なぜ日本では動物福祉が普及しないのか?
今日から9月が始まりましたね。
洗面所にあるカレンダーをめくったら、ヘッダーに貼った猫の親子の写真が現れました。
子猫を想う母猫の母性溢れる表情に感動し、思わずウルっとしました。
こんな光景を見るたびに思うことがあります。
それは、「動物も人間のように愛することや痛みを知っている生き物であるということを本当に理解している人間はどれだけいるのだろうか?」ということです。
私は幼い頃から動物園が苦手でした。
私の両親は私と妹弟を近所の動物園に連れて行くことがよくありましたが、私は動物を見るよりも動物園内の遊具で遊ぶことを好みました。
私にはどうしても忘れられない動物園の光景があります。
それは狭くて暗い檻のなかにひとりぼっちで横たわっていたツキノワグマの絶望的な表情です。
それはとても悲痛で、生きる喜びを失っているように見えました。
高い塀に囲まれた狭い庭で動き回る一羽のダチョウはいつも欲求不満のように見えました。
私は怖くてそのダチョウのそばに近づくことができませんでした。
檻の中や塀の中にいる動物は、牢獄にいる人間と同じです。
しかも、動物は罪を犯していないのに投獄されています。
私は、自分がされて嫌なことを他人にしたくはありません。
それは動物に対しても同じです。
欧米の先進国では「Animal welfare (動物福祉)」という考えが普及していますが、残念ながら日本ではあまり浸透していないのが現状です。
もちろん、私が子供の頃に比べたら、動物園での動物の扱い方は変わりました。
しかし残念ながら、日本には人間の好奇心を満たすことや収益をあげることを優先して運営されている動物園や水族館がまだたくさんあります。
多くの動物が人間と同じように「愛」と「痛み」を持っていることを“心で”理解する人が増えると、動物の生命を粗末に扱う人は減っていくと思っています。
国や自治体が、犬や猫の悪質な繁殖業者、遺棄する飼い主、そして殺処分を減らすために取り組むのであれば、罰則を強化するだけでは不十分です。
全ての人が動物福祉を学ぶ機会を持つことが重要です。
昨日の記事(下記)でも「教育」と「メディア」の果たす役割について触れましたが、日本の動物福祉の普及においてもこの2つが大きな役割と責任を負っています。
そして、日本が人権と動物福祉の面で発展途上国であることを知っていることは重要です。
下の写真は、先日都内で見つけたつがい(夫婦)のハトです。
羽根を休めようと思った場所に恐ろしくとがったハト除けスパイクがあり、がっかりしているように見えました。
手前のメスの鳩がオスの鳩を励ますかのように何度も優しくキスをしていました。
動物との平和的な共生について真剣に考える人が増え、この地球から「駆除」「殺処分」「絶滅」といった言葉が消える日が来ることを心から願っています。
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