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幸せ迷路のゴールにあったもの


「幸せになりたいと思いますか?」と聞かれたら、
「なりたーい」とほとんどの人が、答えるだろう。

「いえ、私、不幸になりたいです」なんて言う人は、いないだろう。

では、何をしたら、私たちは、幸せを感じることが、出来るのだろうか。
幸せの感じ方は、人それぞれかも知れない。
私にとっての幸せってなんだろう?

2017年から私は、ポジティブ心理学を学んでいるが、それ以前の私の幸せへの捉え方と今では、明らかに違う。

「あ〜、幸せ!」と私が、思っていたのは、自分の持っているものや環境で、幸せを感じていたのかも知れない。

幸せって、集めたり、買ったり出来るもので、頑張れば手に入れられるもの、あるいは、人と比較して、自分が持っていれば、幸せなことだと、思わなければいけないことだと思っていた。

そんな風に、幸せは、私の周り、外にあるものだと思って、それを求め、過ごしていたように思う。

さて、幸せとは、本当にそう言うものなのか?

5年前の夏、迷路に入り込んだ私と次男。

今、18歳になった次男は、小学校1年生から、野球チームに所属していた。

面白いくらいにボールに飛びつくので、キャッチャーをやっていた低学年。
手足の長いことが、武器になった高学年では、ピッチャーをやっていた。

ずっと花形だったが、威張ることもなく、チームメイトとも仲良くしていた。

中学2年まで、汗を流し、泥まみれになって、野球が大好きな少年だった。

ところが、夏の大会が、始まった頃、次男の野球人生は、一変する。

いじめだ。

試合の遠征に行った帰り道、無視される仲間との行動が、辛くて、トイレに行くと言って、仲間と離れ、一人で帰宅したり、大きな水筒のジャグを持たされたり、プールに遊びに行く計画までは、入れてもらえても、その後、当日は、連絡をわざとしなかったと言われたり、陰険ないじめにあっていた。

次男は、明るく、活発な中学生だった。

私は、日頃から、いじめについて、次男と話していた。
でも、それは、いじめることは、卑怯で、相手は、こちらが思っている以上に傷ついて、死に追い詰めることさえあることだと、伝えていた。

そう。
私は、いじめることを絶対しては、いけないと次男に言い聞かせていたのである。

それが、いじめる側でなく、いじめられる側だったのである。

いじめられた時のSOSの出し方、誰かに相談していいこと、いじめられた方は、悪くないことを言ってなかったのである。

私は、早めに気づいてあげられなかった自分を責め、ショックを受けた。
私が、ショックを受けていても仕方ない。私は、母親である。
次男が、野球部の全員を敵にしても、私だけは、味方でありたい。
まずは、次男と話すことからした。

親って、不思議である。
子供が何も言わなくても、今、置かれている状況が、分かるのである。

「お母さんは、Tの様子を見ていて、分かるよ。全部知っているから、もう我慢しなくていいよ。辛かったね」
「部活どうしたい?」とそっと聞いた。

次男の頑張りの糸が、プチっと切れた。
安堵の涙を滝のように流してから、小さな声でこう言った。

「部活辞めたい」

そして、次男は、こう続けた。
「いじめられたことは、学校にも、友達にも、誰にも言わなくていい」と。

次男のプライドか? 優しさからか? なぜ、そう言ったかは、今でも分からない。
ただ、ひとつ分かっていることは、この時の次男の対応が、幸せのゴールに向かうためだったと言い切れる。

それから、次男と相談しながら、私なりの対応をしていく。
次男のやって欲しいこと、言って欲しいことを優先させ、親として、
やるべきことをやっていく。

そして、次男は、休部したのちに、退部することになる。

いじめ。
いじめ自体は、許されない。

でも、あの時、部活をやめたから、今の次男がある。

中2の夏、部活への情熱が、おかしな方向に行かないように、夫が自分の趣味だった、サーフィンに次男を連れていくようになった。

次男は、サーフィンにはまり、その後、湘南のサーフィンスクールに通うようになる。
そこで、学んだことは、今の次男にとって、たくさんの財産になっている。
初めて、一人で通う湘南までの道のり、そこで、出会った人たち、自分でやりたいことを選択し、自分で責任を取り、行動をする。

あの時、野球部を辞めたから、今の次男がある。

次男は、
「あの時、野球部やめてよかったよ」と心から言えている。
そして、その時のいじめていた子たちとも、今は、共に時間を楽しんでいる。

次男は、過去のいじめに感謝さえ、しているように見える。
辛いことに感謝することは、究極かも知れない。
でも、自分が幸せになるためなら、なんとか乗り越えられるのかも知れない。

次男は、幸せを外に求めず、自分の中に見つけたのである。

幸せ迷路のゴールにたどり着いた時、私と次男が見たものは、
「感謝と小さな幸せを大切にすること」だった。

これからもたくさんの迷路に入ることだろう。
だけど、必ずゴールにたどり着ける。人には、その力があることを次男が私に教えてくれた。

幸せは、外にでなく、自分自身の中で感じるものなのだ。

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