見出し画像

タイの大学院に入るという決断

大学院に入学するということ。それは大多数の人が経験することではないと思う。少なくとも日本では。欧米諸国等では、大学院に入学することが最近一般化してきているが、そうとはいっても皆んながみんな入学できるわけではない。すごく興味のある学問がないとそもそも入学する意味がないし、学校によっては学費は高額だし、大学院に入学すれば就職も遅れてしまう。何より辛抱強く一つのことを研究をし続けるメンタルがないとしんどい。でも私は大学院に入学する決断をした、しかもタイ・バンコクの大学院を選んだ。

なぜ私はタイの大学院に入学することを決めたか?
どうやってタイの大学院に入学することができたか?

今回のブログはタイの大学院事情をシェアしていこうと思う。ちなみに前回書いたタイ留学に関するブログが思っていたより大きな反響があって、びっくりしました。嬉しい限りです。読んでくださった読者の皆さん、ありがとうございます。大学生の時に経験したタイ留学の影響によって(90%くらい笑)タイの大学院に行くという決断をしたので、是非こちらのブログも読んでいただけるといいと思います。

  1. 予想外の「内定取り消し」で始まった、大学院への道

私は2020年に大学を卒業し、2021年にタイのチュラロンコン大学院に入学をした。でも本当は、大学卒業後すぐに大学院に行く予定は全くなかった。最初は周りと同じように就職をして、社会人をちょっと経験してから大学院に行ってもいいかな〜っていう感じだった。しかしある出来事が私の進路を180度変えてくれた。当時は辛かったけど、今思えば最高すぎる人生の分岐点であると思う。それは…

コロナの影響による「内定の取り消し」

である。私はタイ留学をしていたから、周りの子と比べてかなり遅れて就職活動を始めた。正直職種や業種調べなんて全くやってこなかったし、自己分析って何?の領域に達していた。だって、タイ留学中そんなこと考える暇もない(笑)そもそも行きたい会社なんてなかったし、色々わからなくて、自分って何やっているんだろうと思いながらもフラフラと就職活動をしていた。なんなら、タイ留学から帰国直後に就職活動を始めたので、頭の中はまだタイ留学の思い出でフワフワしている状態だった。「でもとにかく就職活動をして、就職だけはしないと」っていう使命感は消えなかったので、就職活動はとりあえずした。今思えば1年休学しても良かったし、一年フリーターになっていても良かった。いわゆる就職浪人(この言葉はあまり好きじゃないが)になっても良かったのに、私は就職をしなければならないというプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。多分、周りから就職先が決まったという報告をかなり耳にしていたり、スーツを着た就活生だらけの街中を歩いたりしていたから、目には見えない圧を感じていたんだと思う。

そんな感じでフラフラ就職活動をしていたが、やはりなかなか内定がもらえない。書類すら通らない。どうしよう、もう時間がない。焦りに焦った結果、もう内定さえ決まればなんでもいいやとすら思い始めた。あまりにも思考が凝り固まってしまって、就職のことしか頭になかった。そんな中、幸いなことに外資系の旅行会社から内定をもらうことができた。会社は地元から離れた横浜にあったが、私は地元名古屋を離れ、一度都心に住んでみたかったのでいいかなと思った。しかも業績を残すことができたら、タイにも出張へ行けるよ!という素晴らしい条件も言われ、もうここしかないと思い、その会社の内定を受け取った。ホッとした反面、自分人生何がしたいんだろう?タイに戻りたかったんじゃないのか?あなた人生何をしたいの?と、人生に対する疑問が怖いくらい飛びかかってきた。

「とりあえず日本の都心で1-2年働いてみよう。そしてお金を貯めてタイに住むなり、大学院に行くなり、好きなことをすればいい」

こう思うしかない。そういうモチベーションで社会人になるのを待っていた。しかし2020年に入るとコロナウイルスが流行りだし、コロナ禍という時代に突入した。そしてまさかコロナの流行が深刻な事態となり、ロックダウンなどが世界中で始まるとは思いもしなかった。そしてテレビを見ていると次第に「内定取り消し」といったワードがよく出てくるようになり、たくさんの旅行会社が倒産しているというニュースをよく目にするようになった。一応旅行会社の内定をいただいていたので「私の会社は大丈夫かな」と不安に思うようになった。そういう不安を抱えながら横浜に引っ越す準備を進めていると、予想は的中した。横浜に引っ越す4日前に一本の電話がきた。

「内定取り消しです」

え?マジ?

不安には思っていたけど、まさか本当にコロナの影響で、自分の内定が取り消されることになるとは思わなかった。しかもこんな引っ越す前のギリギリの時期に….外資系の会社はやはり容赦ない。その時、私は二つの感情がぶつかり合った。「やばいニートになってしまう」という焦りと、「私社会人にならなくていいんだ」という安心感の二つだ。でもやはり就職活動はある程度必死にやったし、内定取り消しは悲しいものだった。何より親に迷惑をかけてしまうという申し訳なさが、のちにグッと込み上がってきて、私は思わず号泣してしまった。周りは就職をしているのに、私は内定もない、ただの出来損ない。せっかくいい大学も出たのに。いくら仕方ない状況とはいえど、自己嫌悪に陥った。でもどうすることもできない。世の中はコロナ禍で混乱しているし、こんな状況で就職活動も不可能。とりあえず落ち込もう。私は寝込む日々が続いた。

2.こんな機会滅多とない。時間をとにかく有効に使おう!

一回人はどん底まで落ちると、這い上がるしかない。私はコロナ禍で内定が取り消されるという経験をして、この言葉の意味がわかった。私は数日間落ち込んでいたが、そのあとはすぐに元気になった。まぁ、コロナ禍はしばらく続きそうだし、こんなにも有り余った時間を自分のものにして、家で自由に過ごせることなんて今後そんなないだろう、時間を有効に使おう!というマインドにシフトチェンジした。そしてこのコロナ禍が生み出してくれた、私にとってのこの「自由な時間」は私の人生の分岐点のポイントとなり、コロナ禍によって起きてしまった内定取り消しは、人生の中で最高な出来事となった。

そもそも私は中学生から大学生までの間、とっても忙しくて時間に常に追われていた。中学生と高校生の時は勉強、部活、課外活動などでずっと忙しかった記憶がある。大学生になると留学中以外はバイトを3つ掛け持ちして、ひたすら働いていた。周りにも「さやかはいつも忙しい」と言われるくらい、私はずっと動き続けていた。家にいる時間もあまりなかった。そしてコロナ禍に突入して、気付いたのが「私今まで忙しかったんだな」と。コロナ禍に突入して、毎日ずっと家にいることは違和感に感じたし、何よりバイトや勉強に追われない毎日が、久々な感じがした。そしてだんだん私はこんなゆるくて、まったりした毎日を至福に思い始めた。こんなにも自分に自由な時間があるなんて最高…ロックダウン最高…とすら感じるようになった。

だから私は今までずっと忙しくてできなかったこと、やりたかったことに手を出すようにした。まさに暇な時間の有効活動。ずっと読みたかった本を読み漁り、好きな映画を時間を気にせずにみまくった。料理も始めた。筋トレをしたり、家族との時間を大切にしたり、ブログを書き出したり…今まで忙しいと理由をつけてやってこなかったことを全てやった。とっても楽しかった。しかし一ヶ月そうしていると、好きなことばかりやっているのはもったいないとも感じ始めた。その時にふと頭にアイデアがよぎった。

「この暇な時間を勉強にあてて、タイの大学院に行くのはありかな?」と。

本当にふとした時だった。しかしこのふとしたアイデアは自分のやる気スイッチを盛大に押して、私のアドレナリンが溢れ出した。まさかこのふとしたアイデアが今の自分を作り上げてくれるとは。

私はもともと先ほど記載したように、大学院には興味があったし、社会学や国際開発学を専門的にもっと深く勉強してみたいなとは、大学在籍中から思っていた。だからこの有効の時間を使って受験勉強して、大学院を受験してみるのは全然ありだと思った。そしてその上、やはりタイには戻りたいし、海外生活もしたい。結果…

大学院に行きたい、という目標と、タイに住みたい、という夢/欲望。私はこの2つ掛け合わせて、タイの大学院にいくという決意をコロナ禍の中でした。

なんていいアイデアなんだ!私はそう思った。しかも、もともとタイ留学で出会った知り合いがタイの大学院に行っていて、国際開発学を専攻していてすごくいい経験をしているという話も耳にはしていたので、現実性もかなりあった。そこから知り合いの影響もあり、私はタイの大学院の情報をとにかく収集するようになった。そして大学院のことを調べていくと、どんどん興味が湧いていき、「タイの大学院に絶対に行きたい」と思うようになった。よし、このコロナ禍の中の暇な時間を使って資格や受験の勉強をしよう。そして学費を貯めるためにオンラインの仕事も探そうと決意した。この時のやる気は半端じゃなかった。

3.タイの東大「チュラロンコン大学」入学への道のり

私は色々調べた結果、知り合いが通っている「チュラロンコン大学院」の国際開発学科への受験を決めた。チュラロンコン大学院は大学でもあり、タイの東大とも呼ばれている、タイでは最高峰の大学だ。経験豊富な素晴らしい教授が世界各国から集まっているし、国際開発学科に関しては、国際的にも名は知られている。何よりも私が専門的に勉強したい「国際開発学」の大学院コースがあり、タイ語ではなく英語で授業を実施しているのだ。もうここしかないと思った。ちなみに私が入学した大学院コースはチュラロンコン大学の「MAIDS-GRID」(FACULTY OF POLITICAL SCIENCE MASTER OF ARTS IN INTERNATIONAL DEVELOPMENT STUDIES) というコースであり、修士号以外にも博士号を取れるコースもある。以下リンクを貼っておくので、興味のある方は是非チェックしてみてください!


そんなチュラロンコン大学院を選んだ理由は以下の通り:(素直な意見笑)

  1. タイは学歴社会。今後タイに住むなら、可能性を広げてくれる大学院に入学したい。ならばせっかくなら、タイでトップのチュラロンコン大学院に行きたい。

  2. 知り合いが通っていた、ということもあり、チュラロンコン大学に関する情報が豊富であった。知り合い、ありがとう。

  3. チュラロンコン大学は国際開発学に非常に力を入れており、世界ランキングの中でも上位に入るくらいである。レベルが高い空間に自分をおきたかった。

  4. 学費が日本ほど高くない、むしろ安すぎてびっくりした。(高額だったら大学院入学は諦めていました)そして奨学金制度も充実していた。

  5. バンコクの中心部にあってとにかくアクセスがいい、便利。

  6. 全て英語で授業をやるので、英語のスキルも上がる。

などなど…個人的な理由も含め、チュラロンコン大学が自分にベストだと思って、チュラロンコン大学への受験を決めた。しかしやはり学費が安い、といった点はでかい。奨学金制度があったのも非常に助かった。高額な学費だったら絶対行かないし、そもそも行けないからだ。

しかし、チュラロンコン大学院を受験するまでの道はとにかく苦痛だった。「絶対に行きたい、受からなきゃ終わる」というメンタルで挑んだ挑戦だったので、失敗は許されない、というプレッシャーをかなり自分に与えていたそんなプレッシャーの中、私はひたすら大学側が求める資格をとる勉強をしたりした。受験資格としてIELTSのスコアが必要だったので、IELTSの勉強を必死にした。それに加え研究計画書も必死に作成し上げた。研究計画書の作成はなかなか大変だった。また、インターンも2つのNGO団体で経験をし、大学院側が求めるインターン経験もした。そして大学院の学費/タイで生活するための生活費も稼がなかればいけなかったので、コロナ禍だったためオンライン上でできる仕事を必死に探した。ありがたいことに、その成果は実り、無事外資系のオンラインメディアのライターとしての職を得ることもできた。これに関しては、予想外のいい出来事である。ずっとライターとしてのお仕事をしてみたかったし、かなり興味を持っていた会社のライターとして正規で働けるのは幸せだった。コロナ禍によって私に与えられた1年の自由時間の猶予。私は死ぬ物狂いで勉強をし、大学院の情報収集をし、インターン経験をこなし、ライターとして仕事もたくさんしてお金を稼いだ。今思えば私はとにかく目標に突っ走っていた。不安に押しつぶされそうになったりして辛い時もたくさんあったけど、当時はアドレナリンが凄く溢れていて、今思えば生きた心地がめっちゃした1年だったのかもしれない。内定が取り消されたには、大学院に入学しないと。そんな言葉が常に頭の中にあって、私は自分の中にある完璧主義を100%フル活動させた。

4.有言実行をした瞬間

私は締切当日に大学側が求める必要書類の提出を全てした。結果が出るまで吐きそうなくらい不安だったけど、なんとか無事、一次試験は受かることがでできた。数週間後に二次試験として面接があり、今まで受けた中で一番頭を使う面接を経験した。結果が出るのは1-2ヶ月後。この空白の1-2ヶ月は地獄のような時間だった。しかし私は無事有言実行することができた。

なんと!特待生としてチュラロンコン大学院のMAIDSに合格をすることができたのだ!

受かるだけでも泣けるくらい嬉しいのに、奨学金補助が確定の上、特待生として学費もかなり安くしていただけることになった。タイで大学院生として住むってなった時に、家賃や生活費など、資金面はかなり不安に思っていたので、このように資金面の援助があるのは非常に助かったし、心の荷が降りた。1年死ぬ物狂いで頑張った甲斐があった…なんとも言えない、久々に感じる達成感だった。両親も喜んでくれて、私は祝福モードに入った。本音を言うと、勉強と仕事ばかりの1年は自分のアドレナリンで溢れていたものの、私のメンタルは追い込まれていた。大量の飲酒に走る日々もあったし、1年のうちで私は過食嘔吐という精神的な病に陥ることもあった。でもそんな大変な1年を得て、私は夢を勝ち取ることができたのである。

「人は夢を描いていれば、それを叶えることができる」そう思った。

私は常に自分がタイで大学院生として生きていることを頭の中でイメージトレーニングしていた。挫折しそうな時、苦しい時は、ひたすら頑張った先にある自分をイメージしていた。やはりイメトレって大事なんだなとこのとき思った。理想の姿をひたすら描いていれば、だんだんそれに近づくことができるのだと、少なくとも今回の受験に関してはそう思ったし、このマインドセットは今後の目標設定をするときにも活かしていけるだろうなと思った。

5.大学院は決して楽ではない、でも充実した日々

色んな出来事が重なり、努力をした結果勝ち取ることができた、タイのバンコクにある大学院に通うという現実。私の胸はワクワクで埋まっていた。

しかし大学院に通い出したのは2021-2022年あたり、世界はまだコロナ禍。私は半年以上オンライン形式で大学院の授業を受けていた。大学院に受かった直後、すぐタイに引っ越し、タイにいながらオンライン授業を受けるという選択肢もあったが、タイもロックダウンをしていたし、大学院も閉鎖しているし….正直タイに行っても家にいるだけの生活が目に見えていた。またお金をもう少し貯めたいということもあり、私は大学院が始まっても、半年以上は日本でオンラインライターの仕事を続けつつ、大学院のオンライン授業に参加した。

最初の方は、授業に対してワクワクはしていたが、なんと内容が難しいこと。正直、私は大学院の授業内容を舐めきっていた。大学院レベルの授業を英語で受けることは私の中でショックが大きいくらい、レベルが高く、かなり苦労をした。なんなら、もうこんなしんどいことを1年続けるくらいなら退学をしようかな、とも思ったくらい。あんなにも必死に受験勉強をしたのに、すぐにでも逃げだしたいくらい内容が難しく、自分はこんなハイレベルな勉強についていくことは絶対無理だと挫折しそうになった。

しかしここで辞めたら私は多分後悔しかしないし、タイに引っ越す理由も無くなってしまう。

親や友達からの応援もあり、私はなんとかオンライン授業で大学院コースの2学期分を終えることができた。正直、日本からオンラインでタイの大学院の授業を受けるのは、モチベーションはあまり上がらなかった。ずっと画面上の世界だったし、友達ももちろん作りにくい。ディスカッションやプレゼンテーションもしにくかったし、現実性がないというか…やはり教室で授業を受けたかったなぁ〜というのは本音ではある。でもオンライン授業だからこそ、フレキシブルなスケジュールが立てられたし、日本でオンラインライターとしての仕事も続けることができた。おかげで資金も十分に貯めてからタイに飛び立つことができたし、今思えばオンライン授業で大学院生活の半分を過ごしたのも、良かったのかなと思える。

6.つい2年半ぶりのタイへ出発!

8月にオンライン上でタイのチュラロンコン大学院に入学し、2学期分を終え、私は3月にやっとタイへ渡航した。意外にも入学してから半年以上たってからタイへ行った。ライターとして働いて貯めたお金と、大学院側からいただいた学生ビザを持って、準備満タンでタイへ出発した。夢のようなタイでの留学生活から日本に帰ってきて、それぶりのタイ。2年半ぶりくらいだった。ワクワクと緊張感と…そして色々懐かしい気持ちと。色んな気持ちを持って、新しいスタートだと思って出発した。

空港に着くと、あのスワンナプーム空港の独特な匂いがしてテンションが上がった。そして久々に聞くタイ語と久々に見るタイ文字。うわ〜〜タイにきた〜〜と、とってもワクワクした。タクシーに乗って街に出ると、興奮するんだろうなぁと思ったけど、意外にもあまり刺激は受けなかった。久々のタイでワクワクの絶頂になるはずなのに、あれ?なんかそこまで何も感じない。久々のはずなのに。よくわからない気持ちになりつつ、私は隔離ホテルへと向かっていった。

ホテルに着いた瞬間、私は速攻でホテルのガパオライスを頼んだ(笑)どうしてもタイに来たことを実感したくて。そもそもまだコロナ禍だったので、自分は隔離ホテルにいるし、正直タクシーから街を見ても刺激を受けなかったし、あまりタイにいる実感は沸かなかった。今でも謎である。多分久々すぎたのかな?でも2年半待って、色々経験して、ついにここまで来れたわけだし、明日から始まるタイでの新しい生活を楽しもう。そういう気持ちになっていった。なんなら大学院の研究発表やら最終レポート提出やら、タイについた次の日からもうすでに予定はパツパツだった。油断はできない、最後まで大学院をやり抜いて、タイでの生活を充実させよう。

こうして、私は夢のタイバンコクでの大学院生活をスタートしていった。そして大学院での経験は自分の中では大きな糧となり、今自分がタイに住んでいる理由や、生活基盤を作り上げてくれたのだ。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ここまでブログを読んでくださった読者の皆さん、本当にありがとうございました。読者からのリクエストがあり、なぜタイの大学院に入ったか、どうやってタイの大学院に入ったかなど、このような疑問に答えることをメインとしたブログを書きました。内容がざっくり過ぎて申し訳ないですが(笑)やはり大学院に行くという選択は全ての人にとって当てはまる選択ではないし、ましてや私がいったチュラロンコン大学院の国際開発学科(MAIDS)に行くことは少数派な選択であると思います。しかしちょっとでも「タイの大学院に行く」という選択肢がありますよっていうことを、周りに伝えられればそれでいいと思います。チュラロンコン大学院の国際開発学科(MAIDS)の授業内容や授業形態については今回はあまり触れませんでしたが、もし興味ある方がいましたら個人的に是非質問していただけると嬉しいです。Twitterで個人DM、またはリプを送ってくだされば詳しくお答えします↓

https://x.com/sayaka_in_bkk

また次回のブログでは大学院生としてのタイ生活、また今フリーランサー&研究員としてのタイ生活などについて、どんどんシェアしていこうと思います。どうぞよろしくお願いします!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?