【壮絶な夫婦の記録に圧倒されつつつも...】島尾敏雄『死の棘』

先日無事に、4年目の結婚記念日を迎えました。

私たち夫婦は決して順風満帆というわけではなく、味噌汁が天井まで飛ぶケンカをしたり、時計やポケットWiFiが宙を舞うケンカをしたり、お互いに歩み寄り「家族」になるのに、ずいぶん時間のかかる夫婦だったと思います。

現在も、「今はすっかり仲良しです(ハート)」と言えれば良いのですが、夫は私の丸い顔を見て、「さゆちゃんの前世は売れ残りの吉備団子だねえ」と失礼なことをサラリと言って私をブチ切れさせるし、話し合っても相容れない事態というのは多々あります。

でも、結婚4年目にして悟りました。
同じ方向を見て、全てを分かり合える同士になる必要もないなと。
すごく時間をかけて妥協点を見つけられればそれで十分。人間関係の修行だと思って、価値観の違いを受け入れつつ、心をどんどん広くしていくことも大切かなと感じたのです。

ケンカしてお互いすっかり疲れ果てて、「もうさ、絶対仲直りするのだからケンカはやめよう。無意味だよ」と言われた翌日、また何かしらで争っている我々ですが、一生仲直りをし続けたいと思える相手と出会えたこと自体が、有難いことなのかもしれません。

そんなことを考える中、先日、壮絶な夫婦の記録が綴られた島尾敏雄さんの私小説『死の棘』(新潮文庫)を読みました。


浮気した夫の地獄


本書は、「浮気した夫を妻が半狂乱になり責め続ける」話で、言ってしまえばまあ、ただその事実だけが600ページほど延々と綴られています。

「そとに女をこしらえた」夫・トシオの愚行を10年間耐え続けた妻のミホ。
彼女はとうとうある日、神経に異常を来たし、狂気のとりことなって、昼も夜も夫を糾弾し続けます。

...まあミホの気持ちもわかるのです。
なぜならトシオは3日続けて家にいたことはなく、子供二人の面倒は全てミホに任せ、家族団欒をしたのも10年間でたった一度だけ...という人間だったから。

ミホはよくぞまあ、これまで思いやりの深い妻でいることができたなあと思いました。

しかし、3日間眠ることなく夫を脅し、隙あらば自殺をチラつかせ、生活費が底を尽きそうになっても外出を許さず、「まだ何か隠しているんでしょう」と証拠を探す行動は異常でした。

「傷つけられた心は決して癒えることがないのだ」と、発作を起こして夫を責め、時には平手打ちをして、近所の人にも不審がられているのに、周囲の冷たいまなざしにも慣れてしまう日々...。

本書は読んでいる側も、あまりの壮絶さに、気持ちが病んできます...。
とても狭い「夫婦」という世界が、日常を暗黒へと変貌させ、夫までもが精神に不調を来たす様子は、ただひたすら恐ろしかったです。

私は本書を読んでいる間、何度も「なぜ別れないの?」という疑問が湧きました。
当時は離婚が今ほど簡単なものではないにしても、お互いリアルに死にそうになっている状態では、距離を置いた方がまだマシだろうと思えて仕方がなかったのです。

しかし、「共に死のう」と軽く行動することはあっても、「離婚」の話は出てこないし、夫はただただ謝罪の意を表明し、何とかやっていこうと努力している...。

他者にはわからない「夫婦の絆」が確かに存在していて、それは一見した所「半狂乱」にしか見えなくとも、「仲良くやっていきたい」という意思を失うことなく、足掻くことをやめなかった事実は、それはまごうことなき「愛」なのかなと思いました。

本書は、少し妻のミホが落ち着きを取り戻したかのように見えても、浮気相手が電報を送ってきたせいで、家を釘づけにして一家中で田舎へ逃げたり、波乱万丈の展開が続きます。

壮絶な愛の記録を読み終えて

夫婦というものは、他者からでは決してわからない事情を誰しも抱えているのだと思います。

ずっと穏やかな愛が生活の中心を貫いてる…なんて夫婦はたぶん少ないはずです。(知らんけど)

愛の形は変わるし、関係性も変化するし、大喧嘩しても、スマホを勝手にのぞいて発狂しても、しばらく口を聞かなくても、「別れる」という選択をするのは、精根尽き果てるほどのパワーがいるのだろうな~と思います。

壮絶な愛の記録を真っ青になりながら読み終えて、とりあえず、他の誰に認めてもらえなくとも、自分たちなりの形を見つけ出せる夫婦を目指して頑張ろうと決意を新たにしました。

うちもけっこうバトルが激しいので、人のことは言えませんが、もちろん、ここまで争いたくはありません(笑)。

さゆ

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