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タイ留学が私の人生を変えてくれた

今日から5年前の2018年、私は大学3年生の時に【タイ留学】を経験した。
当時21歳の時は、ずっと留学してみたい!海外に住んでみたい!って思っていたから、念願の留学を経験することができたのは、当時は本当に嬉しかった。

でも当時も今も、多くの人に聞かれる。

「なんでタイを留学先として選んだの?」

必ず聞かれるのだ。確かに、大学生の留学といったらアメリカやカナダやオーストラリアとか…英語が第一言語の欧州圏を思い浮かべる人がほとんどだと思う。し、タイを選ぶのは、なかなかマニアックな選択なのではないかと思う人がいるのも理解している。

そして私自身も最初から「タイに留学したい!」とは思わなかったし、留学先の選択肢としてタイという国は、最初は一切頭になかった。そもそも、私は最初は欧州圏に留学することを夢見ていたのだ。

でも今となっては、タイを留学先として選んだことを後悔していないし、むしろ今までの人生の中でしてきた選択の中で、一番いい選択をしたと思っている。まさに、人生のターニングポイントを作ってくれたのが【タイ留学】だ。タイ留学がなければ、今の私はない…と胸張って言えるくらい、タイ留学は私の人生において、超大事な出来事。なんなら、今タイに住んでいるのは、タイ留学を5年前に経験したから。そのくらいタイ留学をして良かったし、多くの人にオススメをしたいから、このブログを書こうと思った。

では、本題のなんでタイを選んだか?そして、どういう風に留学が人生を変えてくれたのか?について話していこうと思う。この記事のおかげで、ちょっとでも多くの人に、タイ留学に対していい印象を与えられたらいいなと思う。

1. 周りから驚かれた「タイ留学をする」という選択

先ほど言ったように、私は最初はタイ留学をしたいとも思わなかったし、そもそも選択肢にはなかった。むしろ、本当は私のお父さんの母国である、アメリカに行きたかった。英語はもともと話せたので、英語を学びたいわけでもなかったけど、固定概念にはなってしまうけど留学といったらアメリカっていうイメージが頭にはあったし、自分のルーツも知りたかったからアメリカに行きたかった。そして多分アメリカ留学に行くだろうと思っていた。

私はアメリカに留学するぞ!という意気込みで、大学の留学説明会に何度か参加した。ちなみに私は大学の交換留学制度で留学にいこうとしていた。理由は大学を休学したくなかったし、4年で大学を卒業したかったからである。

留学説明会に参加していくうちに、アメリカ留学をすることに対する壁が見えてきた。それは「資金問題」である。アメリカ留学をするGPAは足りていたし、大学側が求めるアメリカ留学に行けるための条件を満たすTOEIC・TOEFLの点数も足りていた。しかし、アメリカでの生活費を払えるのか?という、お金の問題にぶち当たってしまったのだ。留学するんだったら、お金はかかるし、それくらいはわかっていただろ!と思う人もいるかもしれない。でも正直当時はまだ20-21歳。お金のことはあまり頭になく、なんとかなるだろうと思っていた。そしてもちろん、私のアルバイトの給料ではアメリカでの寮費、生活費、その他諸々の資金は賄えないので、親に頼るしかなかった。

留学説明会の後、私は両親にアメリカ留学に行きたいと伝え、3人で家族会議をした。両親も、私が留学に行きたいことを認知していた。しかしこの時初めて留学資金に関する話を、3人で真剣に会議した。そこで出た結論が、やはりアメリカ留学は高額すぎて、少し厳しいという話になった。なんたって、いくら学費は払わなくて良くても(交換留学だから、日本の大学の学費でアメリカの大学に行ける)、アメリカ留学は全てが高額。計算したら寮費だけでもすごい金額になった。たとえアメリカに行けたとしても、娯楽の資金がほぼない状態は、留学に行っても辛いという結論になった。お金を心配しながらする留学はきっと楽しくない。私も金銭的にアメリカ留学は多分厳しいことは頭で理解していた、けど、どうしても理想を描いてしまっていて…家族会議を通して現実と向き合った時は、アメリカ留学をするという夢は消えていった。ショックだったけど、仕方ないという気持ちのが強かった。

でも、アメリカ留学は無理でも、留学に行きたいと夢は捨てきれなかった。もうこの際、どこでもいいから留学に行きたい!と思った。特に目標があったわけではなく、どうしても海外の大学に行き、海外で一人で暮らしてみたかったのだ。その時に父が:

「留学先をタイにしてみたら?」

と違う選択肢を与えてくれた。タイなら寮費も安いし、物価も(5年前は安かった笑)アメリカと比べたら全然高くない。そしてその分浮いたお金で、娯楽にも使える。そっちのがいいのではないか?という結論になった。お父さんはタイに住んでいたことがあり、タイが大好きであるということもあり、提案してくれたのだ。そして私も旅行で何回かタイに行っていたので、お気に入りの国の一つではあった。父はそれを知っていたので、タイを推してくれたのだ。「タイなら周りと違う経験ができるよ、それがあなたらしいよ」と言ってくれたのだ。

最初は戸惑ったけど、アメリカはどっちにしろ無理なわけだし、「タイ…いいかもしれない!」と思考がだんだん「タイ留学をする!」という風に変わっていった。実際、大学の交換留学先としてタイはあった。ただ選考の枠は1枠だけ。まぁ、誰もタイ留学を選ばないだろうし、選考に落ちることはないであろうという安心感もあったから、タイを留学先として選んだ。そして何より、選考の時期が迫っていったので、留学先を迷っている時間はなかった。もう自分自身の直感に任せて、私は交換留学先の希望の国を「タイ」と書類に記載して提出した。今思えばあの直感は正解だった。

そして私は数々の選考を得て、無事選考に合格することにできた。正式的にタイのタマサート大学という大学に1年留学するということが決定したのだ。すごく嬉しかった反面、想像していた道とは違う現実に、戸惑いも隠せなかった。

しかし、私をすごく落ち込ませたのが周りの反応だった。

2.最初は大後悔!!

アメリカ留学を諦め、周りと違う経験をした方がいい!という自分の直感を信じて選んだ交換留学先、タイ。最初は不安だったけど、留学先をタイにしてから自分の中で視野が広がっていった。タイ以外の東南アジア諸国にも興味を持ち始め、東南アジア諸国からきた留学生とも仲良くなっていくことが多くなった。さらに私は大学のゼミで社会学を専攻し、世界の社会問題に興味を持っていたので、東南アジア諸国の社会問題に重点を置いた勉強をするようになった。今まで触れてこなかった分野に触れて視野を広げていくのはは非常に興味深かかったし、楽しかった。

「タイにしてよかった、楽しみだ!」

そう思っていると…周りの人の反応で、私のワクワクは消えていった。誰とは言わないが、交換留学先をタイにしたことを周りに伝えると、いまいち反応がよくなかったのだ。「意外だね」「珍しいね」これくらいならまだわかる。でも「えーアメリカのが絶対いいよ!」「タイなんてもったいない」「しんどそー頑張れー」「発展途上国で留学ってすごいね」と、ネガティブなことをすごく言われたのだ。びっくりしたのが、発展途上国という言葉。タイはいまだに発展途上国という認識を持たれていることにショックを受けたのだ。周りの意見に振り回されてはいけないとは思いつつも、この留学は私にとって人生初めての留学であり、初めて一人で海外で住む大事な機会である。やはりネガティブな反応されたり、がっかりした反応を受けると、不安になってしまうし、果たしてこの選択が良かったのかなと後悔し始めてしまう。

そんな不安を抱えたまま、私は大学が主催する留学出発前の留学合同説明会に参加した。この留学説明会は、2018年度の交換留学に行くすべての生徒が参加する説明会だ。そして説明会は会議室で行われたのだが、国のエリアごとに席が分かれていて、「ヨーロッパ」「アメリカ」「東アジア」「東南アジア」のように、それぞれの留学先の国のエリアに座らなければいけなかったのだ。なんとアメリカ、ヨーロッパエリアへ留学する人数が多いだこと。東南アジアエリアには私含め、ほんの数人しか生徒がいなかった。正直、私はここで自分の選択に後悔した。いくら周りと違う経験をしたいといえど、やっぱり少数派の位置にいるのはメンタルがきつかった。「せっかくの交換留学、なんてことをしてしまったんだ」と、まだ始まってもいない留学に対して、後悔と不安といろんな感情が混ざって、その会議室から出たかった。

3.ダメだ、一時帰国しようかな?
留学出発前の留学合同説明会に参加してから数週間、ついにタイへ出発する日になった。私は正直ワクワクよりも不安の気持ちのが大きく、後戻りがもうできない環境に泣きそうになっていた。出発する時、親と友達が空港まで見送ってくれたけど、私はもう大号泣してしまった。今思えば当時の自分はかわいいな〜若いな〜って思うけど、21歳の時の私は周りと違う選択をし、今までとは全く違う環境に一人で飛び込んでいくのが怖くて怖くて仕方がなかった。他の留学をする学生は何人かで一緒に留学先に行くことが多い(同じ留学先大学に生徒が4-5人留学したりするケースが多いため)。でも私の大学からタイへ留学するのは私一人のみ。誰と行くとかではなく、一人でタイへ行き、部屋を借り、生活していかなければならなかったのだ。

大号泣をして親と友達と別れ、飛行機に乗ってタイについても、ひたすら感じる孤独感と不安。タイについたら気持ちが多分晴れるだろうと思ったが、そんなことはなく、むしろホームシックの沼にはまってしまい、気持ちは沈んでいくばかり。カレンダーを見ては「あと11ヶ月もある…生きているかな…不安で死んじゃいそう」と嘆いていた。スウェーデンに留学をしている友達や、アメリカに留学をしている友達は楽しそうな姿をどんどんSNSにあげていくのをみて、それはさらに私を苦しめた。一人で来たから友達もいない、頼る人もいない、寂しい、辛い、これだったら仲間がみんないる日本にとどまるべきだったかな…色んな思考が私の頭の中を駆け巡り、毎晩シクシクベッドで泣いていた。

知り合いが誰もいない孤独さ以外にも、心を病ませた理由はもう一つある。それは住んでいた環境だ。バンコクといったら都会だし、便利で楽しい
イメージがあるかもしれない。しかし私が当時住んでいたエリアはMRT(地下鉄)やBTS(スカイトレイン)が近くにない、ピンクラオというかなりローカルなエリアだったのだ。もちろん5年前なので、今なくては生きていけないアプリ「GRAB」もまだ存在していない。私が住んでいたエリアは日本人が多くいるスクンビットエリアとは全く違い、高いビルもないし、カフェも少ないし、とってもローカルな雰囲気だったのだ。想像していたバンコクと違うし、日本の環境とも真反対である。住んでいた部屋だって、家賃5000バーツのワンルームでトカゲなんかが出てきたりしていた。いくら他人とは違う経験しにタイには来たと言っても、やはり想像を超えるローカルな環境に私は戸惑ってしまった。そこで私はさらに落ち込んでしまった。というか、何もかもネガティブに捉えてしまうスランプに入り、タイ留学をすぐ辞めたかった。パソコンを開いては「留学、途中で辞める」「留学、断念」といったキーワードばかり調べており、私は本気で一時帰国することを考えていた。

3.タイに恋に落ち、魅了されていく
しかし、私の鬱は大学が始まると徐々に消えていった。大学が始まる前は自分の部屋に一人で閉じこもっていて、たまに近所を散歩するも孤独を感じてしまい、部屋に戻りyoutubeを見るばかりであった。多分この「孤独の時間」が私のホームシックやタイで住むことに対する不安を加速させ、それが私のメンタルを殺していたのかもしれない。私は一人でいることは大好きだけど、きっと孤独が苦手なんだと思う。

でもこのままではいけないと、流石に私も自分の目を覚まし、タイに来たからには楽しまなきゃいけないと思い始めてもいた。なので大学が始まると、私は必死に友達作りをした。私がここで友達を作らないと、本気で留学生活が辛くなってしまう。そう思って、私はクラスで隣に座っていた子から、道ですれ違った子まで、留学生だと思われる子に対しては必死に声をかけては仲良くなっていった。せっかく留学に来たので、私はどうしても日本人のグループには入りたくなかったので、極力現地の学生か、日本人以外となるべく絡むようにしていた。そこで努力が実ったか、私は最終的にたくさんの素晴らしい友達ができた。そして幸せなことに、今では一生の親友と呼んでもいいくらい、存在が近いノルウェー人の友達ができた。

そしてだんだん環境に慣れてくると、最初は大嫌いだった住んでいるローカルエリアも愛おしく思え、この日本とは真逆な環境が心地よく感じるようになった。私は違う環境に染まっていくという「適応力」が身につき、この適応力は今となっては自分の強みであると思っている。タイの「サバイサバイ」精神(なんとでもなるさ精神)がとっても心地よく、私はタイ人の生き方を好きになっていた。そしてさらにはタイ人の性格やタイの文化をもっと理解したいという意欲から、私はタイ語も必死に勉強をした。タイ語を勉強し、タイ語を理解するとタイ生活はもっと楽しくなる。それに加え、私はタイ料理にハマっていき、タイの田舎であるイサーンの料理が大好きになった。イサーン料理は辛く、パラー(イサーン料理で一般的に使う魚醤)がよく使われているため、日本人はあまり好まないと言われているが、私はそんなパラーが大好きだったので、よくタイ人に「あなたは日本人ではない」と驚かれることもよくあった。タイ語を話し、タイ料理をこよなく愛し、タイの環境に適応するようになる….自分自身がこんな風になるなんて、想像もしていなかった。でもこの柔軟な適応力が自分の中で存在するなんて、タイ留学がなかったら気づいていなかったし、むしろタイ留学のおかげで身についたのかもしれない。

学校が慣れてくると、私は新しくできた友達といろんなところに出かけては遊んだ。バンコクのローカルマーケットを巡ったり、近所に潜んでる絶品パッタイ屋を発見したり、大学周りの屋台を全て試してみたり。バンコクだけではなく、バンコクをでてタイの美しい島へ行っては田舎に行っては、タイ国内をこれでもか!というくらい旅行をした。もちろん近隣の東南アジア諸国も週末や祝日を使って旅をしまくった。多種多様な国から来た留学生の仲間たちとの旅、そして彼らと一緒に大学で受ける授業は死ぬほど楽しかった。

そして私は友達のおかげでいろんな世界を見た。様々な国から来た人たちと多様な文化を共有しながら、東南アジア諸国の素晴らしさを感じていく。私はどっぷりタイの魅力、そして東南アジアの魅力に沼ってしまった。こんな世界見たことない、日本じゃ絶対あり得ない。そんな世界が私を魅了して行ったのだ。こういう世界を味わせてくれたのは、間違いなく旅に誘ってくれた留学生の友達たちのおかげである。

そこで私はタイに留学しにきた本来の目的を思い出した。

「みんなと違う経験をしに私はタイに来たのだ」

欧米諸国やヨーロッパ留学では感じることのできない、みんなと違う経験を私はするためにこの国を留学として選んだのだ、と。実際、東南アジア諸国でしか感じられない経験をたくさんした。素朴な雰囲気が残るタイの田舎、目を疑うような貧富の差、そもそも第一言語が英語ではない世界線。タイで感じたすべての体験が、今まで味わったことのないような環境で、自分の中のタイ留学に対する「不安や後悔」という気持ちが「探検心と興味」に変わっていった。そして私の性格もだんだん「心配性や臆病」から「チャレンジャー」へと変わっていった。留学は自分探しの旅とも言えるけど、私は間違いなく新しい自分を作り上げることができた「自分を構成する旅」だなと思った。今まで怖いと思っていたことが、今や自分の中での楽しみになっていった。タイの大学で勉強しながら、20代前半で世界各地から来た若者と、東南アジア諸国をバックパックしたり、タイ国内を冒険したり…こんな青春味わったことないし、多分今しかできない。私は気づいたら人生のどん底から、今まで生きてきた人生の中で一番生き生きとした時間を過ごしていた。一生この時間が続けばいいのに、と思っていた。

4.自分の中で、セカンドホームを見つけてしまった
上記に記載したように、すっかり私はタイの虜になり、タイでの生活は夢のような時間を過ごしているかのようだった。しかし留学期間はたったの11ヶ月間。あっという間に帰国日がやってきたのだ。私は帰国日が近づくにつれ、とんでもない胸の苦しみを覚えた。この国は私にたくさんのことを教えてくれ、たくさんのことを経験させてくれた。この留学を通して私は初の第三言語を学び、初の大恋愛をし、初のバックパッカー旅を経験し、初の一人暮らしをし、初の自分でバイクを乗り、初の海外への一人旅を経験し、初のタトゥーを入れる、初のタバコを経験し、、、(笑)そのほかにも自分で洗濯物をする、自分でスーパーで買い物をする、自分で病院のアポイントメントを取る、ちょっとした小さなこともタイで初めての経験をした。実際初めて実家を離れた暮らしだったからこそ、たくさんの初めてを経験しなければいけなかった。だからタイに一人で住んでいる、自立した自分が好きだった。日本に戻ったらすべてが元に戻っちゃいそうで、私は日本に本当に帰りたくなかった。今でも覚えている、帰りのタクシーで泣きすぎて運転手のおじちゃんがトイレットペーパーを渡してくれたこと。

気づいたらタイは私の第二の故郷になっていた。私を人間として成長させてくれ、たくさんの贈り物を与えてくれた国。今の自分があるのも、タイ留学を経験したおかげ。最初は思い通りには行かなかったし、想像外の世界だった。でもその想像外の世界が、とっても刺激的で美しかった。最終的にこのタイ留学は私の人生の一生生き続ける財産になったし、5年前「タイ留学をする」という選択した自分に大きなハグをしてあげたい。この経験が今のあなたを作るよ、と伝えたい。

5.少数派の選択こそ、自分をスペシャルにしてくれる
現在、私はタイの大学院を卒業し、タイで働いている。タイの大学院に通うなんて、きっと5年前の私は想像もしていなかったのだろう。でも私はタイ留学を終え、日本に帰国した日の瞬間から「いつか絶対大好きなタイに戻って、タイに住むんだ」と決意した。タイ留学の後はコロナが流行り、タイに戻れない日々が続くこともあったが、この決意を決して揺らぐことはなかった。私は「タイに戻る」ということだけに集中して、コロナ禍はオンラインの仕事でお金を貯めながら、タイの大学院に合格するための勉強を必死に続けた。無事、コロナ禍が終わると同時にタイの大学院に入学することができ、タイでの生活を実現することができた。奨学金をもらうことができたので、ずっと住みたいと思っていたコンドミニアムに住むこともできた。もちろん学生としてだけではなく、タイで働いて生活をしたいので、ずっと働いてみたかった場所で働くことも最近は実現できた。こうやって海外で20代のうちに生活できるってすごい貴重なことだし、若くて元気のある20代だからこそ、やるべきだし、やって良かったと思える。でもこれはすべて、5年前にタイ留学を経験したから。タイという国を選択したから。周りとは違う少数派な経験、選択ではあったかもしれないけど、この少数派の経験が自分を人間として豊かにしてくれ、自分をスペシャルな未来へと導いてくれた。

「他の人とは違う道に進むことは怖いことではない。」

周りが安定な仕事につき、家族を築いている中、私は異国の地で生活をし、仕事は安定はしていないし、パートナーもいないし、結婚もしていない。しかし、この少数派の生き方が自分にはあっているし、正直気にしていない。このメンタリティーを作り上げてくれたのは、間違いなくタイ留学のおかげだ。私の人生に大きな影響力を与えてくれてありがとう。

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最後までこの長々としたブログを読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。このブログを通して、タイ留学の素晴らしさだけではなく、「周りと違うことに挑戦してみる大切さ」を伝えられたらいいなと思います。なかなか最初の一歩が踏み出せなくて迷っている人、新しい環境に慣れず悩んでいる人。大丈夫です、なんとかなるしあなたの選択は合っています!胸を張って、自分の選択に自信を持って、やりたいことがやれる人生にしましょう。


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