見出し画像

眼鏡も外せる! 病院卒業しましたシリーズ③

正しい目の使い方があるって知ってました?私は自分でいろいろ治しておりまして、実は眼鏡も卒業していたのです。今では裸眼で、近くの小さい文字から遠くまで(スマートフォン、文庫本、PC、TV字幕など)全て見えるようになりました。目も正しく使えば視力も良くなるのです。


私の眼鏡歴

40歳になった頃、運転免許証の書き換えで視力検査をしたらランドルト環がぼやけて見えませんでした。私は完全ペーパーなのでここで落ちたら再取得は無理と、その時は気合のあてずっぽうでなんとかクリアして、その後病院に行きました。眼科では乱視と診断され、早速眼鏡を作りました。眼鏡をかけていた10年の間に度が進むなど、普通に悪化傾向にありました。眼鏡時と裸眼の差が酷く、歩道など段差のある所では足元の感覚がずれて危なかったり、鼻パッドが痛くて赤い跡になって恥ずかしかったりで、眼鏡をずっとやめたいと思っていました。

アイボディメソッドとの出会い 目で見るのではなく脳で見る!

そんな悩みをもっていたころ、通っていたアレクサンダーテクニークの石井ゆりこ先生から、ピーター・グルンワルド氏の、アイボディという眼鏡なしで目が見えるようになるというメソッドを紹介されました。半信半疑でしたが、とにかく眼鏡が不便でコンタクトも怖かったので、ホームページを見にゆき、そこで紹介されていたアイボディの本を読み、物は試しと1日ワークショップに参加してみました。WSでは、「見るとは、目で見るのではなく、脳で見ること」と、そもそも体の使い方が間違っている。そしてそれは感情や人類の記憶と大いに結びついている。と教わりました。皆さん、目ではなく脳で見るって知ってましたか?私は初めて聞きました。今まで間違った目の使い方をしていたから視力が悪くなったのです。正しく目、いえ脳を使えば、眼鏡なしで見えるようになる!という事実を知ったことがモチベーションとなり、WSで教えてもらった3つのワークを練習したり、マティアス氏の個人レッスンも1度受けたりしました。そして生活で困らない範囲で、眼鏡を外すようにしました(アイボディのリンクは最後にあります)。

全てが見えた瞬間! 

そんなある日、氣功のレッスンの後、その日は本当にいいレッスンでとても気分がよく、帰りの電車内で座って寛いでいました。何気なく車外を見ていると、線路沿いの家の中のワゴンの引き出しが少し開いていて物がはみ出しているのが見えました。あまりにもプライベートなものが見えて、人の家を覗いてしまった気がして思わず視線を逸らすほどでした。このびっくりするような視力の良さは何なのだろう?と考えてみました。思えば、その時は氣功をしてとても気分が良かったのです。過去も未来もなく、恐れも不安もなく、「イマのココ」に寛いでいたのでした。コレだ!!と閃きました。視界はイマココに居るとき、完璧になるのです。
またある時、やはり電車内に座って車外を見ているときでした。同方向の車両とすれ違い、向こう側の車内の人の顔と、その車両の向こう側の道とその先の建物が同時に見えたことがありました。近いところから遠いところまで同時に、まるで1枚の写真のシャッターを切ったように全てがクリアに見えたのでした。それはヌーソロジーという新らしい哲学でいう、魂の位置から三次元世界を見たような、そんな「魂の視界」とも呼べるような完璧な視界を得たのでした。しかし、悟ったと思った瞬間には悟りの境地から遠ざかるように、完全なるイマココも一瞬のものです。何なのだこの視界は!と気がついた瞬間には、何処かに焦点があたって他が見えなくなるという普通の視界に戻りました。それでも、完全なるクリアな視界を実感したことは大きな前進でした。人間の視界は本来ここまで見えるという事を実感したので、この時の感覚を頼りに、見えるようになるはずと信じて魂の視界に注力した結果、今ではスマートフォンの小さい文字から、文庫本、PC、TV字幕まで、近くから遠くまで全て裸眼で見えるようになりました。
そして、氣功はやはり凄いです。自分に必要な幸運を運んでくれます。

度が進むのは老化ではなく、眼鏡のせい

眼鏡をかけていると度が進むことがありますよね。老化だから、年をとれば仕方ないと思っていませんか?これが実はそうではなかったのです。目が悪くなったのではなく、なんと眼鏡のせいだったのです。眼鏡は、目の焦点の距離をレンズで調整します。すると体は、レンズで調整する前の焦点の距離に戻そうとします、それが根本を変えていない今の体にとってバランスがとれているので。つまりレンズの修正距離分悪化させてしまい、結果として度が進むということになります。これでは、いたちごっこですね。まさか眼鏡のせいで度が進んでいたとは!これを知るとますます根本的に治して、眼鏡なしでも見えるようになりたくなりませんか?
ところで、このことはもう一つの大きな問題に繋がると思いました。眼鏡をかけるということは、そこで良く見えるように調整するため、悪い状態の焦点に、つまり、間違った目の使い方にFIXしてしまうことになります。眼鏡をかけている限り、適正な位置で見るようになる可能性、つまり自己治癒の道を閉じてしまうのです。度が進むという悪循環から抜け出せず、イマココの視界は手に入らず、従って、イマココの境地からも遠ざかってしまうのではないでしょうか。

人類はいつから目の使い方を誤ったのか

私たちはいつこの「見る仕組み」(視力システムとこれから呼びます)を間違えたのかを考えてみました。人間は教えられなくても耳が聞こえるのですから、目も問題なく使えたはずです。では、いつから使えなくなったのか?大自然で狩猟採集をしていた時代は問題なかったと思います。私は本を読むようになった時からと考えました。物は見ようとすればするほど見えなくなります。自然をおおらかに見るように作られていた視力システムに、本を読むという近くで小さい文字を読むという作業が必要になったとき、よく見ようとする姿勢が、視力システムの使いかたを脳で見る方法から目で見る方法へ変え、眼鏡がそれをより強固にしたのだと思います。現代はそこにパソコンとスマートフォンが加わり、それは加速していると思います。
近くの小さい文字を見る姿勢、それは目の焦点をきちんと合わせようとするので、見よう見ようとするあまり視野が狭くなります。人よりも良い情報を早く多く知りたいという欲。その姿勢が、情報をとりに行っているようで、情報に取り込まれてる状況を招いているようです。印刷技術の発明から始まりインターネットの普及により、私たちは情報にアクセスしやくすなりました。しかしその世界に没入するあまり、一呼吸置いて情報を精査することを忘れ、実際の感覚を顧みず情報に信を置くという、情報に洗脳されるという弊害が生まれてきました。体が悲鳴をあげる毒物を薬だと言われると薬と信じてしまうのは、もしかしたらこの誤った脳の使い方から来ているのかもしれません。物が見えない時は、見よう見ようとするのではなく、一呼吸おいて見えるのを待つ姿勢が大事なのです。それと同じように、情報のとり方も、体の軸を前のめりからセンターに戻し、イマココの世界に身を置いて、この情報は本当に正しいのか自分の頭で考える。そんな一呼吸の時間を設けることが必要と思います。

眼鏡と薬の共通点

これを書いていたら、眼鏡と薬って似ていると思いつきました。西洋科学のものって、最終的に身体によくないものが多いですね。対処療法で根本を治さず、依存させて悪化させるものがあると感じ、ちょっと書いてみました。
1、効果がすぐ出る
眼鏡:眼鏡をかければすぐ焦点があって見えるようになる
薬:熱をさげたり、痛みをとったり、効果が早くでる
2、対処療法であって、根本を治さない
眼鏡:眼の焦点をレンズで調整するが、身体を改善してないので眼鏡を外せば見えない。
薬:症状を抑えるか、数値を変えるが、体質を改善しないから服用をやめれば元に戻る。
3、長く続けていると、効かせるための部位が悪化する
眼鏡:眼鏡をかけると、度が進む=視力が悪化する。
薬:骨粗鬆症の薬の副作用は骨折(腿骨転子下非定型骨折、顎骨壊死など)。詳細は次回歯周病編に。 歯周病 病院卒業しましたシリーズ④|喜光使さよこ (note.com)
4、医者はずっと続けるように指導する=自己治癒の可能性がなくなる
眼鏡:眼鏡をつけたり外したりするとよくないので、なるべく眼鏡をかけ続けるよう指導
薬:予防のため、薬を飲み続けるよう。花粉症は、症状が出る前から薬を飲むことを勧めるなど。

眼鏡って、便利な道具と思っていたのです。レンズの技術の進歩でできたので、科学のおかげで現代人は目がずっと見ることができてよかったと思っていたのです。。今では「眼鏡よお前もか」って心境です。

眼鏡かけるとイマココになれない? いえ、方法はあります。

ところで、イマココで完全な平安の世界にいるときに完璧な視界を得るのだとしたら、視界が完璧でないとき、私たちはイマココにはなれないのでしょうか?眼鏡を使っているとその脳状態にFIXしてしまうので、ますます眼鏡を外してとお伝えしたいですが、そうそう簡単には外せない人がほとんどだと思います。ではどうするか。
私は、瞑想をするのが有効なのではないかと考えます。まずすぐに、瞑想によりイマココ時間を増やす点が理解できるとおもいます。
それと同時に、物理的にも脳の視覚野の訓練になるのではないでしょうか。例えば夢を見るように、実際に見ていなくても見ることはできますよね。ビジョンを見るのもあるでしょう。それらは、視覚野の働きなのではないかと思います。光の刺激を受けずに、目ではなく視覚野を働かせるのです。いずれにせよ、魂の視界を得るために有効と思います。なにより、瞑想するときは、眼鏡を外しますしね。
「魂の視界」は松果体がキーポイントと予想をつけています。 

坂本龍一音楽講座からの気づき

先日「YOU」という番組の「誰でもミュージシャン ~坂本龍一の音楽講座~」の回が再放送されました。この中で興味深いシーンがありました。番組冒頭で渋谷の雑踏の動画を流しました。そこにはうるさいほど様々な音がありましたが、普段はそれに気が付いてないことが、この動画を見ることでわかりました。自分に関係のない音は聞こえていないのです。人は、全部の音に注意して歩いていたら疲れてしまうからでしょう。マリー・シェーファー氏が「騒音とは、我々が無視することを学んだ音。無視していない音は騒音ではない」と定義したそうです。
写真にはいろいろな物が写っていますが、同じシーンを見ても、私たちはその全てを見ていません。人の眼は普段は全てを拾わないのと似ていますね。人間の知覚というのは、かなり恣意的なようです。情報が多いとき、知覚を遮断して身を守ることも必要だったでしょう。しかし、現在はそれが行き過ぎていて、直観というか本能というか、そういう大事な感覚をも閉じてしまったと思います。それを再び開くのが「イマココ視力システム」という知覚方法なのではないでしょうか。
私たち人間の視力は、3~5%しか使われていないと言われています。全部が見えるとオーラや霊なども見えるのかもしれません。氣功を受けた後、見える世界が明るくなったという人がいます。オーラや霊とまでは見えなくても、自然の放つ光が見えるようになったのかもしれません。

目のケアとして、氣功と目薬代わりの食塩水

視力を取り戻したといえど、スマートフォンの文字を読むのは目の負担が大きいです。目が疲れたり、飛蚊症のような症状が出たときは、私は市販の塩水を目にさして治しています。寝る前につけると、症状の悪いときは目に沁みますし、翌朝目ヤニが酷くて目が開けられないほどですが、どんどん良くなりました。視力が回復したのも、塩水のおかげもあると思います。
また、目の焦点距離を改善するために、体の柔軟性が必要です。氣功は体の柔軟性をアップさせます。また自分軸を整えてイマココに寛げるようになるので、ぷるぷる氣功を続けるのも目にいいです。

視力の感情面のアプローチ

もうこれは、「イマココ」の一言に尽きるでしょう。
書くという行為は素晴らしいもので、今回眼鏡編を書くにあたり、まさかここまでの気づきが起こると思いもしませんでした。見るという行為が、こんなにも精神と密接に関わっていたなんて!病と心の関係について、0回のところからずっと書いていましたが、眼鏡は薬ではなく道具だったので、つい失念していました。
裸眼で見えること=今に寛ぐ自分です。私は、良く見えるかどうかで、物事に対処している自分のスタンスが確認できます。例えば英語の勉強をしているとき、字が読みにくくなるのです。あ~、苦手意識があるのだなってわかりました。目の見え方で、その時の自分の感情の在り方もわかるのです。

この記事を読んでどうでしたか?裸眼で見ることが想像以上に大切なことがおわかりいただけたでしょうか。そして視力も、他の病と同じように自分で治せるのです。自分の身体を信じてチャレンジしてみませんか。そのための第一歩として、安全な場所で眼鏡を外す時間を作ってみましょう。雄大な自然をぼーっと眺めるのもいいですよ。私の氣功会は逗子海岸で行っていますので、そのとき、眼鏡なしで見る時間もとりいれようと思っています。

パノラマアイを獲得すると、物事の捉え方自体が変わって楽に生きれるようになってきます。そんな発見を書いたnoteも併せてお読みください

アイボディのホームページのリンクです。
この中の「アイボディ・オンラインセミナー 2020年6月7日」の動画ではワークの仕方などが無料で見れます。

自己治癒力をアップする「ぷるぷる養生気功」いいですよ!
次回のテーマはイマココ視界です。「眼鏡なしでも見える」を体感された方もいらっしゃいました。あなたも体感できるかもしれません。


いいなと思ったら応援しよう!