封じていた反面、攻撃力は減退しているように感じていた。 新潟の拙さもあって失点する雰囲気はあまりなかった

          9月2日(2015年)諦めた、諦めてない。

          9月8日(2001年)チッタとピッタとフラビオと。

          ガラガラのスッカスカ。 国立競技場は雨。 雨だから来ないのか、他に原因があるのか分からない。監督のチョイスを誤ったのか監督が孤立していたのかなんて分からない。J1復帰から1年も経たずに監督交代。どうしてこうなるのか。 流石に空席が目立ち過ぎるので、いつもの上段からゴール裏中央下段に場所を移す。 試合前のコンコースにも活気はなく寂しい限り。 前線にガツンと強い選手がいると必ずやられる。 チェ・ヨンスにしてやられる。 監督が代わったからといって何がどう変わったのかよくわからない浦

          9月8日(2001年)チッタとピッタとフラビオと。

          9月3日(1997年)カクテル光線

          ひな壇にいた。 逃げ場もなくただ雨に打たれていた。 粒が痛かった。 ポンチョの意味なんてなかった。 救われたフリューゲルス戦は救いようのない再試合、今度は勝っている。 トラックに水が溜まっていく。 試合中止は勘弁してくれ。 カクテル光線が戻ってきたときの喜びは何とも言えない気持ちだった。 もう一度試合が始まるような、まるでプロ野球の中断みたいな。集中を欠いてふわっとしないように、気合を入れ直した。 チキが決める、福田正博が決める。 テンションは最高潮だった。ずぶ濡れのまま浦

          9月3日(1997年)カクテル光線

          9月4日(2016年)2戦合計6−1

          勝ったーーー。 着々とカップウィナーに向けた階段を昇っている。森脇+那須大亮+ウガで無失点。 1レグでアウェイゴールを2つ奪って迎えた埼玉スタジアム。都合4−1からのスタートは圧倒的有利。油断していたということではないが、試合前にビールが進んでいた。スタンドも空席が目立ち、決勝になると突然やってきてWeを叫ぶのは辞めて欲しいなと思い始めていた。 来たくても来れない人はともかく、来れるのに来なかった人はこっから先も来れなくていいなぁ。大事じゃない試合なんてなくてね、リーグ戦もカ

          9月4日(2016年)2戦合計6−1

          9月5日(1992年)ぼんやりと始まったJリーグ

          三菱ダイヤモンドサッカーと元日の天皇杯と少年時代に少しだけ経験したサッカー。日本にプロリーグが出来ると言われてもピンと来なかった。 この日の記憶はほぼ無いのも当然だろう。この数か月後にとんでもないブームが起こるなんて思いもしなかった。

          9月5日(1992年)ぼんやりと始まったJリーグ

          9月6日(2015年)掛かりの悪いエンジンのような

          試合中は降っても小雨程度って予報だったのに、優先入場待機中から本降りに。傘なしポンチョなし。、半袖短パンでは寒かった。 観衆16000人は少ない、少な過ぎる。 5点のビハインドをひっくり返す、序盤からフルスロットルで攻めまくる。そうならないのは何故だ? その気満々で挑んだのに諦めてしまっているのかと疑ってしまうような展開。 ゴール裏は諦めていない。気象条件が悪くなると熱くなる。失わないものもあって少しだけ安心した。 後半3点を奪い、もしかしたらと思わせたところで試合終了。切れ

          9月6日(2015年)掛かりの悪いエンジンのような

          9月7日(1996年)弱きを助け勝ち点を落とす。

          勝つことにも慣れてきた1996年シーズン。 勝ち点を計算して乗り込んだアウェイ·京都。長いリーグ戦を戦うということがとういうものなのか、まだよく分かっていなかったが、ホームで勝ちアウェイは負けない。この繰り返しがタイトルに結び付くものだと思っていた。 開門前には西京極に着き、待機列へ。 この頃はまだアウェイゴール裏が満席になることはなく、出足が遅くてもスタンドで右往左往することはなかった。 前半早々に先制点を許した。 それくらいなら追い付き、追い越せると思っていた。 嘘だろ?

          9月7日(1996年)弱きを助け勝ち点を落とす。

          8月6日(2016年)灼熱の埼玉スタジアム

          あづい・・・。 地熱が足元から圧迫してくるような暑さ。17時半現在の気温35℃。15時過ぎにスタジアムに到着し、水分補給代わりに黄金の炭酸水を大量摂取。試合当日は当たり前のように7時間以上スタジアムにいる。夏の試合は暑くて堪らない。 西川のフィードは頼もしい。タカに直接渡ったボールがそのまま先制点になる。早い時間の得点で大きなアドバンテージを得た浦和は、4得点をあげ快勝。 湘南がガッツリ走ってきたら危なかった、湘南が走れないほど厳しい条件だったから、ウチが勝てた。そんな気が

          8月6日(2016年)灼熱の埼玉スタジアム

          8月5日(2017年)付け焼刃の監督交代

          堀くんなの? 堀くんまでクラブの犠牲者にするつもりなの? 札幌線の翌日、円山動物園で知ったミシャの解任もまた、クラブの迷走によるものだと確信した。フォーメーションに当てはめるならミシャは3-2-4-1、堀くんが前回指揮を取った時は4-1-4-1。全然違うスタイルを標榜する指導者に何をさせようとするのか。甚だ疑問だった。 トップの体制が変われば下部組織の指導体制も変わる。こんなことを繰り返していたら、アカデミーに優秀な人材も集まって来なくなるのではないか。 ベンチには天野コー

          8月5日(2017年)付け焼刃の監督交代